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- 2019.04.22 Monday
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さて、イサク・ディーネセン『BABETTE'S FEAST(バベットの晩餐会)』第三章「PHILIPPA'S LOVER」に隠された裏の物語「裏筋」を解説しようか。
いや…
「裏筋」というより、こちらがある意味「本筋」なのかもしれないな…
本作における作者イサク・ディーネセンの筆先は「見えない筋をいかに描くか」ということに力が置かれているように思える…
裏筋マニアか。
変な意味ちゃうで。
でもオペラ歌手パパンさんでも、キスまでしか出来なかったんだよね。
せやな。百戦錬磨のラテン系おやじパパンをもってしてもキス止まり…
さぞかし無念やったに違いない…
ここはひとつ「緊急やれたかも委員会」でパパンの無念を晴らさんとアカンな…
オイラも付き合わなきゃいけないの?
当たり前田のクラッカーや!何カマトトぶっとんねん!
っちゅうことで、ジャッジと行こか!
「やれた」か「やれんかった」か、どっちや!?
おっさん、ノリ悪いやんけ!
「やれた」か「やれんかった」か、どっちやねん!
やれやれ、しょうがないな…
こういう下品なノリは、あまり好きじゃないんだけどね…
なぬ!?
「やれたかも」じゃないんだよ…
「やっちゃった」んだよね、この二人…
ま、マジかよ!?
隣の部屋で怖い父と心配症の姉が聞いてるのに!?
映画ではそうなってるけど、原作である小説では違うんだ…
実は、父と姉が聞いていたレッスンの声は、途中から録音されたものに代わっていたんだ…
父と姉は、歌声が聴こえてるから「レッスンは続いている」と思い込んでしまったんだよね…
そうしてパパンはフィリッパを密室の中で手籠めにした…
それ『獄門島』の「一つ家(ひとつや)」だろ!
バレたか(笑)
冗談はこれくらいにして…
実はイサク・ディーネセンの小説では、父と姉は「レッスンを隣の部屋で聞いていた」なんて一言も書かれていないんだ…
そもそもレッスンの時に同じ建物の中に居たかどうかすらも言及されていないんだね…
つまり父と姉は、フィリッパとパパンが「どんなレッスン」をしていたのか知らないんだよね…
ええ、そうなの!?
完全に二人っきりだったんだ…
じゃあ何が起きてもオカシクないってことか…
ただでさえ旅でハジケてる好色なラテン系フランス男と二人っきりだもんな…
フランス人には失礼だけど、そういうこと。
だってレッスンの題材はモーツァルトの『ドン・ジョヴァンニ』第二幕「誘惑のデュエット」だよ。
また随分とふてぶてしいツェルリーナやな…
清楚で可憐なフィリッパとは大違いや。
でもね、オペラ『ドン・ジョヴァンニ』における花嫁ツェルリーナって「清廉な乙女」というタイプじゃないんだよ…
新郎より「やり手」で、かなりの「好き者」なんだよね。
なんてったって結婚祝いのパーティーを途中で抜け出してドン・ジョヴァンニとエッチしちゃいそうになるくらいの娘だ。
このデュエットは「あっちでこっそりヤリましょう」という歌なんだよ。
ええ〜!?マジで!?
よりによってこんな破廉恥な歌を練習曲に選んでる時点で、パパンの魂胆はわかるというものだ。
敬虔なクリスチャンの処女であるフィリッパにこんな内容の歌を歌わせるなんて、現代ならセクハラ以外の何物でもないし、どう考えても最初からヤル気満々だったとしか思えない。
まあ作者のイサク・ディーネセンもそのつもりで選曲しているし、フィリッパの父も「暗黙の了解」状態なんだけど(笑)
教団の「後継者作り」のためか…
その通り。
前にもこんな話をしたよね。
恋愛を知らない箱入り娘を何とか男とくっつけさせようとする父親の話…
何だったっけ?
