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    「クアドラプル・ミーニング(神業レベル)」『バベットの晩餐会』徹底解説:第五章・中篇

    • 2018.09.26 Wednesday
    • 15:47

     

     

     

    さて、第五章「STILL LIFE」の続きを見ていこう。例によって無駄話はナシで進めるよ。

     

     

    第五章の前篇はコチラ

     

     

     

    バベットがルター派プロテスタントの「しきたり」を、一週間悩んだ末に「形だけ」受け入れたところからやな。

     

     

    そうだったね。

     

    姉妹がバベットに実演して見せた「split cod(タラの開き)」と「ale-and-bread-soup(エールとパンのスープ)」とは、「Godを父と子に二分割すること」と「主の血と肉を体内に入れる」というキリスト教の教えや儀式のことだったんだ。

     

    バベットは信仰心の薄い世俗的なユダヤ人だったんだけど、さすがに突然「これをやれ」と言われて「はい」とは言えない。おもわずドン引きしてしまったんだね。

     

    でも他に行くところはないので彼女は悩んだ。だから受け入れるまでに一週間もかかったんだ。

     

     

    なんかオイラの知ってた『バベットの晩餐会』とは全然違うな。

     

     

    翻訳版はそこのところがすっぽり抜け落ちているからね。

     

    練りに練られた他言語の文章を日本語に変換するのは実に難しい。

     

    イサク・ディーネセンの作品は言葉遊びだらけで、全編に渡ってダブルミーニングやトリプルミーニングが駆使されているので、なおさらなんだ。

     

    しかもなぜか「そういう作家」だと思われていないから事態はより深刻ともいえる。

     

    ルイス・キャロルやジェームズ・ジョイスみたいに、読み手が「そのつもり」で作品に向かうわけじゃないからね…

     

     

    なるほど。まさにカズオ・イシグロと一緒だな。

     

     

    さて、姉妹には他にも心配があった。

     

    フランス人は贅沢で浪費癖のある美食家だと父に聞かされていたからだ。

     

     

    あれ?

     

    「カエルを食べるようなフランス人に料理なんか出来るわけがない」と思ってたんだよね?

     

    支離滅裂だな(笑)

     

     

    イサク・ディーネセンの描く姉妹は、かなりの「痛い系」なんだよね。

     

    世の中のことなんて何も知らないくせに、幼い頃から信者たちに「生ける女神様」みたいに祀り上げられているので、その気になって自分たちを「聖人候補生」くらいに思っているんだ。

     

    だけど姉マチーヌは透視能力で男性のオチンチンを見てたり、妹フィリッパは中年歌手パパンとチョメチョメしたことを何食わぬ顔で隠していた…

     

    そのギャップが面白いんだよ。超ウケるよね。

     

     

    なるほど、そうゆうキャラか。

     

     

    さて、ここでイサク・ディーネセンは、バベットの初日の出来事について言及する。

     

     

    なんで初日の話に戻るんや?

     

    第五章の始めにバベットが「仕事」を受け入れてく過程が描かれてたやんけ。

     

     

    ここからは「なぜ受け入れることが出来たのか?」が描かれるんだよ。

     

    要は「表向きは姉妹の指示に従ったけど、裏では何が起こっていたのか?」ということだね。

     

     

    まず、こんなことがあった。

     

    家政婦としての初日の作業に入ったバベットを、姉妹はわざわざ呼び寄せ、前に立たせてこんなことを言い聞かせる…

     

    they took her before them and explained to her that they were poor and that to them luxurious fare was sinful. 

     

    「自分たちは憐れむべき貧しい存在であり、日々の糧が贅沢であることは罪なのです」

     

     

    こんなこと念を押さんでもええやろ。

     

    姉妹の暮らしぶりを見れば貧乏っちゅうことくらい誰でもわかるわ。そもそも贅沢なメシ作ろうにも予算があらへん。

     

     

    この部分は「前フリ」なんだよ。ある意味「布石」みたいな一文だね。

     

    この後の文章で「poor」と「fare」が「別の意味」として活きてくるんだ。

     

    「poor」は「悪い状態」だけじゃなく「良い状態」にも使えるよね。「my poor ○○」と言った場合、そこには「poor」であることを肯定する意識がある。

     

    そして「fare」は「生きていくうえで継続的に提供・消費されるもの」という意味合いの強い言葉だ。

     

    元々は「旅にある」という状態を示す言葉なんだけど、旅を続けるには継続的に食料が必須だから、そちらの意味でも使われるようになったらしい。

     

    生きていくためには食べなきゃいけないし、旅の無事を祈って神に供物をする必要がある…

     

     

    なんだか読めてきたぞ…

     

     

    そして姉妹の言い聞かせは、こんなふうに続く。

     

    言葉の魔術師イサク・ディーネセンの真骨頂ともいえる文章だよ。

     

    Their own food must be as plain as possible; it was the soup-pails and baskets for thier poor that signified.

     

    普通に訳すとこうなるよね。

     

    自分たち自身の食べ物は出来るだけ質素でなくてはならない。重要なのは、鍋いっぱいのスープとパンで満ちたバスケットを、自分たちを頼る憐れな人々に分け与えることなのだ。

     

     

     

    「It is ○○ that ✕✕」の構文だな!「✕✕は○○だ」と強調するんだ!

     

    こんなこと子供のオイラでも知ってるぞ!どこが凄いんだ!?

     

     

    だけど2つの文を繋ぐ「;」(セミコロン)がクセモノなんだ。

     

    セミコロンには前後の文章が「同格」だという意味がある。

     

    つまり「同じことを言ってる」という意味でもあるんだよね…

     

     

    同じこと?

     

     

    後ろの文の主語「it」が、前の文の主語「their own food」を指すということ…

     

    つまり、後ろの文すべてが「thier own food」の説明であるとも取れるんだよね。

     

    そしてバベットは、そう解釈した。

     

    こんなふうにね…

     

    Their own food must be as plain as possible; it was the soup-pails and baskets for thier poor that signified.

     

    自分たちの供物は可能な限り明確なものでなければならない。それは満ちた大鍋と食料が積まれた大籠であり、決して満足することのない畏れ多い神が、自分たちに言い表したものなのだ。

     

     

    つまりバベットは、姉妹の言葉からこんなイメージを想起したわけだ。

     

     

     

     

    ああ!「plain」を「質素なもの」じゃなくて「明白なもの」と取ったのか!

     

    確かにユダヤ教の供物は事細かに定められたものだけだもんな…

     

    そして「大きなスープ鍋」と「食料が積まれたバスケット(燔祭台)」もある…

     

    でも「畏れ多い神」にあたる部分は、どこにも見当たらないぞ!

     

     

    だから何度もイサク・ディーネセンは言葉遊びのプロだと言ってるだろう。

     

    「their poor that signified」という言い回しがとてもトリッキーなんだよ。

     

    「poor」は「満足することのない」という意味もあるから、常に捧げものを要求する神って意味にもなるだろう?

     

     

    神を「poor」とは不敬だな(笑)

     

     

    だからイサク・ディーネセンは、わざわざ「signified」という単語を使ったんだよ。

     

    実はこれが「アナグラム」になってるんだ…

     

    アルファベットを並び替えると「dignifies(威厳を与える・奉る)」になるんだね。

     

    「their poor that dignifies」なら「満足することがない、畏れ多い神」だから不敬ではない(笑)

     

     

    ディーネセンパイセン、マジすげえ!

     

     

    驚くのはまだ早い。まだ続きがあるんだよ。

     

    姉妹の言うことを勘違いしたバベットのリアクションがまた面白い文章なんだ…

     

    Babette nodded her head; as a girl, she informed her ladies, she had been cook to an old priest who was a saint.

     

     

    またクセモノのセミコロンだな!

     

    しかも今度は後ろの文章にもコンマが連発されてて、手が込んでるっぽい! 

     

     

    そうなんだよね。

     

    このセミコロンとコンマのお陰で「as a girl」が前後の文どちらにもくっつくようになってるんだよ。

     

    「バベットは頷いて、少女の頃、聖人レベルの高僧のもとで料理人をしていた話を姉妹に伝えた」

     

    とも

     

    「バベットは少女のように頷いて、聖人レベルの高僧に料理を出していた話を姉妹に伝えた」

     

    とも受け取れるんだ。

     

     

    どう違うんや?

     

     

    前者だと「大昔、高僧の家に奉公していた」と聞こえるよね。

     

    だけど後者は「最近まで高僧たち相手に料理をしていた」と聞こえる。

     

    フランスNo.1のシェフだったバベットはもちろん後者の意味で言ったんだけど、そんなこと夢にも思わない姉妹は前者の意味にとった。

     

    さっき解説した部分ではバベットが姉妹の言葉を勘違いし、今度は姉妹がバベットの言葉を勘違いしたんだ。

     

    それをイサク・ディーネセンはいちいち説明せず、実に簡潔な文章で見事に表現したというわけ。

     

    まさに言葉の芸術家だよね(笑)

     

     

    ディーネセンパイセンぱねえ!

     

    そこにシビれる!あこがれるゥ!

     

     

    あんまりふざけないでくれるかな。まだ解説の途中なんだから。

     

    さて、さっきバベットが勘のいい読者に向けて「神ヤハウェに供物を捧げる光景」を想起させたので、次に続く文章はそのイメージを展開させたものにもなっている。

     

    しかも2つの異なるイメージだ。

     

    つまり二通りの解釈が出来た「バベットは頷いて…」の文章には、さらにもう二通りの意味が隠されているってことだね。

     

     

    もう二通り!?

     

    ダブルやトリプルミーニングを越えてフォー…あれ?

     

    何て言うんだ?

     

     

    クアドラプル・ミーニングだね。なかなかお目にかかれないよ。

     

    Babette nodded her head; as a girl, she informed her ladies, she had been cook to an old priest who was a saint.

     

    まず思い出してほしい。

     

    「Babette」とはギリシャ語の「Elisabeth」の短縮形だったよね?

     

    つまりバベットという名前は、洗礼者ヨハネの母エリサベトを意味していた。

     

    それを踏まえて訳してみると…

     

    「エリサベツは少女のように頷いて、聖人である老祭司に料理を作っていたことを姉妹に伝えた」

     

     

     

    ああ、そうか!

     

    エリサベツが料理を作っていた相手、聖人の老祭司って、旦那さんのザカリアのことじゃんか!

     

    奥さんだったんだから当たり前の話だ!(笑)

     

     

     

    そしてエリサベツのヘブライ語読みは「エリシェバ」だったよね。

     

    バベットという名前のルーツは、このエリシェバなんだ。

     

    だからこんなふうにも訳せる…

     

    「エリシェバは頷いて、大昔、聖人である老祭司に料理を作っていたことを姉妹に伝えた」

     

     

     

    今度は誰や?

     

    エリシェバのツレは何処のどいつや?

     

     

    エリシェバの旦那さんといえば、エクソダスを率いたモーセの兄アロンだよ。

     

    ユダヤ教において祭司とされる人物は、皆アロンとエリシェバ夫婦の子孫ということになっている。

     

    AARON

     

    アロンはヘブライ聖書における最初の祭司で、神に直接選ばれたモーセを補佐して「まつりごと」を執り行い、不平不満ばかり口にする民をまとめた人物だ。つまりアブラハムの宗教における最初の首相みたいなもんだね…

     

    この絵のように「アロンの杖」を持ち、神の力で様々な奇跡を行った。

     

     

    モーセの海割りで有名な杖だな。

     

     

    ちなみに以前、バベットの夫と息子が殺されるのは「夫ザカリヤと息子ヨハネを殺されたエリサベツが元ネタだから」と言ったよね。

     

    だけど、実はエリサベツがオリジナルではなく、本当の元ネタはエリシェバなんだよね。

     

    まずエリシェバの夫アロンは、岩から水を出す奇跡の時に神の名を民に告げず、杖で岩を二度叩いてしまったことで神の逆鱗に触れ、約束の地を目前にして死ぬことになった。

     

     

     

    でもあのとき杖で叩いたのはモーセじゃんか。

     

     

    祭司として責任を取らされたんだよ。

     

    それに「金の子牛事件」や「外国人差別」で「前科」もあった。スリーアウト制だったのかもしれないね。

     

    そしてエリシェバの四人の息子うち二人は、燔祭台で「怪しい香りのする煙」を焚いてしまい、こちらも神の逆鱗に触れ、死んでしまった。

     

     

     

    「兄やん、アレ入れよ、アレ」って言うとる感じやな。

     

     

    なんだよアレって…

     

     

    このように1つの文章で四通りの意味になっていたんだね。

     

    Babette nodded her head; as a girl, she informed her ladies, she had been cook to an old priest who was a saint.

     

    「バベットは少女の頃、高僧の家で料理を作っていた」

    「バベットは最近まで、高僧相手に料理を作っていた」

    「エリサベツは、老祭司ゼカリアに料理を作っていた」

    「エリシェバは大昔、老祭司アロンに料理を作っていた」

     

     

    この一文の解説でそうとう労力を費やしたな!

     

     

    だね。

     

    さて、姉妹が「タラの開き」と「エールとパンのスープ」を実演した時、バベットは表情からあらゆる感情が消えうせるほどドン引きした。

     

    悩んだ末、受け入れるまでに一週間もかかったんだね。

     

    ではなぜバベットはドン引きしたのか?

     

    その原因は、初日の朝の「勘違い」にあったわけだ。

     

    バベットは姉妹の言葉を勘違いしてしまった。姉妹はルター派プロテスタントの清貧思想を説明していたのに、バベットはそれを「幕屋の儀式」のことだと思ってしまったんだ。

     

    わざわざ姉妹が仰々しいムードで話すもんだから、てっきり「改宗は迫らない」という話だと思い込んだんだね。

     

     

    だから姉妹に突然「タラの開き」と「エールとパンのスープ」を強要されて、顔面蒼白になってしまったのか。

     

    「最初と話が違う…」と思ったんだ。

     

     

    その通り。この物語はバベットを中心に「勘違い」が錯綜するんだよね。

     

     

    まずオペラ歌手パパンは、あえて「バベットが非クリスチャンのユダヤ人であること」を手紙に書かなかった。

     

    そんなこと書いたら保守的な姉妹に受け入れてもらえないからね。カトリック教徒にさえ警戒するぐらいだったから。

     

    おそらくパパンはバベットに「ユダヤ人であることは隠せ」と言っていたはずだ。

     

    「いずれはバレるかもしれないが、まずは受け入れてもらうことが最優先だ。だから当面は隠しておけ」とね…

     

     

    そして手紙を読んだ姉妹は「バベットはカトリック教徒」だと決めつける。

     

    カトリックであるパパンの紹介だから、当然バベットもそうだろうと思い込んだんだ。

     

    本来はきちんと確認するべきなんだけど、異教徒に免疫のない姉妹は怖くて聞けないんだね。

     

     

    バベットはバベットで、姉妹の言葉を「ユダヤ教容認」と勘違いした。

     

    だけどその期待はすぐに吹き飛んでしまう。そして一週間悩んだ末「形だけ」は受け入れることにする…

     

     

    なんで「形だけ」ってわかるんや?

     

     

    それが第五章の最後に描かれる…

     

    バベットは姉妹の見えないところで「ある行為」を行っていたんだ…

     

     

    次回に続く、だね。

     

     

    その通り。

     

     

     

     

     

     

     

    JUGEMテーマ:小説全般

    「フランスでは人々が蛙を食べます」『バベットの晩餐会』徹底解説:第五章前篇

    • 2018.09.19 Wednesday
    • 22:32

     

     

     

     

    さて、第五章『STILL LIFE』の解説をしよう。

     

    例によって僕はイサク・ディーネセンの『バベットの晩餐会』をもとに解説しています。

     

     

     

    STILL LIFE?「平穏な生活」っちゅうことか?

     

     

    普通に訳せばそうなんだけど、そんな単純なハナシじゃないんだ…

     

    表向きは「平穏な生活」に見えるけど、実際は違うんだよね…

     

    第5章で描かれることを要約するとこうなる…

     

    「バベットにルター派プロテスタントへの改宗を迫る姉妹と、それを表面上は受け入れるものの、かえってユダヤ人としてのアイデンティティに目覚めてしまうバベット」

     

     

    わお!

     

    毎回ムダ話ばっかりで結論までなかなか辿り着かないから、先に要約があると読むほうは楽だよね!

     

     

    では無駄話なしで、さっそく第5章を見ていこう。

     

    まずはバベットの「変化」が描かれる。

     

    田舎町Berlevaagに辿り着いた時のバベットは、やつれ果て、追われた獣のような表情をしていた。

     

    それもそのはず。バベットは殺人・放火・反逆罪など様々な罪で死刑になるはずだった。

     

    だけどパリから脱出し、甥が働く客船の貨物室に隠れて密航し、ノルウェーの首都クリスチャニア(現オスロ)からBerlevaagまで、人目を避けながら逃走して来たんだ。

     

    クリスチャニアからBerlevaagまでの距離は、日本でいうと北海道から九州までの距離に等しい。

     

     

    その間を、ノルウェー語も全く話せない密入国者バベットが逃亡したんだから、そうとう危険な旅だったことが想像できる。

     

    そしてバベットは、Berlevaagで暮らし始めてすぐに変わっていった。

     

    当時は「Beggar(乞食)」同然だったバベットが、今では「conqueror(征服者)」のようだというんだね…

     

     

    えらい変わりようやな。

     

     

    だってBerlevaagは「中世」で時間が止まったような場所だ。

     

    こんな僻地を訪れる外国人なんてほとんどいないだろう。姉妹やその父にとってオペラ歌手パパンが「生まれて初めて見たフランス人&カトリック教徒」だったくらいだからね。

     

    「世界」というものを全く知らない人たちの中に、ヨーロッパ文化の中心であるパリからやって来たわけだから、周りの人から見れば「征服者」のように堂々と見えるのも当然だ。しかもバベットはパリNo.1のシェフで、彼女は王侯貴族やセレブに一目置かれていたんだからね。

     

    僕がド田舎で小学生をやっていた時に東京から転校して来た根上君も、まさにそんな感じだった…

     

    「東京から転校生が来ます」と先生から告げられた時にクラスに走った「どよめき」は今でも覚えている。期待と不安が入り混じった興奮に包まれたんだ。

     

    最初に根上君を見た時、僕には彼がキラキラ輝いて見えたよね。

     

     

    脱線脱線。

     

     

    失敬。

     

    さて、このバベットの威風堂々とした様子について、作者のイサク・ディーネセンは興味深い言い回しをしている。

     

    Her quiet countenance and her steady, deep glance had magnetic quolities; under her eyes things moved, noiselessly into their proper places.

     

    彼女の落ち着き払った表情と、深く強い眼差しは、磁力のような不思議な力を持っていた。彼女の周囲では、ものごとが音もなく「あるべき姿」へと収まるのだ。

     

     

    なんか意味深やな。

     

     

    この作品のテーマを説明する重要な一文だね。

     

    つまりこういうことなんだ。

     

    「姉妹たちの教団の間違ったストイシズムが、バベットの正しいストイシズムに収斂されてゆく」

     

     

    スバっといったな。

     

     

    快傑バベット、なんちゃって。

     

     

     

    脱線しねえって言っただろ!

     

     

    失敬失敬、根本敬。

     

     

    それ「たかし」で「けい」じゃないから!

     

    「麻生区(あさおく)」もそうだったけど、アンタは漢字読めないんかい!

     

     

    人名とか地名は所詮「あて字」だからね。慣用句や四字熟語と違って、読めないことは別に恥ずかしいことではない。

     

     

    確かにそうやな。

     

     

    さて、イサク・ディーネセンはこうも書いている。

     

    Her mistresses at first had trembled a little, just as the Dean had once done, at the idea of receiving a Papist under their roof. 

     

    バベットの主人となった姉妹は、同じ屋根の下に異教徒であるカトリック信者を受け入れるということに、最初は少し恐怖で震える思いがした。かつて父であるDean(監督牧師)がそうした時のように。

     

     

    オーバーだな(笑)

     

     

    でもね、「Papist」って言葉が使われているように、これは決して大袈裟なことじゃないんだ。

     

    「Papist」というのはカトリック教徒に対する蔑称で、「教皇至上主義者」とか「法王の犬」って意味の言葉なんだよ。

     

    まともな感覚を持つ人は、ふつう使わない言葉だ。そんな言葉をあの姉妹は使っているんだよ。

     

    ちなみに第1章では、姉妹の父が興した教団に対して「sect(異端的集団)」という言葉が使われていたよね?

     

    この教団は、過激なまでの禁欲主義を掲げる急進的なルター派で、カトリックの教義や文化を全面否定していた。現世での喜びや快楽を全て幻想だとし、それを感じることを罪だとしていたんだよね。

     

    だからカトリック教徒への偏見が極端なんだ。しかも普段カトリック教徒と接触するどころか目にもしないもんだから、どんどん脳内で偏見が加速していったんだね。

     

    戦時中に日本の田舎の人たちが「鬼畜米英」を信じていたのと同じだ。生まれてこのかた外国人なんて見たこともない年寄りや子供たちの中には、ほんとに鬼だと思っていた人もいたらしい。

     

     

    つまり頭がオカシイのは姉妹たちのほうってこと?

     

     

    作者のイサク・ディーネセンからすると、そういうことなんだね。

     

    彼女は娘時代を花の都パリで過ごし、離婚後も夫の姓を名乗り続けて貴族であることにこだわり、食の面ではシャンパンと牡蠣をこよなく愛した人だ。

     

    北欧で礼賛されがちな極端な清貧・禁欲主義に対し、ひとこと言いたかったんだろう。

     

    「スカしてんじゃねえよ」って(笑)

     

     

    確かに言いそうな雰囲気…

     

    Isak Dinesen/Karen Blixen

     

     

    そして姉妹は、バベットの威風堂々とした姿に不安や脅威を感じ、彼女の改宗を試みる。

     

    100%ルター派のこの村で、異邦人で異教徒であるバベットが尊敬を集めるというのは、教団を率いる姉妹にとっては非常にマズいことだからね。

     

    だけど姉妹にはバベットとフランス語で宗教論争できるほどの語学力がない。そこで、別の手段に訴えた…

     

    They silently agreed that the example of a good Lutheran life would be the best means of converting their servant. In this way Babette's presence in the house become, so to say, a moral spur to its inhabitants.

     

    姉妹は、善きルター派の生き方を見せることが彼女たちの僕(しもべ)の改宗を促す最善の方法であることを暗黙の了解とした。こうして、この家はバベットの存在によって「モラル競争」の様相を呈してきた。

     

     

    「STILL LIFE(平穏な日々)」の水面下では、激しいバトルが繰り広げられたっちゅうことやな…

     

     

    人間、きれいごとばかりでは済まされないということだ。

     

    そして姉妹の異教徒や外国人に対する偏見が如実に表れる描写がある。

     

    They had distrusted Monsieur Papin's assertion that Babette could cook. In France, they knew, people ate frogs.

     

    姉妹はムッシュ・パパンの「バベットは料理が出来る」という言葉を信じてはいなかった。フランスでは人々が蛙を食べるということを聞いていたからだ。

     

     

     

    偏見とかいうレベルちゃうやろ…

     

    「蛙を食べるようなフランス人がまともに料理を出来るわけがない」ってことやで…

     

    完全に差別意識や…

     

     

    よっぽど父に吹き込まれたんだろうね。カトリックの教義やカトリック国の文化に対する間違った知識を…

     

    だから彼女たちは「外国人・異教徒」を得体の知れない恐ろしい存在だと思うようになってしまったんだ…

     

     

    ちなみにフランス人はほんとにカエルが好きなの?

     

     

    みたいだね。

     

    日本の一部の地域でも昔は普通に食べられていて、20世紀には食用蛙として大量に輸入されたこともある。だけど近代日本に蛙食は普及しなかったんだ…

     

    ちなみにフランス人は、肉付きのいい後ろ脚を油で揚げて食べるのを好む。フライドチキンみたいに。元々はブルゴーニュ地方の郷土料理だったらしいよ。

     

    (「フロッグレッグ」楽天市場へ)

     

    ディズニー映画『The Princess and the Frog』(邦題:プリンセスと魔法のキス)でもチラッと映るよね。

     

    シェフがフライパンで揚げているのが、エビフライっぽく見えるけど実は蛙の後ろ脚なんだ。さりげないジョークだね(笑)

     

     

     

    あらら…

     

     

    しかし、この「フランス人は蛙を食べる」には別の意味が隠されているんだ…

     

    イサク・ディーネセンは「別のこと」を言いたくて、このネタを使ったんだよね…

     

     

    別のこと?

     

     

    パパンのオペラレッスンに「全く違う意味」が隠されていたように、劇中に登場する「料理と酒」も「全く別の意味」になっているんだよ…

     

    第三章でパパンが演じた「ドン・ジョヴァンニ」は、実は「ジョヴァンニ・バティスタ(洗礼者ヨハネ)」だった…

     

    そしてレッスンの課題曲『ドン・ジョヴァンニ』は、実は「洗礼者ヨハネ」がクビを切られてキスをする歌劇『サロメ』だった…

     

    それを踏まえると、第五章以降に登場する「一連の料理と酒」の意味も自ずとわかってくるだろう…

     

    洗礼者ヨハネのあとに続く物語といえば…

     

     

    イエス・キリストの物語?

     

     

    そういうこと。

     

    『バベットの晩餐会』に登場する「料理や酒」は、すべて「イエス・キリストの物語」の喩えになっているんだよ。

     

    晩餐会のメニューに限らず、本章で描かれる地元料理や「フランス人の蛙」にもね。

     

     

    せやけどイエスの物語に「蛙」は出て来んやろ。蛙が出て来るのは「出エジプト記」や。

     

     

     

    言葉遊びのエキスパートであるイサク・ディーネセンを甘く見てもらっちゃ困るな。

     

    まず、この小説における「Paris(パリ)」とは「Palestine(パレスチナ)」のことだった…

     

    そして「Frenchman(フランス人)」とは「ユダヤ人」のこと…

     

    だから「フランス人の手でフランス人の血が流されたパリ・コミューン」とは…

     

    「ユダヤ人(ヘロデや民衆)の手でユダヤ人(ヨハネやイエス)の血が流された異端者弾圧」のことだったんだ…

     

    そうなると、この「In France, people ate frogs」の意味とは?

     

     

    「ユダヤ地方では人々が蛙を食べる」ってこと?

     

    そんなこと聞いたこと無いな…

     

     

    違うんだよ。

     

    「In France, people ate frogs」は…

     

    「ユダヤ地方では人々が主イエスをムチで打つという愚行を犯した」

     

    と訳せるんだよね。

     

     

    どっから「イエスを鞭打つ」が出て来るんだよ!?

     

     

    「frog(蛙)」が「flog(むち打つ)」の駄洒落になってるんだ。

     

    そして「ate(食べた)」は、古ギリシャ語の「ate(愚行・狂信)」なんだね。

     

    だから「people ate frogs」で「人々は鞭打つという愚行を犯した」という意味になるんだよ…

     

     

    なぬ!?

     

    「frog」と「flog」の駄洒落はまだわかる。うちらは気付かなくても英語話者なら気付くはず…

     

    でも古ギリシャ語の「ate」は無理があり過ぎるぞ!

     

     

    日本人には馴染みが薄いかもしれないけど、欧米人の間では結構ポピュラーだと思うよ。

     

    ギリシャ神話にも、そのものズバリ「Ātē(アーテー)」という頭の狂った女神が登場するしね…

     

    かつては利口だった人間が愚かになったのは、このアーテーのせいだとされているくらいポピュラーな存在なんだ。

     

    だから文学好きの欧米人は気付くと思うんだけど、そうじゃない人のために第5章のラストに「古代ギリシャの狂信的な巫女」が登場するんだよ。

     

    イサク・ディーネセンからのヒントだよね。

     

     

    な、なるほどな…

     

     

    さて「フランス人のバベットに《料理》なんか出来るわけがない」と頭ごなしに考えた姉妹は、Berlevaagの地元料理を教え込もうとする。

     

    ここは最高に面白いシーンだね…

     

    They showed Babette how to prepare a split cod and an ale-and-bread-soup; during the demonstration the Frenchewoman's face became absolutely expressionless.

     

     姉妹はバベットに「タラの開き」と「パンとエールのスープ」をどうやって作るのか実演して見せた。この間、フランス女の顔つきは、完全に感情のないものへ変わっていった。

     

     

    料理を見たらプロの本能が目覚めて厳しい表情になったっちゅうことか?