シェイクスピアの『テンペスト』だ。
せやせや。映画『LIFE』の元ネタや。
『バベットの晩餐会』同様、外世界とは隔絶した世界で娘と共に暮らす前ミラノ大公のプロスペローは、嵐で島に漂着したナポリ王子ファーディナントと娘ミランダをくっつけさせようとするんだったね。
これまで人間の男性といえば老父しか見たことなかったミランダは、初めて見る若くて逞しい男性に衝撃を受けてしまう。お父さんのと全然違う!って(笑)
父プロスペローは「あとは若い者同士で…」と、娘と王子を二人っきりにする。
そしてしばらくした後に、プロスペローは二人を覗きに行くんだ。男女のことを知らない娘が心配で、無事に結ばれたか様子を見にね(笑)
そこでプロスペローが見た光景は、なんと二人が「チェス」をしている姿だった…
この先は子供は聞かないほうがいいかもな。
ブ〜ラジャー!耳栓しときま〜す(笑)
シェイクスピアはストレートな性描写を避け、「CHESS」をアナグラムとして使ったんやったな…
「CHESS」は並べ替えると「SECHS(セックス)」になる…
カズオ・イシグロも『夜想曲集』でこのネタを使っとった…
しかも「MEG RYAN(GERMANY)のCHESS」、つまりドイツ発祥の秘儀「ジャーマン・セックス」や…
その通り。
そういえばカズオ・イシグロ編は『夜想曲集』で中断したままだ。早く再開させないとな…
さて、「娘は嫁に出したくない。婿もとりたくない。でも子供だけは産ませたい」が信条の父は、こう考えたに違いない。
経験の浅い若者ロレンス・レーヴェンイェルムと違って、ヨーロッパじゅうの宮廷婦人のお相手も務めるパパンなら間違いはない…と。
父以外の男性と二人っきりになったことがないような箱入り娘に対し、オトナの男女二人っきりの特別レッスンを許すんだから、父の「期待」もひしひしと伝わって来るってもんだ。
だから父は不安がるフィリッパにあんなアドバイスをしたんだね…
"God’s paths run across the sea and the snowy mountains, where man's eye sees no track."
直訳するとこんなふうになる…
神の道筋は海を越え、雪を頂く峰々をも越えて続く。人の目には映ることはないが。
出たな!意味深すぎる預言!
だけど本当の意味は違うんだな。本当はこんな意味になっている…
愛の道筋は、白く清らかな胸を経て、生命が誕生する母なる海を貫く。しかしその痕跡は外からは見えない。
「snowy mountains」がフィリッパの「おっぱい」か!?
その通り。
第2章の冒頭で、姉妹の美しさが「別のモノ」に喩えられていたよね?
姉マチーヌが「花が咲き誇る果樹」で、妹フィリッパが「美しい雪山」だった。つまりフィリッパの特徴は「透き通るような白さを誇る美乳」ってことなんだ。
「雪山=美乳」?
古来から女性の身体的美しさを表現する時、豊満で美しい胸は「高い山」に喩えられるんだよね。
007シリーズの第1作『ドクター・ノオ』でも、ミス・タロ嬢が自身の美しい胸を「山」に喩えて、ショーン・コネリー演じるボンドを部屋に誘う。
最初はうつ伏せで電話してるんだけど、「こちらの山の眺めは最高よ」と言う時に仰向けになって、自分の胸の《峰々》をアピールするんだね…
なるほどな…
っちゅうことはルパン三世の「峰不二子」も…
胸が「富士山並み」の高さと美しさってことだね(笑)
ちなみにこれが「小高い山・丘」になると、胸ではなくて下腹部のデルタゾーンのことになる。
いわゆる日本語で言う「恥丘」だね。
モリマンか…
そういやアラン・ドロンとロミー・シュナイダーが初共演した映画『恋ひとすじに』の原作であるアルトゥール・シュニッツラーの『Liebelei』(邦題:恋愛三昧)でも、窓から薄っすら見える「こんもり」とした「はげ山」のシルエットでクリスティーヌの「恥丘」を表現しとったな…
ラブシーンの前後で不自然な「風景描写」があったら、だいたい「女体」を意味していると言っていい。
古典的な「お約束」だね。
アルトゥール・シュニッツラーの作品もちゃんと解説しなきゃならないな。スタンリー・キューブリックも惚れ込んでいたくらいの偉大な作家だ。
でも日本では森鴎外の翻訳がイマイチで、シュニッツラー文学の奥深さと斬新さが知られていない。『Liebelei』はサイコパスである父親が主人公の怖い話なのに…
お前のその謎の使命感は、どっから来るんや…
さて、「the sea」は説明しなくてもいいかな。
「海」は生命の誕生した場所であり、一世を風靡した流行歌でも「女は海」と歌われた。海と月と女性はセットみたいなもんだ。
私の「中」でお眠りなさい、やな。
言い方がエロいね。
お前に言われたくないわ!