     

     

    違うんだな。

     

    「expressionless」とは「プロの顔つき」ではない。表情に「意思や情熱が無い」という意味だからね。

     

    バベットの表情の変化はネガティブな反応なんだよ。つまり「ドン引きした」ってことだ。

     

     

    ドン引き?なんで?

     

    そんなに変な料理だったのか?

     

     

    「a split cod」と「an ale-and-bread-soup」

     

    というのは…

     

    「神を引き裂いて、その血と肉を喰らう」

     

    という意味なんだ…

     

     

    ええ〜〜〜〜!?

     

     

    「cod(鱈)」は「God(神)」のことなんだよね…

     

    いくつか翻訳されている日本語版では「a split cod」が「鱈の干物」となっているんだけど、やっぱりここは「引き裂く」という意味が重要だから「ヒラキ」が適切だ。

     

    「drying」とか「dried」という語が入っていれば「干物」でいいけど、そうではないからね。

     

     

    そこ大事なのか?

     

     

    大事だよ。

     

    「codをsplitする」とは「神を引き裂く」という意味だから。

     

    つまりユダヤ教では「唯一にして絶対」だった神ヤハウェが、キリスト教で「二つの存在に裂かれた」ことを言っているんだ。

     

    父(ヤハウェ)である神と、子(イエス)である神だね。

     

    それまでのユダヤ人の考え方では「ありえない」ものだったから、イエスはムチ打たれて十字架に掛けられたんだよね…

     

     

    なるほど…

     

    二枚に開いた一匹の鱈を、二つに分かれた唯一神に喩えていたのか…

     

     

    そうなると「an ale-and-bread-soup(エールとパンのスープ)」もすぐにわかるでしょ?

     

    「聖餐(最後の晩餐)」における、イエスの「血(葡萄酒)」と「肉体(パン)」のことだよね。

     

     

    エールって何?

     

    ジンジャーエール?

     

     

    「ale」とは上面発酵だけで作られる原始的なビールのことだ。

     

    中世のイギリスや北ヨーロッパなどでは、庶民は食事の時にエールを水の代わりに飲んだり、具を入れてスープにして飲んでいた。

     

    庶民にとって綺麗な水は手に入れることが困難だったし、発酵ドリンクであるエールは貴重な栄養源だったんだね。

     

    ワインも庶民には高級品で、貴族しか飲めなかった。ヨーロッパ北部は気候が寒冷なので葡萄が栽培できず、ワインは輸入に頼っていたんだよ。

     

    だから後の章で姉妹はフランスのワインに「名前が付いている」ことに驚くんだ。ボトルに入れられた銘柄ワインなんて見たことも聞いたこともなかったんだね。

     

    おそらく儀式や祝い事で使うワインも、業務用料理酒みたいに格安で名前が付いてないようなものだったんだろう。フランスの貧困層でも飲まないようなね…

     

     

    つまりBerlevaagのような辺境の地に住む人たちは、ワインなんてものは滅多に口にすることが出来ず、代わりにエールを飲んでいたというわけなんだね。

     

     

    そういうこと。

     

    そして面白いのはバベットの表情の変化だ。姉妹が実演しているのを見て、感情が消えていったというんだね。

     

    つまり「マジで?キリスト教の教義を私に押し付けるわけ?」ってドン引きしたんだよ。

     

    なぜならバベットはユダヤ人だからね。

     

    その日からバベットは考える。異教徒の儀式をユダヤ人である自分が行っていいものかどうかを…

     

    そして一週間後のある日、バベットは「split cod」と「ale-and-bread-soup」を姉妹に披露する。

     

    しかもBerlevaagの誰よりも上手に。

     

     

    そうゆう意味だったのか…

     

    じゃあバベットはクリスチャンに改宗したってこと…?

     

     

    そんなわけないじゃん。

     

    冒頭で「STILL LIFE(平穏な日々)の水面下では激しいバトルが行われていた」って言ったでしょ。

     

    バベットはうわべだけ姉妹に合わせたんだよ。

     

    そしてこの行為が、眠っていた彼女のアイデンティティ問題を呼び覚ますことになった。

     

    詳しくは次回、後篇で。

     

     

     

     

     

     

    JUGEMテーマ:小説全般

    「Babette can cook」『バベットの晩餐会』徹底解説:第四章後篇

    • 2018.09.17 Monday
    • 18:38

     

     

     

     

     

    さて第4章「パリからの手紙」の続きを解説しようか。

     

     

    前回は無駄話ばかりで全然先に進まなかったな(笑)

     

     

     

    ええかげんな奴じゃけん、ほっといてくれんさい♪

     

     

    もうええわ!

     

     

    『刑事物語』の樹木希林、亡くなっちゃったね。

     

     

    ふつう「『寺内貫太郎一家』『ムー』『はね駒』などのTVドラマでお茶の間の人気者となり、その後は『東京タワー 〜オカンと僕と、時々、オトン〜』『万引き家族』などの映画で見せた演技力や存在感が高く評価された樹木希林」でしょ!

     

     

    僕は『ムー』と金田(かねた)さんの大ファンだったんだ…

     

     

    今こうして金田一耕助の格好をしているのも何かの縁かもしれない…

     

    これを機会に「金田三(かねたさん)耕助」に改名しようかな…

     

     

    そういえば樹木希林も金田一映画に出とったな。

     

    異色作『金田一耕助の冒険』や…

     

     

     

    この映画はいろんな意味で凄いよね…

     

     

    もう脱線はおしまい!『バベットの晩餐会』の話をしようよ!

     

     

    ごめんごめん、すっかり忘れていた。今回はもう最後まで脱線はしないで真面目にやるからね。

     

     

    さて、前回はオペラ歌手パパンからの手紙の冒頭部分を解説した。

     

    「Babette(バベット)」は「Elizabeth(エリザベス)」の短縮形であり…

     

    そのモデルとなった人物は、新約聖書の登場人物エリサベツ(エリシェバ)であり…

     

    パリ・コミューンで王侯貴族派に殺されたバベットの夫と息子とは、イスラエル領主ヘロデに殺されたエリサベツの夫ザカリアと息子ヨハネで…

     

    「ladies' hairdresser(貴婦人のヘアドレッサー)」とは「新思想を広める準備をする人」という意味だった…

     

     

    「バベット=エリザベス」と「ヘアドレッサー」には驚いたな!

     

     

    そしてパパンからの手紙には、バベットに関してこんなことが書かれていた…

     

    She herself was arrested as a Pétroleuseー(which word is used here for women who set fire to houses with petroleum)ーand has narrowly escaped the blood-stained hands of General Galliffet.

     

    彼女自身も《Pétroleuse》(石油女:家々に石油を撒き火を付けた女性たちを当地パリではこう呼ぶ)として逮捕された。そして殺戮者ガリフェ将軍の手から辛うじて逃れた。

     

     

    Pétroleuse?石油女?

     

    そういや同じタイトルの映画があったな…

     

    テキサスを舞台にフランス女たちが《胸の谷間》で勝負するっちゅう、謎のフランス語西部劇や…

     

    ブリジット・バルドーとクラウディア・カルディナーレのダブル主演やった。

     

     

     

    これのことだね。

     

    胸の谷間のためだけに作られた映画だ(笑)

     

     

     

    脱線しないって言っただろ!

     

     

    めっちゃ笑顔やんけ。ホンマは好きなくせに…

     

     

    「Pétroleuse(石油女)」とは、パリ・コミューンが壊滅する直前に、市内各地に石油を撒いて火をつけて回った女たちのこと…

     

    そして手紙にはガリフェ将軍の名前だけがフューチャーされてるけど、パリ・コミューン鎮圧に当たった将軍はたくさんいる。

     

    その中でガリフェ将軍だけが選ばれたのは、彼の名前が「ガリラヤ」を想起させるからだ。

     

    洗礼者ヨハネやイエスたちを弾圧して虐殺したのは、ガリラヤ領主ヘロデ・アンティパスだからね…

     

     

    なるほど!

     

     

    そして「Petroleuse」とか「petroleum(石油)」の「PETRO(石)」は、ローマ・カトリック教会を築いた使徒ペトロのことでもあるね。

     

     

     

    イエスが漁師シモンに「ケファ(石)」というアラム語の渾名を付けたから、後にギリシャ語で「ペトロ(石)」と呼ばれることになったんだよね!

     

    詳しくはコチラで!

     

    『明けない夜はないってことを明けない夜に考えていた石ちゃんはその後どうなったのか?』

     

     

    だからバベットが「Petroleuseとして死刑になりかけたけど逃れた」というのは、エリサベトが「夫や息子のイエス・キリスト信仰のために死刑になりかけたけど逃れた」ことから取られているんだね。

     

    夫ザカリアや息子ヨハネと違って、聖書にエリサベトが死刑になったという記述は見当たらないから、イサク・ディーネセンは想像を膨らませたんだろう…

     

    誰かの助けによってエリサベトはパレスチナから逃亡できたんだって…

     

     

    そういや『ダ・ヴィンチ・コード』では、秘密の子を宿したマグダラのマリアがフランスへ逃亡しとったな。

     

     

    他にも現在のフランスにあたるガリア地方へ逃げたとされる「イエスに関わった女性」はいるんだよ…

     

    その女性は第5章に登場するから次回にたっぷり解説しよう…

     

    さて、パパンの手紙ではバベットの逃走の模様が描かれる。

     

    バベットは「甥」の手助けで海を渡ったんだね…

     

    A nephew of hers is cook to the boat Anna Colbioernsson, bound for Christiania - (as I believe, the capital of Norway) - and he has obtained shipping opportunity for his aunt. This is now her last sad resort!

     

    彼女の甥がクリスチャニア行きの客船アナ・コルビョルンソン号でコックをしていて(クリスチャニアはノルウェーの首都で間違いないはず)、叔母であるバベットを貨物庫に忍び込ませ密航させるチャンスを得ました。そして今この手紙を読んでいる場所こそが、彼女にとって一縷の望みなのです!

     

     

     

    なんか、めっちゃ臭うで。

     

     

    だよね(笑)

     

    「クリスチャニア行きの船アナ・コルビョルン号で料理人をしているバベットの甥」って、実は聖母マリアのことなんだ。

     

    さすがに19世紀の客船の料理人に女性は居ないから「甥」にしたんだろうね。

     

    マリアはエリサベツの姪だった。そしてマリアの母の名は「ANNA(アナ)」だ。

     

    そしてマリアはイエス・キリストをお腹に身籠った。まさに「クリスチャニア行きの船」だね。

     

     

    なるほど!うまい!

     

     

    作者のイサク・ディーネセンは、先程の「ペトロ」連発に続き、ここでは「クリスチャニア」を強調する。

     

    これは読者に「バベットはカトリックのキリスト教徒」だと思い込ませるためだね。

     

    実はイサク・ディーネセンは物語の中で一度も「バベットはクリスチャンだ」なんて書いていないんだ。

     

    オペラ歌手パパンはカトリックであることを公言したけど、バベットは信仰については何も語らないし、最後まで誰もそれを尋ねない…

     

    そして小説版のバベットは、映画版みたいに十字架を身に着けているわけでもなく、礼拝にも一度も参加しない…

     

    姉妹と一緒に祈ったり讃美歌を歌うなんてシーンは無いんだよ。十数年も一緒に住んでいるのにね…

     

     

    ガチの異教徒ってわけか…

     

     

    さて「cook」についても、ちょっと話そうか。

     

    英語には調理法ごとに「料理する」を意味する単語があるんだけど、「cook」の場合は「外部から熱を加えて素材を変化させる」が本義だ。

     

    だから「cook」は「物事を巧みに進める・いつのまにか成功させる」という意味でも使われる。

     

    これが『バベットの晩餐会』という物語のキーワードになっているんだね。

     

     

    クック船長やサム・クックやティム・クックがカリスマ視されるのは「cook」のお陰かもしれんな。

     

     

    そういえば「クックロビン音頭」なんて歌もあったよね!

     

     

     

    でも元ネタとなったマザーグースの歌は「cook robin(クックロビン)」じゃなくて「cock robin(コックロビン)」なんだ。

     

    なぜ「コック」を「クック」にしたんだろう?不思議だよね…

     

     

     

    ホントだ!変なの!

     

    そういえば日本語では「料理人」の時だけ「コックさん」って言うけど、これもよく考えてみるとオカシイな…

     

    「COOKPAD」は「コックパッド」じゃないし、「COOKING PAPA」は「コッキング・パパ」じゃないのに…

     

     

    コッキング・パパはアカンやろ…

     

     

    江戸時代に入って来たオランダ語の影響らしいよ。オランダ語で「cook」は「kok(コック)」だから。

     

    そして「kok」はイサク・ディーネセンの母国デンマークや『バベットの晩餐会』の舞台ノルウェーなど、ノルディック圏でも同じなんだよね。

     

    だからノルディック圏の人々は、英米人と話す時に気を付けなければならないそうだ。

     

    「I love kok!」なんて言ったら恥ずかしい思いをしてしまうから…

     

     

    ノルディックだけに…

     

     

    何の話してるの?


     

    第7章「THE TURTLE(亀)」の布石だよ。

     

    さてパパンの手紙に戻ろう。

     

    パパンのバベットに関する記述は、こんな風に終わる…

     

    How she is to get from Christiania to Berlevaag I know not, having forgotten the map of Norway. But she is a Frenchwoman, and you will fiind that in her misery she has still got resourcefulness, majesty and true stoicism.  

     

    彼女がどのようにしてクリスチャニアからベアレヴォーに辿り着くかは私にはわからない。ノルウェーの地図を忘れてしまったから。しかし彼女は誇り高きフランス女だ。一見惨めな境遇にある彼女が、どんな困難な状況でも対処し、常に毅然とした態度を貫き、真のストイシズムを持つ人間だということを、あなたたちは理解するに違いない。

     

     

    ここもアヤシイな!

     

     

    「パリ」が「パレスチナ」の喩えだったように、ここでの「フランス人」は「ユダヤ人」の喩えになっている。

     

    ディアスポラ(離散)したユダヤ人たちのことを言っているんだね。

     

    「stoicism」って「忍耐・禁欲主義」みたいに思われがちだけど、本来は「どんな境遇になっても幸福を見出す」とか「不幸に動じない」という姿勢を指すんだ。

     

     

    まさにヨーロッパ各地に離散してキリスト教徒からの差別を受け続けたユダヤ人やんけ…

     

     

    そしてパパンは「バベットの境遇に嫉妬する」と記す。「あなたたちの顔が見れるのだから」とね。だから「たまにはフランスへ想いを馳せてくれ」と姉妹に願う。

     

    そしてフィリッパへの想いも綴る。

     

    まずは「この15年間、パリのグランド・オペラ界であなたの歌声を聴けなかったことが残念でならない…」と、叶えられなかった夢を悔やむ。

     

    それから「だけどあなたは最善の選択をし、私は惨めな老後を迎えた…」と現実を語る。

     

    そして「昔の名声や栄光なんて、死んだら何の役にも立たないのだ!」と嘆くんだ。

     

     

    パパンさん、可哀想…

     

     

    彼は「ドン・ジョヴァンニ」こと「洗礼者ヨハネ」だからね。

     

    そして「パリのグランド・オペラ」とは「パレスチナの壮大な物語」だ。

     

    聖書の中でイエスはヨハネについてこう語った。

     

    「地上では最も偉大な存在だが、天国では最も小さな存在だ」

     

    そしてヨハネと父ザカリヤは殺され、母エリサベツは行方知れずとなった。

     

    イサク・ディーネセンは想像を膨らませて、もしエリサベツが誰かの手を借りて「遠い地」へ脱出したのだとしたら…と考えたんだ。

     

    先に海を渡っていた「とある姉妹」のもとへとね…

     

     

    とある姉妹?

     

     

    そこは第5章で描かれるから、お楽しみに。

     

    さて、パパンの手紙は情熱的な文言で締め括られる。

     

     And yet, my lost Zerlina, and yet, soprano of the snow! As I write this I feel that the grave is not the end. In Paradise I shall hear your voice again. There you will sing, without fears or scruples, as God meant you to sing. There you will be the great artist that God meant you to be. Ah! how you will enchant the angels.

     Babette can cook.

     

    しかしながら、失われた我がツェルリーナよ!高き峰々の万年雪のようなソプラノよ!今このように書いていると、死は終わりではないような気がしてきます。天国で、再び私はあなたの歌声を聴くことでしょう。そこでは恐れや良心の呵責に悩まされること無く、神のみこころのままに歌えることでしょう。神がそのように作られた通りに、偉大な才能を発揮することができるのです。ああ!あなたはどれだけ天使たちを魅了することでしょう!

     

    バベットは料理ができます。

     

     

     

    パパンの本領発揮やな…

     

     

    だね(笑)

     

    「my lost Zerlina」の「lost」には「堕落した・肉欲に溺れた」という意味もある。

     

    そして「soprano of the snow」を直訳すると「白い峰々の上のほう」だから「乳首」のことだ。フィリッパの美乳は「白い雪山」に喩えられているからね(笑)

     

    そして天国ではフィリッパの「歌声」が思う存分聴けるというんだ。

     

    今度こそ何も気にせずにフィリッパは「歌う」ことができるとね…

     

     

    鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス、か…

     

    パパンほどの男に「天国で待つ!」と言わせるとは、フィリッパの「声帯」はよっぽどの名器やったんやな…

     

     

    どゆこと?


     

    「ホトトギス」の「ホト」っちゅうのは昔の日本語で…

     

     

    おいおい、そんなこと子供に教えるなんて気が違っているとしか思えないな。

     

     

    人を獄門島みたいに言うなボケ!

     

     

    仕方のないオトナたちだな、まったく。

     

     

    さて、「How you will enchant the angels」は最初に説明したよね?覚えてる?

     

    「angels」は「angles(アングル人)」のアナグラムだった…

     

    つまり「アングロサクソン系・英語話者」という意味なんだ。

     

    元々アングル人は、現在デンマークがあるユトランド半島にいた。だけどゲルマン人の大移動で追い出され、海を渡ってブリテン島へ辿り着き、イギリス人の祖先となった。

     

    「イングランド」とか「イングリッシュ」とか「アングリカン・チャーチ(英国国教会)」の語源は、すべてこのアングル人だね。

     

    だからあの一文は、デンマーク人のイサク・ディーネセンが「外国語である英語で書いた作品で英語話者を魅了している」という意味になってるんだ。

     

    「どう?わたし凄いでしょ?」って、こっそり自画自賛してる感じ。チャーミングだよね(笑)

     

     

    最後にとって付けたような「Babette can cook」があるけど、なんか不自然だな。

     

    全然それまでの文脈と合ってないし、なぜそこに言及するのか意味がわかんない。

     

     

    そんなことないよ。

     

    フィリッパは恐れや良心の呵責などから思う存分「sing」出来なかったけど、バベットはそんなこと気にせずに「cook」出来るということだから。

     

    さっきも紹介した通り「cook」には「物事を巧みに進める・いつのまにか成功させる」という意味がある。

     

    バベットの「cook」には、いろんな意味が込められているんだ。

     

     

    なるへそ〜

     

     

    そしてパパンは追伸として、かつてフィリッパに教えた『誘惑のデュエット』の冒頭二小節の楽譜を添える。

     

    その部分の歌詞は「手と手を取り合って」というもの。

     

    だけどパパンが本当に言いたかったのは、その先の歌詞「どうかイエスと言っておくれ」なんだよね。

     

     

    有名な句の頭だけ書いて、その後に続く言葉を相手に伝えるっちゅう高度なテクニックやな…

     

    平安貴族のラブレターみたいなもんや…

     

     

    そんなオトナの恋文をいつか書いてみたいな!

     

    オイラにもツェルリーナがきっといるはず!

     

     

    じゃあ今回は最後にこの映像でお別れしようか。

     

    ドン・ジョヴァンニが逃した乙女ツェルリーナのその後の姿だよ…

     

    自分の妻を寝取られたんじゃないかって落ち込む夫を文字通り「慰める」ツェルリーナの独唱だ…

     

     

     

    やっぱり男にとって安らぎの地とはおっぱいなのか!

     

     

    さすがモーツァルトだよね。

     

    ただ、あのままフィリッパがレッスンを続けて、こんな風になっていたらと思うと困っちゃうけど(笑)

     

     

    だいぶ変わるな、物語の雰囲気が…

     

    でもちょっと見たい(笑)

     

     

     

     

     

     

     

    JUGEMテーマ:小説全般

    「ヘアードレッサーって、どんな仕事?」『バベットの晩餐会』徹底解説:第4章前篇

    • 2018.09.16 Sunday
    • 20:04

     

     

     

     

     

    さて、前半の山場である第三章も片付いたことだし、次は第四章の解説といこうか。

     

     

    前回を未読の方はコチラをどうぞ!

     

     

     

    第四章のタイトルは「A LETTER FROM PARIS」や。

     

    カナダからとちゃうで、パリからの手紙やで。

     

     

    第四章は、第三章で描かれたオペラレッスンから15年後のこと。

     

    マチーヌは34歳、フィリッパは33歳、そしてお父さんは亡くなっている。

     

     

    筑摩書房版だと「16年後」って書いてあるけど…

     

     

    桝田啓介氏の翻訳による筑摩書房版は「著イサク・ディーネセン」ってなってるけど、本当は「カレン・ブリクセン」名義のデンマーク語版の翻訳なんだよ。

     

    だから内容が微妙に違うんだよね。

     

    彼女の作品は言葉遊びだらけだ。基本的に彼女は作品を最初に英語で書いたんだけど、張り巡らされた言葉遊びをデンマーク語に訳す場合、そのまま使えないもんだから内容や言葉のチョイスを変えていたんだ。

     

    デンマーク語での言葉遊びが完璧に成立するようにね。

     

    筑摩書房版は本来「著カレン・ブリクセン」としなければならないところを、なぜか英語の著者名「イサク・ディーネセン」を使ってしまっているんで、ちょっとややこしくなってるんだよ…

     

    僕はこちらのイサク・ディーネセン名義の英語版をもとに解説をしているんで、そこのところはお忘れなく。

     

     

     

    ホンマややこしいな。

     

     

    他言語に翻訳されたものって、基本的に「別物」だからね。

     

    ときには「別作品」になってしまうこともあるくらいだ…

     

    それくらい言語というものはデリケートなものなんだということを、僕らは肝に銘じておかなければならない。

     

     

    ぶ〜ラジャー!

     

     

    さて、1871年6月のある雨の日、姉妹の住む「黄色い家」に突然来客がある。

     

    姉妹が玄関の扉を開けてみると、そこには「浅黒い肌」でずぶ濡れの女が立っていた。

     

    女の荷物といえば、小脇に抱えた包みだけ。後にこれは「黒くて大きな祈祷書らしきもの」だったことがわかる。

     

    そして女は一通の手紙を差し出した。オペラ歌手パパンが書いた手紙だ。

     

    だけどその手紙はフランス語で書かれたものだったので、姉妹は困ってしまう。

     

    亡き父と違って姉妹はフランス語が得意ではなかったからね…

     

    姉妹は頭を突き合わせながら、手紙を何とか最後まで読む。出だしはこんな感じだった…

     

    Ladies!

    Do you remember me? Ah, when I think of you, I have the heart filled with the wild lilies-of-the-valley!  

     

    レディース!

    私のことを覚えてるだろうか?ああ、あなたを想うと私の心は谷間の百合(スズラン)で埋め尽くされてしまうよ!

     

     

    めっちゃノリが軽い!

     

    55歳のオッサンでこれは、ちょっとキモいかも(笑)

     

     

    本当は偉大なオペラ歌手らしく格調高いフランス語で書いてあるんだろうけど、姉妹はフランス語が苦手だから、こんな風にしか読めなかったんだ。

     

    あえて簡易な英語で書かれているんだよ。姉妹の語学力に合わせて。

     

     

    なるほどね。

     

    しかしなぜ鈴蘭なんだ?

     

     

    フランスでは、スズランは最愛の人に贈る花なんだ。

     

    だけどそれだけじゃない。

     

    イサク・ディーネセンは「lily(リリー)」という単語を使いたかったんだよ。

     

     

    ハァ?なんで?

     

     

    「Lily」は「Elizabeth(エリザベス)」の愛称だからね。

     

     

    エリザベス?

     

    この小説にエリザベスなんて出て来ないでしょ。全然関係ないじゃん。

     

     

    おいおい、頼むよ…

     

    出て来ないどころか主役じゃないか…

     

    この物語のタイトルは『エリザベスの晩餐会』だよ?

     

     

    おかえもんが、ついに頭オカシクなった!

     

    タイトルは『バベットの晩餐会』です!

     

     

    「バベット(Babette)」って…

     

    「エリザベス(Elizabeth)」の短縮形・異形なんだよ。

     

     

    ええ〜!そうなん!?

     

     

    そうなんですよ、新百合ヶ丘さん…

     

     

    それ川崎さん。

     

     

    あ、そう…

     

     

    キレッキレだな、今日のおかえもん…

     

    ただ「麻生区」は「あそう」じゃなくて「あさお」ですから…

     

     

    麻生だけに漢字はちゃんと読まなきゃね。

     

     

    ズコっ!

     

     

    冗談はさておき、「バベット」が「エリザベス」であることは、この章のキモなんだ。

     

    それが次の文章に表れている…

     

    The bearer of this letter, Madam Babette Hersant, like my beautiful Empress herself, has had to flee from Paris. Civil war has raged in our streets. French hands have shed French blood. The noble Communards, standing up for the Rights of Man, have been crushed and annihilated. Madam Hersant's husband and son, both eminent ladies' hairdresser, have been shot.  

     

    この手紙を携えた、我が美しき女帝マダム・バベット・ハーサントは、パリを逃亡せねばならぬ身でした。市民戦争による戦闘が街のあちこちで勃発したのです。フランス人の手によって、フランス人の血が流されるという悲劇。《基本的人権》を求めて立ち上がった気高きコミュニストたちは、容赦なく潰され、壊滅させられました。貴婦人の間で人気のあったヘアードレッサーであるマダム・ハーサントの夫君と御子息も、銃殺されてしまったのです。

     

     

    どこにエリザベスが関係しとるん?

     

     

    順を追って見ていこう…

     

    まずバベットのフルネーム「Babette Hersant」から。

     

    英語読みなら「ハーサント」だけど、フランス語読みなら「エルサン」だ。

     

    しかしこの名前、ノルウェー人である姉妹が読むと、ちょっと面白い意味になる…

     

     

    面白い意味?

     

     

    「Hersant」をノルウェー語で読むと「her(here)+sant(truth)」だから「ここに真実や答えがある」って意味になるんだ。

     

    たぶんデンマーク語やスウェーデン語など北欧ノルディック圏の言葉ではそうなんじゃないかな?

     

    つまり「Babette Hersant」という名前は「Babetteに答えがある」という意味になっているんだね。

     

     

    「Babette」の原型である「Elizabeth」が答えやって言いたいんか?

     

     

    そういうこと。

     

    そしてパパンはバベットのことを「我が美しき女帝・皇后陛下」と書いた。

     

    最高の敬意を抱いている女性ということだね。

     

     

    いくらバベットがパリNo.1のシェフでも、ちょっと大げさだな。

     

    フランス男は皆こうゆうこと言うの?

     

     

    だってバベットはパパンの「お母さん」だもの…

     

    ラテン系の男はママを絶対的に崇拝してるんだよ。

     

     

    ハァ!?

     

    ば、バベットがパパンのママだって!?

     

     

    第三章でパパンは「ドン・ジョヴァンニ」を演じたよね…

     

    だけどそれは「ジョヴァンニ・バティスタ」、つまり「John the Baptist(洗礼者ヨハネ)」のことだったんだ…

     

     

    パパンはフィリッパの「芸術」と「性」の両面に「洗礼(Baptism)」を施した…

     

    彼女の中に眠っていたものを目覚めさせたわけだ…

     

    さらにパパンは「前駆(Forerunner)」の役割でもあった…

     

    それまで異教徒を見たこと無かった姉妹に免疫をつけ、のちに現れるバベットを受け入れさせる下準備をし、道を整えたわけだ…

     

     

     

    ふんふん、なるほど…

     

    で、エリザベスは?

     

     

    洗礼者ヨハネのお母さんの名前、知ってる?