さて、パパンはフィリッパと「レッスン」をしてるうちに、みるみる精力が蘇ってきて自分が若返るのを感じた。
いわゆる回春作用というやつだ。
四十男と十八の娘やさかいな。同じ空気吸ってるだけでも若返るっちゅうもんや。
そしてパパンはフィリッパをパリに連れて行きたいと言い出す。いい年して、とち狂っちゃったわけだね(笑)
もちろんフィリッパとしては、そんなことを父や姉には言えない。
というか、何が何だかわからない状態だったろうね。これまで「性」をタブーにされ、極端なまでに厳格に育てられた18歳の彼女にとっては…
突然オペラ歌手だというエロエロ中年男が現れ、なぜだか知らないけど父がこの人に「歌い方」を教えてもらえと言い出したんだから…
しかも誰の監視もない状態で二人っきりのレッスンだ…
ここでフィリッパは、家族に対して生まれて初めての「秘密」を持ってしまう…
『MOON』やな…
ちなみに「歌い方を教わる」というのもクセモノだね。
こちらも古来から「男女の交わり」の比喩として使われてきた。
女性が「良い声で歌う」というのは、アレの最中の「喘ぎ声」の喩えなんだ…
それがロックではエンジン音に置き換わったっちゅうわけや。
そうなの?
しらじらしいわ!素直にイエーって言え!
さて、パパンはいよいよ「レッスンC」に突入する。
BGMは『ドン・ジョヴァンニ』の「誘惑のデュエット」だ。「みんなには内緒でエッチしよう。お願い!」というストレートな内容の歌だね。
初Hの勝負曲としてはムードもへったくれも無い選曲なんだけど、切羽詰まったオッサンの藁をもすがる思いを代弁する歌として、広い心で許してあげよう(笑)
そして歌劇『ドン・ジョヴァンニ』と違って邪魔者が乱入してこないから「二人の初めての共同作業」は遂行され、パパンはフィリッパの両手を強く握りしめ、ゆっくりとタメながら愛のこもったキスをし、彼女から離れた瞬間パパンは放心状態になってしまう…
「初めての共同作業」って久々に聞いたわ!
しかもホンマに「アレが終わった後」みたいやんけ!
だってそうなんだもん。
イサク・ディーネセンは、レッスン中にやたらと「Opera(オペラ)」って単語を使うんだ。これって「Opera」がラテン語で「作業」という意味だからなんだよね。
第三章における「オペラ」とは、二人の愛の共同作業の隠語になっているんだよ。
マジか!
そしてパパンがフィリッパの体から離れて放心状態になっているところに、第三章で最高の一文が登場する。
Mozart himself was looking down on the two.
「モーツァルトその人が二人を見下ろしていた」やろ?
なんか変だと思わない?
せやな…
二人にとって一番うしろめたい相手は、モーツァルトやのうてフィリッパのオトンや。
でしょ?
実はこの「愛の共同作業の後」の状況で「Mozart」という名前を出すことに意味があるんだよ。
だってフィリッパとパパンはまさに「Mozart状態」だったから…
なんやねん、モーツァルト状態って?
ピンクってことか?二人は聖子ちゃんか?
「Mozart」という名前って「手入れのしていない女性器と逞しく立った男性器」って意味があるんだ。
ん、んなアホな…
冗談じゃなくて本当なんだよ。
辞書によると「mozart」は、かつて「mozahrt」と書いた。
そして前半部の「moz(mosz)」とはドイツ古語で「(草が生え、周期的に冠水する)湿地・沼地」って意味なんだ。
つまり、人の手が入ってなくて、草ボーボーで、常時グチョグチョというわけではない湿地帯だね。
(草が生え、周期的に冠水する)湿地帯…
そして「mozahrt」の後半部「ahrt(hart)」は「成熟し大きな角が生えたオス鹿」とか「雄鹿の角のような立派な突起物」という意味なんだよね…
(オス鹿の角のように立派な)突起物…
ドン・ジョヴァンニとツェルリーナよろしく「交合」しちゃった二人は、まだ陰部を露出したまま横たわっていた。
だからイサク・ディーネセンは「Mozartそのものが見下ろしてるようだ」と書いたんだね。
「Mozart」とはフィリッパとパパンの股間のことだったんだよ…
二人の股間でモーツァルト…
モーツァルトも草葉の陰で笑ってるかもしれないね。
モーツァルトって、こういうの大好きだから(笑)
そして父のもとに帰ったフィリッパは「これ以上レッスンはやりたくない。ムッシュ・パパンにそう手紙を書いて」と言う。
これも変やな…
何で急にフィリッパは態度を変えたんや?