     

    エリサベト(エリサベツ)っていうんだ。

     

    ヘブライ語ではエリシェバ(Elišévaʿ)、英語でいうところのエリザベスだね。

     

    姪にあたるマリアが訪問するこの絵で有名だ…

     

    『Visitation(エリサベト訪問)』Mariotto Albertinelli

     

     

    ああ!忘れてた!ヨハネのママはエリサベトだった!

     

    しかもちょっとヨロけそうなエリサベトの感じが『バベットの晩餐会』第4章のバベット登場シーンみたい!

     

     

    「みたい」じゃなくて、この絵をもとにイサク・ディーネセンは『バベットの晩餐会』第4章を書いたんだよ。

     

    訪問する方と迎える方を逆にしてね…

     

    だからバベットは「肌が浅黒い」と何度も強調されるんだ。この絵のエリサベトみたいに。

     

    まあ「肌が浅黒い」のは当たり前なんだけどね、中東の人だから…

     

     

    この絵のマリアみたいに「白人」として描くのは「元祖ホワイトウォッシュ」ってことか!

     

     

    「ホワイト・ウォッシュ」って根深いものがあるよね…

     

    でも人類には「白いもの」を神聖視する習性もあるから、何とも複雑な問題なんだけど…

     

     

    さて、パリからの手紙に戻ろうか。

     

    パパンによると、バベットの夫と息子は「有名なヘアードレッサー」だった。

     

     

    けれどパリ・コミューンの内戦で殺されてしまったんだよね…

     

    可哀想に…

     

     

    可哀想?

     

    僕はこの「バベットの殺された夫と息子は有名なヘアドレッサー」という記述を見て、思わず大爆笑してしまったけどね…

     

     

    大爆笑!?お前は血も涙もない鬼畜か!?

     

     

    これも「エリサベト」が元ネタのジョークなんだ。

     

    エリサベトの夫ザカリヤ(Zechariah)は、エルサレム神殿に仕えていたエリート祭祀だった。

     

     

    この老夫婦には子供がいなかったんだけど、あるとき突然天使ガブリエルが現れて、エリサベトが「メシアの前駆である預言者」を宿すことと、その子供をヨハネと名付けることが告げられる。

     

    そうして生まれたのが、のちの洗礼者ヨハネだ。

     

    だけど半年後のイエスの誕生を受けて、ヘロデ王はイスラエル全土に「2歳以下男児の皆殺し令」を発動…

     

    ザカリアは「救世主の先導役となる預言者」である我が子を追手から匿ったため、異端思想の反逆者として無残にもヘロデの兵に殺されてしまうんだ。

     

    そして成長したヨハネは、天使ガブリエルの言う通り、救世主イエスの道を整える「前駆」となり、父を殺したヘロデ王の息子アンティパスの手によって死刑になってしまう…

     

     

    確かにバベットもエリサベトも夫と息子を殺されてるけど、そこは全然笑えませんから!

     

    どうゆう神経してんだよ!?

     

     

    僕が爆笑したのは、夫と息子が「eminent ladies' hairdresser」だってことなんだ…

     

     

    「著名な貴婦人のヘアードレッサー」でしょ?それのどこが爆笑モノなんだ?

     

     

    まず「lady(淑女)」と「ready(準備)」が駄洒落になっている…

     

    そして「hairdresser」は「異端思想を整える」って意味なんだ…

     

    だから「eminent ladies' hairdresser」は「有名な異端思想を広める下準備をする人」という意味になってるんだね…

     

    まさにエリサベトの夫ザカリアと息子ヨハネが殺された理由だ。

     

     

    ハァ!?「hairdresser」が「異端思想を整える人」?

     

    意味がわからん!

     

     

    実は「hair」という言葉って…

     

    古ギリシャ語では「新しい別の考え・選択肢」という意味だったんだよ…

     

     

    なんですと!?

     

     

    それが次第に「分派・異端」というネガティブな意味をもつようになり、「hairesis(異端)」という言葉になったんだ…

     

    英語でいう「heresy」だね。

     

    そして「dress」だけど、この言葉の意味は「整える」が本義。

     

    元々は朝の身支度をドレスと呼んでいたんだね。一日をスタートさせるための下準備だ。

     

    だから「hairdresser」とは「新しい考えを始めるための準備をする人」という意味になる。

     

    既得権益者の立場から訳すと「異端思想を広めるための準備をする人」だけどね…

     

    なんだか「共謀罪(テロ等準備罪)」みたいだな(笑)

     

     

    マジかよ、ヘアードレッサー…

     

     

    ちなみに、有名なブロードウェイミュージカル『HAIRSPRAY(ヘアスプレー)』の「hair」も、この「hair(新しい考え方)」から取られている。

     

    表向きは「番組のスポンサー企業がヘアスプレー会社」ということになってるけど、本当の意味は「hair(新しい考え方)」を「spray(広範囲に広める)」なんだね。

     

     

     

    そうだったのか!

     

     

    いろいろ勉強になるね、このブログは。

     

     

    だけど肝心の解説が一向に進まない!

     

     

    こういうことを言うと変に聞こえるかもしれないけど…

     

    僕って毎回こんなことを思いながら書いてるんだ…

     

    「終わらせたくない!このままずっと書き続けていたい!」ってね…

     

     

    読んでる人のことも考えろよ!

     

     

    それは面白い視点だね。そんな発想は無かった…

     

     

    おまえな!

     

     

    冗談冗談。冗談が2つでジョーダンズ…

     

    ということで第四章の解説は後篇に続きます。

     

     

    ちょい待て…

     

    もしやその髪型と帽子は、金田一じゃなくて武田鉄矢なんじゃ…

     

     

     

    ええかげんな奴じゃけん、ほっといてくれんさい…

     

     

    もうアンタと一緒に、やって行きたくありません!

     

     

     

     

     

     

     

     

     

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    「オペラレッスンで何があったのか?」『バベットの晩餐会』徹底解説:第三章後篇

    • 2018.09.13 Thursday
    • 13:29

     

     

     

     

     

    さて、イサク・ディーネセン『BABETTE'S FEAST(バベットの晩餐会)』第三章「PHILIPPA'S LOVER」に隠された裏の物語「裏筋」を解説しようか。

     

    いや…

     

    「裏筋」というより、こちらがある意味「本筋」なのかもしれないな…

     

    本作における作者イサク・ディーネセンの筆先は「見えない筋をいかに描くか」ということに力が置かれているように思える…

     

     

    裏筋マニアか。

     

    変な意味ちゃうで。

     

     

    でもオペラ歌手パパンさんでも、キスまでしか出来なかったんだよね。

     

     

     

    せやな。百戦錬磨のラテン系おやじパパンをもってしてもキス止まり…

     

    さぞかし無念やったに違いない…

     

    ここはひとつ「緊急やれたかも委員会」でパパンの無念を晴らさんとアカンな…

     

     

    オイラも付き合わなきゃいけないの?

     

     

    当たり前田のクラッカーや!何カマトトぶっとんねん!

     

    っちゅうことで、ジャッジと行こか!

     

    「やれた」か「やれんかった」か、どっちや!?

     

     

     

     

    おっさん、ノリ悪いやんけ!

     

    「やれた」か「やれんかった」か、どっちやねん!

     

     

    やれやれ、しょうがないな…

     

    こういう下品なノリは、あまり好きじゃないんだけどね…

     

     

     

    なぬ!?

     

     

    「やれたかも」じゃないんだよ…

     

    「やっちゃった」んだよね、この二人…

     

     

    ま、マジかよ!?

     

    隣の部屋で怖い父と心配症の姉が聞いてるのに!?

     

     

    映画ではそうなってるけど、原作である小説では違うんだ…

     

    実は、父と姉が聞いていたレッスンの声は、途中から録音されたものに代わっていたんだ…

     

    父と姉は、歌声が聴こえてるから「レッスンは続いている」と思い込んでしまったんだよね…

     

    そうしてパパンはフィリッパを密室の中で手籠めにした…

     

     

    それ『獄門島』の「一つ家(ひとつや)」だろ!

     

     

     

    バレたか(笑)

     

    冗談はこれくらいにして…

     

    実はイサク・ディーネセンの小説では、父と姉は「レッスンを隣の部屋で聞いていた」なんて一言も書かれていないんだ…

     

    そもそもレッスンの時に同じ建物の中に居たかどうかすらも言及されていないんだね…

     

    つまり父と姉は、フィリッパとパパンが「どんなレッスン」をしていたのか知らないんだよね…

     

     

    ええ、そうなの!?

     

    完全に二人っきりだったんだ…

     

    じゃあ何が起きてもオカシクないってことか…

     

    ただでさえ旅でハジケてる好色なラテン系フランス男と二人っきりだもんな…


     

    フランス人には失礼だけど、そういうこと。

     

    だってレッスンの題材はモーツァルトの『ドン・ジョヴァンニ』第二幕「誘惑のデュエット」だよ。

     

     

     

     

    また随分とふてぶてしいツェルリーナやな…

     

    清楚で可憐なフィリッパとは大違いや。

     

     

    でもね、オペラ『ドン・ジョヴァンニ』における花嫁ツェルリーナって「清廉な乙女」というタイプじゃないんだよ…

     

    新郎より「やり手」で、かなりの「好き者」なんだよね。

     

    なんてったって結婚祝いのパーティーを途中で抜け出してドン・ジョヴァンニとエッチしちゃいそうになるくらいの娘だ。

     

    このデュエットは「あっちでこっそりヤリましょう」という歌なんだよ。

     

     

    ええ〜!?マジで!?

     

     

    よりによってこんな破廉恥な歌を練習曲に選んでる時点で、パパンの魂胆はわかるというものだ。

     

    敬虔なクリスチャンの処女であるフィリッパにこんな内容の歌を歌わせるなんて、現代ならセクハラ以外の何物でもないし、どう考えても最初からヤル気満々だったとしか思えない。

     

    まあ作者のイサク・ディーネセンもそのつもりで選曲しているし、フィリッパの父も「暗黙の了解」状態なんだけど(笑)

     

     

    教団の「後継者作り」のためか…

     

     

    その通り。

     

     

    前にもこんな話をしたよね。

     

    恋愛を知らない箱入り娘を何とか男とくっつけさせようとする父親の話…

     

    何だったっけ?

     

     

    シェイクスピアの『テンペスト』だ。

     

     

    せやせや。映画『LIFE』の元ネタや。

     

    映画『LIFE(ライフ)』徹底解説

     

     

    『バベットの晩餐会』同様、外世界とは隔絶した世界で娘と共に暮らす前ミラノ大公のプロスペローは、嵐で島に漂着したナポリ王子ファーディナントと娘ミランダをくっつけさせようとするんだったね。

     

    これまで人間の男性といえば老父しか見たことなかったミランダは、初めて見る若くて逞しい男性に衝撃を受けてしまう。お父さんのと全然違う!って(笑)

     

    父プロスペローは「あとは若い者同士で…」と、娘と王子を二人っきりにする。

     

    そしてしばらくした後に、プロスペローは二人を覗きに行くんだ。男女のことを知らない娘が心配で、無事に結ばれたか様子を見にね(笑)

     

    そこでプロスペローが見た光景は、なんと二人が「チェス」をしている姿だった…

     

     

    この先は子供は聞かないほうがいいかもな。

     

     

    ブ〜ラジャー!耳栓しときま〜す(笑)

     

     

    シェイクスピアはストレートな性描写を避け、「CHESS」をアナグラムとして使ったんやったな…

     

    「CHESS」は並べ替えると「SECHS(セックス)」になる…

     

    カズオ・イシグロも『夜想曲集』でこのネタを使っとった…

     

    しかも「MEG RYAN(GERMANY)のCHESS」、つまりドイツ発祥の秘儀「ジャーマン・セックス」や…

     

     

     

    その通り。

     

    そういえばカズオ・イシグロ編は『夜想曲集』で中断したままだ。早く再開させないとな…

     

    カズオ・イシグロ『日の名残り』『夜想曲集』徹底解剖

     

     

    さて、「娘は嫁に出したくない。婿もとりたくない。でも子供だけは産ませたい」が信条の父は、こう考えたに違いない。

     

    経験の浅い若者ロレンス・レーヴェンイェルムと違って、ヨーロッパじゅうの宮廷婦人のお相手も務めるパパンなら間違いはない…と。

     

    父以外の男性と二人っきりになったことがないような箱入り娘に対し、オトナの男女二人っきりの特別レッスンを許すんだから、父の「期待」もひしひしと伝わって来るってもんだ。

     

    だから父は不安がるフィリッパにあんなアドバイスをしたんだね…

     

    "God’s paths run across the sea and the snowy mountains, where man's eye sees no track."

     

    直訳するとこんなふうになる…

     

    神の道筋は海を越え、雪を頂く峰々をも越えて続く。人の目には映ることはないが。

     

     

     

    出たな!意味深すぎる預言!

     

     

    だけど本当の意味は違うんだな。本当はこんな意味になっている…

     

     

    愛の道筋は、白く清らかな胸を経て、生命が誕生する母なる海を貫く。しかしその痕跡は外からは見えない。

     

     

     

    「snowy mountains」がフィリッパの「おっぱい」か!?

     

     

    その通り。

     

    第2章の冒頭で、姉妹の美しさが「別のモノ」に喩えられていたよね?

     

    姉マチーヌが「花が咲き誇る果樹」で、妹フィリッパが「美しい雪山」だった。つまりフィリッパの特徴は「透き通るような白さを誇る美乳」ってことなんだ。

     

     

    「雪山=美乳」?

     

     

    古来から女性の身体的美しさを表現する時、豊満で美しい胸は「高い山」に喩えられるんだよね。

     

    007シリーズの第1作『ドクター・ノオ』でも、ミス・タロ嬢が自身の美しい胸を「山」に喩えて、ショーン・コネリー演じるボンドを部屋に誘う。

     

     

    最初はうつ伏せで電話してるんだけど、「こちらの山の眺めは最高よ」と言う時に仰向けになって、自分の胸の《峰々》をアピールするんだね…

     

     

     

    なるほどな…

     

    っちゅうことはルパン三世の「峰不二子」も…

     

     

     

    胸が「富士山並み」の高さと美しさってことだね(笑)

     

    ちなみにこれが「小高い山・丘」になると、胸ではなくて下腹部のデルタゾーンのことになる。

     

    いわゆる日本語で言う「恥丘」だね。

     

     

    モリマンか…

     

    そういやアラン・ドロンとロミー・シュナイダーが初共演した映画『恋ひとすじに』の原作であるアルトゥール・シュニッツラーの『Liebelei』(邦題:恋愛三昧)でも、窓から薄っすら見える「こんもり」とした「はげ山」のシルエットでクリスティーヌの「恥丘」を表現しとったな…

     

    『シュニッツラー様、かく語りき』

     

     

    ラブシーンの前後で不自然な「風景描写」があったら、だいたい「女体」を意味していると言っていい。

     

    古典的な「お約束」だね。

     

    アルトゥール・シュニッツラーの作品もちゃんと解説しなきゃならないな。スタンリー・キューブリックも惚れ込んでいたくらいの偉大な作家だ。

     

    でも日本では森鴎外の翻訳がイマイチで、シュニッツラー文学の奥深さと斬新さが知られていない。『Liebelei』はサイコパスである父親が主人公の怖い話なのに…

     

     

    お前のその謎の使命感は、どっから来るんや…

     

     

    さて、「the sea」は説明しなくてもいいかな。

     

    「海」は生命の誕生した場所であり、一世を風靡した流行歌でも「女は海」と歌われた。海と月と女性はセットみたいなもんだ。

     

     

    私の「中」でお眠りなさい、やな。

     

     

    言い方がエロいね。

     

     

    お前に言われたくないわ!

     

     

    さて、パパンはフィリッパと「レッスン」をしてるうちに、みるみる精力が蘇ってきて自分が若返るのを感じた。

     

    いわゆる回春作用というやつだ。

     

     

    四十男と十八の娘やさかいな。同じ空気吸ってるだけでも若返るっちゅうもんや。

     

     

    そしてパパンはフィリッパをパリに連れて行きたいと言い出す。いい年して、とち狂っちゃったわけだね(笑)

     

    もちろんフィリッパとしては、そんなことを父や姉には言えない。

     

    というか、何が何だかわからない状態だったろうね。これまで「性」をタブーにされ、極端なまでに厳格に育てられた18歳の彼女にとっては…

     

    突然オペラ歌手だというエロエロ中年男が現れ、なぜだか知らないけど父がこの人に「歌い方」を教えてもらえと言い出したんだから…

     

    しかも誰の監視もない状態で二人っきりのレッスンだ…

     

    ここでフィリッパは、家族に対して生まれて初めての「秘密」を持ってしまう…

     

     

    『MOON』やな…

     

     

     

    ちなみに「歌い方を教わる」というのもクセモノだね。

     

    こちらも古来から「男女の交わり」の比喩として使われてきた。

     

    女性が「良い声で歌う」というのは、アレの最中の「喘ぎ声」の喩えなんだ…

     

     

    それがロックではエンジン音に置き換わったっちゅうわけや。

     

     

    そうなの?

     

     

    しらじらしいわ!素直にイエーって言え!

     

     

     

    さて、パパンはいよいよ「レッスンC」に突入する。

     

    BGMは『ドン・ジョヴァンニ』の「誘惑のデュエット」だ。「みんなには内緒でエッチしよう。お願い!」というストレートな内容の歌だね。

     

    初Hの勝負曲としてはムードもへったくれも無い選曲なんだけど、切羽詰まったオッサンの藁をもすがる思いを代弁する歌として、広い心で許してあげよう(笑)

     

    そして歌劇『ドン・ジョヴァンニ』と違って邪魔者が乱入してこないから「二人の初めての共同作業」は遂行され、パパンはフィリッパの両手を強く握りしめ、ゆっくりとタメながら愛のこもったキスをし、彼女から離れた瞬間パパンは放心状態になってしまう…

     

     

    「初めての共同作業」って久々に聞いたわ!

     

    しかもホンマに「アレが終わった後」みたいやんけ!

     

     

    だってそうなんだもん。

     

    イサク・ディーネセンは、レッスン中にやたらと「Opera(オペラ)」って単語を使うんだ。これって「Opera」がラテン語で「作業」という意味だからなんだよね。

     

    第三章における「オペラ」とは、二人の愛の共同作業の隠語になっているんだよ。

     

     

    マジか!

     

     

    そしてパパンがフィリッパの体から離れて放心状態になっているところに、第三章で最高の一文が登場する。

     

    Mozart himself was looking down on the two.

     

     

    「モーツァルトその人が二人を見下ろしていた」やろ?

     

     

    なんか変だと思わない?

     

     

    せやな…

     

    二人にとって一番うしろめたい相手は、モーツァルトやのうてフィリッパのオトンや。

     

     

    でしょ?

     

    実はこの「愛の共同作業の後」の状況で「Mozart」という名前を出すことに意味があるんだよ。

     

    だってフィリッパとパパンはまさに「Mozart状態」だったから…

     

     

    なんやねん、モーツァルト状態って?

     

    ピンクってことか?二人は聖子ちゃんか?

     

     

    「Mozart」という名前って「手入れのしていない女性器と逞しく立った男性器」って意味があるんだ。

     

     

    ん、んなアホな…

     

     

    冗談じゃなくて本当なんだよ。

     

    辞書によると「mozart」は、かつて「mozahrt」と書いた。

     

    そして前半部の「moz(mosz)」とはドイツ古語で「(草が生え、周期的に冠水する)湿地・沼地」って意味なんだ。

     

    つまり、人の手が入ってなくて、草ボーボーで、常時グチョグチョというわけではない湿地帯だね。

     

     

    (草が生え、周期的に冠水する)湿地帯…

     

     

    そして「mozahrt」の後半部「ahrt(hart)」は「成熟し大きな角が生えたオス鹿」とか「雄鹿の角のような立派な突起物」という意味なんだよね…

     

     

    (オス鹿の角のように立派な)突起物…

     

     

    ドン・ジョヴァンニとツェルリーナよろしく「交合」しちゃった二人は、まだ陰部を露出したまま横たわっていた。

     

    だからイサク・ディーネセンは「Mozartそのものが見下ろしてるようだ」と書いたんだね。

     

    「Mozart」とはフィリッパとパパンの股間のことだったんだよ…

     

     

    二人の股間でモーツァルト…

     

     

    モーツァルトも草葉の陰で笑ってるかもしれないね。

     

    モーツァルトって、こういうの大好きだから(笑)

     

    そして父のもとに帰ったフィリッパは「これ以上レッスンはやりたくない。ムッシュ・パパンにそう手紙を書いて」と言う。

     

     

    これも変やな…

     

    何で急にフィリッパは態度を変えたんや?

     

    それまでレッスンはスムーズに進んでいたはずやろ…

     

     

    単純に痛かったんだよ。性に関する知識のない彼女は、こんなに苦痛を伴うとは知らなかったんだ。

     

    だからレッスン中の描写は「恍惚とするパパン」のものばかりだったんだね。

     

    だけど「成熟したオス鹿の角のような立派な突起物」を受け入れる側のフィリッパは、痛くてそれどころじゃなかったんだ…

     

     

    お前の妄想やろ。

     

     

    作者のイサク・ディーネセンは、それを父の預言という形でサラリと伝えているんだな。

     

    レッスン中止を願う娘に対し、父はこんなアドバイスをした…

     

    The Dean said;' And God's paths run across the rivers, my child.'

     

     

    「神の道筋は、困難を越えて続いてゆくものなのだよ、我が子よ」

     

    つまり、ちょっと辛いことがあったくらいで、人生投げたらアカンっちゅうこっちゃ。

     

    鈴木啓示ばりの啓示やな。

     

     

     

    うまいこと言うね。

     

    さて、前回の啓示は「海を越え、高い峰々を越え…」と長いセンテンスだったけど、今回は「the rivers」だけのシンプルなものだ。

     

    そしてここがポイントなんだよ。

     

    実は「the rivers」の後の言葉が省略されているんだよね。

     

    慣用句「rivers of tears(止まらない涙)」や「tears of blood(血の海)」という言葉が隠されているんだ…

     

     

    その痛みを越えた先に「真の喜び」が待っているっちゅうことか!

     

     

    お父さんにとっての喜び「妊娠」がね(笑)

     

    そしてパパンはお父さんからの手紙を読んで非常に悔しがる。

     

    「なんでこの俺がクビなんだ!あんたはプライベートレッスンをOKしたじゃんか!そうゆうことじゃなかったのか!?」ってね。

     

    こんなことまで言って嘆いていた…

     

    Don Giovanni kissed Zerlina, and Achille Papin pays for it!

     

    「ドン・ジョヴァンニがツェルリーナにしたキスの代償をアシーユ・パパンが払うのか!」

     

     

     

    この論理もオカシイな…

     

    いくらそうゆう曲だからといって、勝手にキスしていいわけないやろ…

     

    しかもオペラ『ドン・ジョヴァンニ』のことを何も知らんフィリッパが相手や…

     

    いくら保護者の暗黙の了解があったとはいえ、今なら100%犯罪やで。

     

     

    だよね。しかもさっきのセリフには面白い意味が隠されているんだ。

     

    「誘惑のデュエット」の後にドン・ジョヴァンニはツェルリーナにキスをしてHに持ち込もうとするんだけど、ギリギリのところで邪魔が入って目的を遂げることが出来なかった…

     

    つまりドン・ジョヴァンニの「メインディッシュ」は「おあずけ」になってしまったんだね。

     

    その「借り」をパパンが払う、つまり「ドン・ジョヴァンニの代わりに目的を遂げた」ってことなんだ。

     

     

    なるほどな…

     

     

    そして姉マチーヌは妹フィリッパの様子がオカシイことに気付く。

     

    フィリッパの表情を見ながら「second-sight(千里眼)」で「パパンとのキス」のビジョンを見るんだね。

     

    だけど「キスの先」を知らないマチーヌは、それ以上のビジョンを見ることは出来ない…

     

    妹の中で目覚めようとしている「女の性」を見抜くことまでは出来なかったんだ。

     

     

    オトンの頭の中も見たらよかったのにな。

     

     

    だね。

     

    でもイサク・ディーネセンは父親の様子には全く触れない。

     

    きっと姉妹の前ではポーカーフェイスを貫いていたんだろうけど…

     

    崇高なる計画がバレてしまうからね(笑)

     

     

    崇高なる家族計画(笑)

     

     

    なんだか和やかムードで話してる感じだけど、オトナの話は終わったの?

     

     

    ああゴメン、すっかり忘れてた。もう終わったよ。

     

    ということで次回は第4章「A LETTER FROM PARIS(パリからの手紙)」だ。

     

     

    来たな。

     

    「A LETTER FROM PALESTINE(パレスチナからの手紙)」やろ。

     

     

    『バベットの晩餐会』のキーワードである「コック」の秘密も解説しちゃうよ。

     

     

    また子供は耳栓か(苦笑)

     

     

     

     

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    「なぜパパンはキスを覚えていないのか?」『バベットの晩餐会』第三章徹底解説・前篇

    • 2018.09.09 Sunday
    • 21:28

     

     

     

     

     

    ノルウェーの最北端に近い村Berlevaag…

     

    険しいフィヨルドと閉鎖的な風土は、この地と外世界を完全に遮断し、よそ者の来訪を拒み続けていた…

     

    この村には「黄色い家」と呼ばれる場所があり、そこには、かつて「預言者/予言者」として畏怖されたDean(監督牧師/教父)が、ふたりの娘Martine(マチーヌ)とPhilippa(フィリッパ)と共に住んでいた…

     

    カリスマ的な教父の教えは「日常生活における歓楽的喜びを拒絶する」という極めて厳格かつ特殊なもので、信徒たちは地上世界に「理想世界である新しいイスラエル」の到来を待ち続けていた…

     

    しかし教父は年老い、信徒たちの高齢化も進み、教団はかつての勢いを失ってしまう…

     

    教団存続のために「後継者」が必要なことは誰の目にも明らかで、信徒たちは教父に姉妹の婿取りを勧めるが、教父は聞き入れない…

     

    なぜなら教父には「ある策」があったのだ…

     

    その策とは、我が娘を「処女懐胎」させ、生まれた子供を「奇跡の子」だと信徒に信じ込ませ、カリスマ後継者として教団を引き継がせるというもの…

     

    そのためには娘を「人知れず妊娠させる」ことが必要だった…

     

    しかもその相手は、二度とこの地を踏むことのないような《完全な部外者》でなければならない…

     

    最初に白羽の矢が立ったのは、女性問題が祟って僻地での謹慎蟄居を命じられた青年将校ロレンス・レーヴェンイェルム中尉…

     

    教父は、女性に対して絶対の自信をもつロレンスと姉マチーヌに肉体関係を持たせようとしたが、思わぬ誤算により失敗する…

     

    これまでマチーヌは隠していたが、彼女には亡き母から受け継いだ「second-sight(千里眼・透視)」の能力があり、その能力でロレンスの《お粗末な息子》を見抜いてしまったのだ…

     

    自信喪失したロレンスはこの地を去り、教父は次なる来訪者を待った…

     

    そして一年後、パリで活躍する著名なオペラ歌手パパンがBerlevaagを訪れる…

     

     

    金田一さん、これまでのあらすじ紹介、ご苦労様。

     

     

    せやけど、ハナシを聞けば聞くほど横溝正史の世界やな…

     

     

    映画『バベットの晩餐会』とは全然別のハナシやんけ…

     

     

     

    作者のイサク・ディーネセンによる原作(英語版)をもとに解説してるからね。

     

    僕が「違う」んじゃなくて、みんなが本来のストーリーを「知らない」だけなんだ…

     

    しかし『犬神家の一族』を例に挙げてくれたのはナイスだね。ちょうど僕も『犬神家の一族』の話をしようと思っていたところだったよ…

     

     

    まさかスケキヨさん!?

     

     

    残念でした。地井武男が演じたスケタケさんだよ。

     

    犬神佐武

     

     

    No way!怖いのヤダ〜!

     

     

    び、ビックリさすなボケ!

     

    『バベットの晩餐会』と生首は関係ないやろ!

     

     

    それが関係あるんだな…

     

    第三章では、レッスン中にオペラ歌手パパンがフィリッパにキスをする…

     

    だけどなぜかパパンは「キスしたこと」を覚えてないんだよね…

     

    不自然だと思わない?

     

     

     

    え…?