それまでレッスンはスムーズに進んでいたはずやろ…
単純に痛かったんだよ。性に関する知識のない彼女は、こんなに苦痛を伴うとは知らなかったんだ。
だからレッスン中の描写は「恍惚とするパパン」のものばかりだったんだね。
だけど「成熟したオス鹿の角のような立派な突起物」を受け入れる側のフィリッパは、痛くてそれどころじゃなかったんだ…
お前の妄想やろ。
作者のイサク・ディーネセンは、それを父の預言という形でサラリと伝えているんだな。
レッスン中止を願う娘に対し、父はこんなアドバイスをした…
The Dean said;' And God's paths run across the rivers, my child.'
「神の道筋は、困難を越えて続いてゆくものなのだよ、我が子よ」
つまり、ちょっと辛いことがあったくらいで、人生投げたらアカンっちゅうこっちゃ。
鈴木啓示ばりの啓示やな。
うまいこと言うね。
さて、前回の啓示は「海を越え、高い峰々を越え…」と長いセンテンスだったけど、今回は「the rivers」だけのシンプルなものだ。
そしてここがポイントなんだよ。
実は「the rivers」の後の言葉が省略されているんだよね。
慣用句「rivers of tears(止まらない涙)」や「tears of blood(血の海)」という言葉が隠されているんだ…
その痛みを越えた先に「真の喜び」が待っているっちゅうことか!
お父さんにとっての喜び「妊娠」がね(笑)
そしてパパンはお父さんからの手紙を読んで非常に悔しがる。
「なんでこの俺がクビなんだ!あんたはプライベートレッスンをOKしたじゃんか!そうゆうことじゃなかったのか!?」ってね。
こんなことまで言って嘆いていた…
Don Giovanni kissed Zerlina, and Achille Papin pays for it!
「ドン・ジョヴァンニがツェルリーナにしたキスの代償をアシーユ・パパンが払うのか!」
この論理もオカシイな…
いくらそうゆう曲だからといって、勝手にキスしていいわけないやろ…
しかもオペラ『ドン・ジョヴァンニ』のことを何も知らんフィリッパが相手や…
いくら保護者の暗黙の了解があったとはいえ、今なら100%犯罪やで。
だよね。しかもさっきのセリフには面白い意味が隠されているんだ。
「誘惑のデュエット」の後にドン・ジョヴァンニはツェルリーナにキスをしてHに持ち込もうとするんだけど、ギリギリのところで邪魔が入って目的を遂げることが出来なかった…
つまりドン・ジョヴァンニの「メインディッシュ」は「おあずけ」になってしまったんだね。
その「借り」をパパンが払う、つまり「ドン・ジョヴァンニの代わりに目的を遂げた」ってことなんだ。
なるほどな…
そして姉マチーヌは妹フィリッパの様子がオカシイことに気付く。
フィリッパの表情を見ながら「second-sight(千里眼)」で「パパンとのキス」のビジョンを見るんだね。
だけど「キスの先」を知らないマチーヌは、それ以上のビジョンを見ることは出来ない…
妹の中で目覚めようとしている「女の性」を見抜くことまでは出来なかったんだ。
オトンの頭の中も見たらよかったのにな。
だね。
でもイサク・ディーネセンは父親の様子には全く触れない。
きっと姉妹の前ではポーカーフェイスを貫いていたんだろうけど…
崇高なる計画がバレてしまうからね(笑)
崇高なる家族計画(笑)
なんだか和やかムードで話してる感じだけど、オトナの話は終わったの?
ああゴメン、すっかり忘れてた。もう終わったよ。
ということで次回は第4章「A LETTER FROM PARIS(パリからの手紙)」だ。
来たな。
「A LETTER FROM PALESTINE(パレスチナからの手紙)」やろ。
『バベットの晩餐会』のキーワードである「コック」の秘密も解説しちゃうよ。
また子供は耳栓か(苦笑)
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