     

    確か、気持ちが高揚しすぎて頭の中が真っ白になったんだよね…

     

     

    そんな理由でこの僕が納得すると思う?

     

    授業中に教師が生徒にキスをして「覚えてません」なんて有り得るかな?

     

    「源氏物語を熱心に教えるあまり、ついつい光源氏になりきってしまいました」なんて言い訳する古典の教師みたいなもんだよ?

     

     

    ありえんな…

     

    しかもしっかり胸まで触っとるんや…

     

    世間はスルーしても、ワイは許さへんで!

     

     

    この「パパンがキスを覚えていない」のは、「生首」のせいなんだよ…

     

    この時パパンは死んでいて「生首状態」だったんだ…

     

    だからキスの記憶が無かったんだね…

     

     

    な、なに言ってるのか、さっぱりわかりません!

     

     

    タネ明かしをしよう…

     

    パパンは第三章の冒頭で、こんなふうに紹介される…

     

    The great singer Achille Papin of Paris

    パリの偉大な歌手アシーユ・パパン

     

    実はこれって…

     

    The great Prophet John the Baptist of Palestine

    パレスチナの荒野で義を叫ぶ人、洗礼者ヨハネ

     

    のことなんだね。

     

     

     

    ジョバンニ・バティスタ?


     

    「洗礼者ヨハネ(John the Baptist)」をイタリア語では「ジョヴァンニ・バティスタ(Giovanni Battista)」って言うんだ。

     

    だからオペラ『ドン・ジョヴァンニ』を英語に直訳すると『Sir John』となる。

     

    そして「パリ」とは「お約束」ともいえる「パレスチナ」のこと…

     

     

    カズオ・イシグロの『夜想曲集』(笑)

     

     

     

    その通り。

     

    第二話「降っても晴れても」のオチとして使われる曲『パリの四月』とは、「パレスチナの四月」、つまり「主の復活の喜び」を歌ったものだった。

     

     

    ジャズのスタンダードナンバーに「パリ」がよく出て来るのは、1920〜40年代に活躍した作詞家の多くがユダヤ系だったからという理由もあるんだよね。

     

    「Paris」と「Palestine」は文学や歌でよく使われる「掛け言葉」なので、ぜひ覚えておくといい。

     

     

    脱線も多いけど、なにげに勉強になるよな、おかえもんの解説は。

     

    どうでもいいこといっぱい知ってる。

     

     

    ちなみにイサク・ディーネセンは、オペラ歌手パパンの外見をこうに書いている。

     

    Achille Papin at this time was a handsome man of forty, with curly black hair and a red mouth. 

     

    こんなふうに訳せるね…

     

    アシーユ・パパンはこの時、黒々とした巻き毛と赤い唇が精力的に見える40歳の色男だった。

     

    これも洗礼者ヨハネのことだ。Mattia Pretiのヨハネ画そのまんまだから笑える(笑)

     

     

     

    ホントだ!口がレッドマウス!

     

    しかも前髪が(笑)

     

     

    原作を大幅に改変した映画監督のガブリエル・アクセルだけど、「パパン=洗礼者ヨハネ」という部分は忠実に再現したわけだ…

     

    この『バベットの晩餐会』という物語は新約聖書の「マタイによる福音書」がベースになっている。だから「洗礼者ヨハネ」の役割として「Achille Papin」が登場するんだ。

     

     

    「Achille」だからギリシャ神話の「アキレス(Achilles)」がモデルかと思ってた。

     

     

    「亀」も出て来るしな。

     

     

    「Achille Papin」の「Achille」は、実は「アキレウス(Achilles)」じゃないんだよね…

     

    サロメに洗礼者ヨハネの斬首を許可したヘロデ・アンティパスの兄「アルケラオス(Archelaus)」から取られているんだ。

     

     

    アルケラオス?

     

     

    元々ヨハネとその弟子たちは、死海の北、ヨルダン川西岸地区にあるヘロデ・アルケラオスの領地で宣教活動していた。

     

     

    ある時、ガリラヤ領主ヘロデ・アンティパスはヘロデヤ(ヘロディアス:Herodias)という女性と再婚する。亡くなった兄弟フィリッポスの奥さんだった人だ。

     

    これをヨハネは「そんな結婚は有り得ない!」と激しく批判した…

     

     

    いわゆるレビラト婚やな。

     

    その逆のパターン、妻が死んだ後にその姉妹と再婚するのがソロレート婚や。

     

    どっちもユダヤ教の戒律では原則的に禁止されとった。

     

     

    コーエン兄弟が脚本を書いた『サバービコン』だね!

     

    『サバービコン』の秘密

     

     

    ちなみに『バベットの晩餐会』第3章「PHILIPPA'S LOVER(フィリッパの求婚者)」の主役の二人「Achille PapinとPhilippa」はヘロデ・アンティパスの兄弟「ArchelausとPhilip」から取られているよね。

     

    第3章は洗礼者ヨハネとサロメの物語だから(笑)

     

    さて、ヨハネの批判に激怒したヘロデヤは、夫ヘロデ・アンティパスにヨハネの逮捕を求める。だけどヨハネはアルケラオスの領地にいるために逮捕できない。だからヨルダン川を渡って東岸に来るまで待たねばならなかった。そしてようやく宮廷に連行する。

     

    ヨハネはヘロデヤの前でも結婚を批判したため、ヘロデヤは死刑を求める。だけどヘロデ・アンティパスはヨハネを殺すことをためらい、牢に入れておくことにした。

     

    そしてヘロデヤの娘サロメがヨハネに恋をし、有名なダンスと斬首が行われる…

     

     

    そういや、サロメは斬首されたヨハネの生首にキスするんやったな…

     

     

     

    だからパパンは「クビ」になるし「キス」も覚えていないんだ。

     

    生首だから記憶があるわけないよね(笑)

     

     

     

    さて、第三章を順を追って見ていこう。ざっとまとめると、こんな構成になっている…

     

     

    1)ストックホルムの宮廷貴婦人がパパンにノルウェーを語る

     

    2)パパンがBerlevaagに立ち寄り、教会でフィリッパの歌声を聴く

     

    3)感動したパパンが、教父にフィリッパのレッスンを申し出る

     

    4)『ドン・ジョヴァンニ』のレッスン中に「キス事件」発生

     

    5)解雇された傷心のパパンがパリへ帰る

     

     

    まず冒頭、パリからやって来たオペラ歌手パパンが、スウェーデン・ストックホルムのオペラ劇場で公演をし、大成功を収める。

     

    そしてある晩のこと、パパンの熱烈なファンである宮廷の貴婦人から、ノルウェーの大自然についての話を聞かされた…

     

     

    なんでスウェーデンの宮廷貴婦人がノルウェーの自慢話をしたんだろう?

     

    当時は同君連合とはいえ、格下扱いの国じゃんか。

     

     

    パパンが「洗礼者ヨハネ」だからだよ。

     

    そしてこの宮廷貴婦人とは、ガリラヤ領主ヘロデ・アンティパスの後妻ヘロデヤのことなんだ。

     

    イサク・ディーネセンは、宮廷貴婦人とパパンにノルウェーの「the wild(ワイルドさ)」と「grandiose(雄大さ・誇大妄想)」を語らせた…

     

    そしてパパンは「ノルウェー」をその目で確かめたくなってしまう…

     

    これってヘロデヤが「野蛮な結婚」をし、荒野で叫んでいたヨハネが直接本人の目の前で「こんな結婚は有り得ない!」と叫んだことなんだよね…

     

     

     

    「No way(有り得ない)」が「Norway(ノルウェー)」になったのか!

     

     

    一字違いじゃが仕方ない…

     

     

    それは『犬神家の一族』じゃなくて『獄門島』だからね。

     

    しかしイサク・ディーネセンは面白い人だ。こんなところに駄洒落を隠しているんだから。

     

    さて、パパンはノルウェーの神々しい風景に圧倒され、それに比べたら自分は「ちっぽけな存在」だと落ち込んでしまう。

     

    そして自身の「キャリアの終わりが近づいていること」を悟る…

     

     

    それ『マタイによる福音書』第11章11節に書いてある(笑)

     

    「地上でのヨハネは誰よりも偉大だけど、神の世界では誰よりも小さい」だよね。

     

    11:11あなたがたによく言っておく。女の産んだ者の中で、バプテスマのヨハネより大きい人物は起らなかった。しかし、天国で最も小さい者も、彼よりは大きい。

     

     

    「終わりが近づいとる」は、洗礼者ヨハネのあの名文句やな…

     

    パレスチナの荒野がノルウェー北部の荒涼とした風景に置き換わったんや…

     

    3:1そのころ、バプテスマのヨハネが現れ、ユダヤの荒野で教を宣べて言った、3:2「悔い改めよ、天国は近づいた」

     

     

    その通り。

     

    そしてパパンは偶然立ち寄ったBerlevaagで、フィリッパの歌声を聴く。

     

    その瞬間、パパンは天啓を得る。その様子をイサク・ディーネセンは、こんなふうに書いた…

     

    For here were the snowy summits, the wild flowers and the white Nordic nights, translated into his own language of music, and brought him in young woman's voice. Like Lorens Loewenhielm he had a vision.

     

    万年雪を頂く白い峰々や、咲き乱れる野の花、そして白夜の光景が、彼の言語である音楽に翻訳され、彼女の声を通して彼の目の前にありありと広がった。ビジョンを見たロレンス・レーヴェンイェルムと同じように。 

     

     

    これも簡単だ!

     

    「白い山頂」は、高き山に登ったイエスが白く輝いたことだね!

     

    17:1六日ののち、イエスはペテロ、ヤコブ、ヤコブの兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。17:2ところが、彼らの目の前でイエスの姿が変り、その顔は日のように輝き、その衣は光のように白くなった。

     

    そして「野の花」は、「一輪の野の花は何もせずとも、栄華を極めたソロモンよりも美しい」だ!

     

    6:28また、なぜ、着物のことで思いわずらうのか。野の花がどうして育っているか、考えて見るがよい。働きもせず、紡ぎもしない。6:29しかし、あなたがたに言うが、栄華をきわめた時のソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。

     

     

    「白夜」が無いやんけ。

     

     

    う〜ん…

     

    聖書の舞台パレスチナでは「white night現象」は起こらないもんなあ…

     

     

    大丈夫、マイフレンド。

     

    「white night」は同じ発音の「white knight」のことなんだよ…

     

    つまり「救世主」だね。

     

    間に「Nordic」という単語を入れたのは、バレないようにするカモフラージュだな(笑)

     

     

    ズコっ!

     

    ディーネセンパイセンったら!

     

     

    そしてパパンはフィリッパの歌声を神の奇跡だと称賛し、こんなことを妄想する…

     

    And here is a prima donna of the opera who will lay Paris at her feet.

     

    ここに本当のプリマドンナがいる。栄光の都パリも彼女の足元にひれ伏すだろう。

     

     

    パリは「パレスチナ」だから…

     

    東方の三博士やヨハネに「ユダヤの王」と呼ばれたイエスのことだね!

     

     

    そしてパパンはフィリッパの父のもとへ行き「お嬢さんの歌声は奇跡だ!ぜひ私の弟子にしてください!」と申し出る…

     

     

    『マタイによる福音書』第3章やな。

     

    ヨハネはイエスが只者とちゃうのを見抜いて「あんたの力なら、むしろワイのほうが弟子みたいなもんや」と言うけど、イエスは「預言成就のためには、うちが弟子の形を取らなアカン」と答える(笑)

     

    3:13そのときイエスは、ガリラヤを出てヨルダン川に現れ、ヨハネのところにきて、バプテスマを受けようとされた。3:14ところがヨハネは、それを思いとどまらせようとして言った、「わたしこそあなたからバプテスマを受けるはずですのに、あなたがわたしのところにおいでになるのですか」。3:15しかし、イエスは答えて言われた、「今は受けさせてもらいたい。このように、すべての正しいことを成就するのは、われわれにふさわしいことである」。そこでヨハネはイエスの言われるとおりにした。

     

     

    この次のイサク・ディーネセンの書く文章がウケるんだ。

     

    He did not mention the Opera of Paris, but described at length how beautifully Miss Philippa would come to sing in church, to the glory of God.

     

     

    どこが?

     

    Berlevaagとは真逆の世界であるパリのオペラ界のことは触れないようにしたんでしょ?

     

    どう考えても厳格な教父に警戒されるからね。だから「ここの教会でもっと素晴らしく讃美歌を歌えるようになりますよ」って誤魔化した。

     

     

    「パリ」は「パレスチナ」だから…

     

    パパンが話題にすることを避けた「the Opera of Paris」とは「パレスチナの歌劇」という意味になる。

     

    つまり『マタイによる福音書』のことだね。

     

    マタイには旧約の詩がたくさん引用されていて、ある種の歌劇みたいな形になっているんだ。

     

    でもヨハネが斬首されたりイエスが磔になったりと、師弟が両方死んじゃう物語だから、パパン的にはこの場であんまり触れたくはないよね(笑)

     

     

    なるほど、確かに…

     

     

    そして教父はタイミングを見計らって「あなたはローマ・カトリックか?」と尋ねた。

     

    饒舌になっていたパパンは、うっかり「いかにも」と答えてしまい、一瞬険悪なムードになる。

     

    教父にとってパパンは人生で初めて見た《生きたローマ・カトリック教徒)》だった。

     

    Berlevaagはノルウェーのほぼ最北端にある僻地の村だから、これまで異教徒なんて誰も目にしたことなかったんだね。

     

    だけど教父は昔学んだフランス語を久しぶりに使える話相手にもなると考え、パパンの滞在を許可する。

     

    そして不安なフィリッパにこう諭す。

     

    'God's paths run across the sea and snowy mountains, where man's eye sees no track.'

     

    神の道は、海や雪の山々を越えて続く。たとえ人の目には見えなくとも。

     

     

    これは何の引用だろう?「マタイ」にも見当たらないな…

     

     

    教父の予言だからね。これは次回に詳しく解説しよう。

     

    さて、レッスンが始まると、パパンの期待は確信に変わり、確信は恍惚に変わった。

     

    自分自身を「終わりの近づいた歌手」だと感じていたパパンは、フィリッパをこの世に遣わされた救世主だと確信し、彼女と一緒だったら奇跡が起こせるかもしれないと思うようになる。

     

     

    洗礼者ヨハネも最初はそう思ったんやったな。イエスを見たときに。

     

    すでに大きなブームを起こしとったヨハネ的には「ワイのムーブメント×イエス=∞」って思ったはずや。

     

    せやけどイエスは我が道を進んで行った。

     

     

    パパンは我慢できずにフィリッパへ打ち明けてしまう。この場面も笑えるんだ(笑)

     

    She would, he said, rise like a star above any diva of the past or present. The Emperor and Empress, the Princes, great ladies and bels esprits of Paris would listen to her, and shed tears. The common people too would worship her, and she would bring consolation and strength to the wronged and oppressed.

     

    ここでは簡単だ。「she」を「イエス」に、「diva(歌姫)」を「prophet(預言者)」に置き換えるだけでいい。

     

    彼が言うには、イエスとは天に昇る星のような存在であり、これまで世に現れたすべての預言者の中で最も大きな存在である。皇帝も皇后も、王子たちも、高貴な姫たちも、教養ある者たちも、そしてパレスチナじゅうの精霊たちもイエスの言葉に耳を傾け、涙を流すことだろう。庶民たちもまたイエスを崇め、不当に虐げられた者たちにも慰めと力をもたらすだろう。

     

     

    完璧なまでにイエスのことだな(笑)

     

    しかし「パレスチナじゅうの精霊たち」って、どこから出て来た!?

     

     

    「bels esprits of Paris(パリの教養人)」が「bels sprites of Palestine(パレスチナの精霊)」なんだよね。

     

    「bel-esprits(エスプリのある人)」の「e」を動かすと「bel-sprites(善き精霊)」になるんだ。

     

     

    なんだそれ!オモロイ!

     

     

    その先も面白いよ。

     

    When she left the Grand Opera upon her master's arm, the crowd would unharness her horses, and themselves draw her to Café Anglais, where a magnificent supper awaited her.

     

    直訳するとこうなるんだけど…

     

    彼女が私のエスコートでオペラ座を去る時には、熱狂した民衆が馬車から馬を外し、彼らがワゴンを引いてゆくことだろう。比類なきフランス料理が待つカフェ・アングレまで。

     

    本当の意味は、こうなっている…

     

    天の父に導かれ地上を去る時、駆け付けた群衆により弟子たちは散らされる。そして群衆によってイエスは引き渡されるだろう。比類なき受難が待ち受ける場所へ。

     

     

    なるほど…

     

    「horses」は「雄馬たち」やさかい「使徒」っちゅうことやな…

     

     

    そして「supper(晩餐)」が「suffer(受難)」か…

     

     

    フィリッパはこの「prospect(見通し)」を父と姉には告げなかった。

     

    彼女にとって、家族への、生まれて初めての隠し事だ。

     

    イエスも「最期の見通し」を12使徒には告げたけど、母マリアや兄弟たちには言わなかったよね(笑)

     

    そしてパパンとフィリッパは、レッスンの第二段階としてモーツァルトの戯曲『ドン・ジョヴァンニ』の「誘惑のデュエット」の練習を始める。

     

    作者のイサク・ディーネセンは、「ドン・ジョヴァンニ」と「ジョヴァンニ・バティスタ(John the Baptist)」を掛けている。

     

    つまり物語の中にテーマとして流れている「曲」が『マタイによる福音書』から戯曲『サロメ』に変わるんだ。

     

    だけどパパンは気付いていない。

     

    パパンはこれまでと同じように洗礼者ヨハネを演じているんだけど、イエス役だったフィリッパはサロメに変わっている…

     

     

    なるほど…

     

    パパンは『ドン・ジョヴァンニ』を歌ってるつもりなんだけど、イサク・ディーネセンは『サロメ』を歌わせているんだ…

     

     

    物語の時代設定である1880年代中頃には、まだ戯曲『サロメ』は誕生してなかったからね。パパンが気付かないのも無理はない(笑)

     

    そのパパンは「これまでの人生で、こんな風に第二幕のデュエットを歌ったことはない!」と興奮する。

     

    そりゃそうだよね…

     

    『マタイによる福音書』には「第二幕のデュエット」なんて無いから。

     

    生首になった後も「デュエット」するのは戯曲『サロメ』だけだ。

     

    だからイサク・ディーネセンはブラックユーモアを込めてパパンの舞い上がった様子を描いている。

     

    He was swept off his feet by the heavenly music and the heavenly voices. As the last melting note died away he seized Philippa's hands, drew her toward him and kissed her solemnly, as a bridegroom might kiss his bride before the altar.

     

    彼は天上の調べと天使の歌声に心を奪われ、地に足付かない様子だった。最後に溶け合った音が静かに消えてゆくと、彼はフィリッパの両手を強くつかみ、こちらに引き寄せ、厳かにキスをした。聖餐台の前で花婿が花嫁に行うように。

     

     

    「地に足付く」わけないやろ、首だけなんやさかい…

     

    そんで「両手でホールドして引き寄せた」のはヨハネやのうてサロメや…

     

     

     

    きゃ〜!スケタケさん!

     

     

    そしてフィリッパは、レッスンの中止とパパンの解雇を父に願い出る。

     

    父は娘にレッスンの継続を説得するが、フィリッパは断固として聞き入れない…

     

    順序は逆だけど、ここも『サロメ』と同じだね。

     

    キスしたいが故にサロメはヨハネの斬首を願い出るんだけど、継父ヘロデ・アンティパスは娘を思いとどまらせようとするんだ。

     

    だけど最後はサロメの押しに負けてしまう。

     

    フィリッパの父も娘の押しに屈してしまうんだけど、負け惜しみのように再び予言めいたことを言い残す…

     

    'And God's paths run across the rivers, my child.'

     

     

     

    この予言の意味も、また次回?

     

     

    だね。

     

    さて、パパンは激しく後悔する。二度とない大きなチャンスを逃してしまったから。

     

    それからしばらくして、こんなことを考える…

     

    A little later he thought; 'I wonder what is the matter with that hussy? Did I kiss her, by any chance?

     

    あのお嬢さんは何が気に入らなかったんだろう?まさか私は彼女にキスでもしてしまったのか?

     

     

    そして最後にこう自分を納得させる…

     

    And in the end he thought; 'I have lost my life for a kiss, and I have no rememberance at all of the kiss! Don Giovanni kissed Zerlina, and Achille Papin pays for it! Such is the fate of the artist!' 

     

    私はたった一度のキスで人生を失った。だがそのキスを覚えていないとは!ドン・ジョヴァンニはツェルリーナとキスをした。そしてアシーユ・パパンがその代償を払うことになるとは!これが芸術家の運命というものか!

     

     

    「洗礼者ヨハネはサロメとキスをした」やな。その代償が「クビ」や。

     

     

    うまいよね、イサク・ディーネセン(笑)

     

    『サロメ』の「サ」の字も出さずに、物語を再現したんだ…

     

     

     

    彼女は長らくノーベル文学賞の候補者リストにも名前があったそうだよ。亡くなってしまったんで受賞は叶わなかったけど。

     

     

    せやけど、第三章の最後で不穏な空気が流れるな…

     

    「second-sight(千里眼)」の能力の持ち主マチーヌが、「妹とパパンがキスをした」というビジョンを見る…

     

    せやけどその先は怖くて見れへんかったんや…

     

    知識のないマチーヌには、それを言葉に出来へんから…

     

     

    ということで、次回は第三章の「裏読み」編だ。

     

    あの日そこで何が起こったのか、全ての謎が明らかになる…

     

     

     

     

     

     

    JUGEMテーマ:映画

    第2章「持ってるマチーヌ」『バベットの晩餐会』徹底解説

    • 2018.09.07 Friday
    • 00:50

     

     

     

     

     

    では第2章を見ていこう。

     

     

    誰やねん?

     

     

    ほら、金田一耕助だよ。

     

    今日は名探偵っぽいでしょ?

     

     

    また脱線の予感が…

     

    その前に「第1章」編はコチラ

     

     

     

    時には〜母のない子の〜よ〜おに〜♪

     

     

     

    またその歌か!ナンボクまで脱線しないでよ!

     

    収拾つかなくなっちゃうでしょ…

     

     

    今回のテーマは「なぜ姉妹には母がいないのか?」やで…

     

    なぜか教団内では存在がタブーになっとるオカンの謎が明らかにされるんや…

     

    いったい何があったんや、オカン!

     

     

    実は…

     

    姉妹の母は若かりし頃に訳あって巡礼の旅に出て、その途中でBerlevaagを訪れ、とある黄色い家の前で行き倒れになったんです…

     

    黄色い家の主人は彼女を介抱し、下女として家で働かせることにした…

     

    そして主人は美しい彼女に手を付けてしまい、二人の娘マチーヌとフィリッパが生まれる…

     

    しかし主人は聖職者として地域で尊敬を受ける身であったため、このことは秘密にされ、彼女は家を出されたんです…

     

     

    よし、わかった!

     

    姉妹の母は、信徒として黄色い家に出入りしていた婆さんだ!

     

    他人のふりして姉妹の成長をずっと見守ってたんや!

     

     

    それ『獄門島』でしょ…

     

     

     

     

    バレたか(笑)

     

    冗談はこれくらいにして、第2章「MARTINE'S LOVER(邦題:マチーヌの求婚者)」の解説を始めよう。

     

    まず冒頭に、とても重要な一文が登場する。

     

    As young girls, Martine and Philippa had been extraordinarily pretty, with the almost supernatural fairness of flowering fruit trees or perpetual snow.

     

     

    若かりし頃のマチーヌとフィリッパは、並外れた可憐な少女だった。この世のモノとは思えないほど見事な金髪色白の美人で、その姿は花を咲かせた果樹や純白の万年雪のようだった…

     

    これのどこが重要なのさ?

     

    姉妹の美しさをベタ褒めしてるだけじゃん。

     

     

    「extraordinarily(並外れた)」はまだしも「supernatural(この世のモノではない/超自然)」は只事じゃないよね。

     

    まるで「人間じゃない」みたいだ。

     

     

    へ?

     

     

    そしてもうひとつ重要なことが、この一文に隠されている。

     

    「マチーヌは果樹のよう」「フィリッパは万年雪のよう」な美しさだということだ。

     

     

    ありがちな例えじゃんか。それがなぜ重要なんだ?

     

     

    この「姉妹の美しさの特性」を押さえておかないと、劇中で正しく理解できないことが2つあるんだ…

     

    1つは、本来なら許されるはずのなかったフィリッパのオペラレッスンが行われた「本当の理由」…

     

    そしてもう1つは、晩餐会でレーヴェンイェルム将軍が、みずみずしい「葡萄・桃・イチジク」に感動して突然スピーチを始める理由だ…

     

     

    大袈裟だな(笑)

     

    真冬のノルウェーに季節外れの新鮮な果物が出て来たから驚いただけでしょ?

     

     

    季違いじゃが仕方ない…

     

     

    だから獄門島ネタは、もういいって(笑)

     

     

    君たちがこういうことやってるから僕の解説は「ふざけてる」って思われちゃうんだな。

     

     

    いつも最初にネタをふるのはアンタだろ!

     

    その恰好じゃ説得力ゼロだし!

     

     

    そうだったっけ?

     

    さて、先程の一文のあとには、当時の村の若者たちが「美人姉妹見たさ」に教会へ足を運んでいたことが描かれる。

     

    そして年配の信者の中には、早く姉妹に婿を探したほうがいいと教父に進言する者もあった。

     

    ここでも興味深い描写がいくつかあるから紹介しよう。

     

    まず信徒たちの「愛・結婚観」だ。イサク・ディーネセンは、こんな風に書いている…

     

    To the Dean's congregation earthly love, and marriage with it, were trivial matters, in themselves nothing but illusions;

     

    正確に訳すと、こうなるよね…

     

    教団の信徒たちにとって、《結婚》のような《地上世界における愛》はさほど意味を持つことではなく、彼らの中では《幻想》以外の何物でもなかった。

     

     

     

    地上世界の愛を否定!?愛のある結婚は幻想!?

     

    どんなカルト教団!?

     

     

    だって第1章でもイサク・ディーネセンはこの教団を「ある種のセクト」だって書いていたからね。

     

    これが日本語翻訳版や映画版では書き換えられ、美しく「ホワイト・ウォッシュ」されてしまったんだな。

     

    カトリックの「七つの秘蹟」の1つにもなっている「婚姻の秘蹟」を否定するという教義だから、教父や姉妹はカトリック教徒との接触を恐れていたんだよ。

     

     

    なるほど…

     

    確かにドロドロとした横溝正史の世界っぽくなってきた…

     

     

    そして、年配の信徒から姉妹の婿取りを提案された時、教父は即座に却下した。

     

    その「理由」も興味深いんだ…

     

    But the Dean had declared that to him in his calling his daughters were his right and left hand. 

     

    直訳すると、こうなるよね…

     

    しかし教父はこう宣言したものだ。天から使命を与えられた自分にとって、ふたりの娘は右手であり左手であると。

     

     

     

    どこが興味深いんだ?

     

    ただの「年老いて授かった孫みたいな娘が可愛くて仕方ないジジイ」じゃんか!

     

     

    まあ「誰にも嫁にやりたくない」という点は確かにそうなんだけど、それだけじゃないんだな…

     

    前回、この『バベットの晩餐会』という物語は「マタイによる福音書:第5章」がベースになっていることを話したよね?

     

    マタイ第5章には「右手」に関する興味深い記述があるんだよ。覚えてる?

     

     

    右手?あったっけ、そんなの?

     

     

     

    第30節に描かれる「全体を守るために、罪を犯した右手を切って捨てる」例え話だ…

     

    Matthew 5:30 King James Version (KJV)

    And if thy right hand offend thee, cut it off, and cast it from thee: for it is profitable for thee that one of thy members should perish, and not that thy whole body should be cast into hell.

    もしあなたの右の手が罪を犯させるなら、それを切って捨てなさい。五体の一部を失っても、全身が地獄に落ち込まない方が、あなたにとって益である。

     

     

    これが重要って、どゆこと?

     

     

     

    教父は「罪を犯した右手」を「切り捨てる」つもりだったということだよ…

     

    全体、つまり教団存続のためにね…

     

     

    ハァ!?

     

     

    教父はふたりの娘に「結婚」させるつもりはなかったけど、教団を率いる「後継者」は必要だと考えていたんだ。

     

    しかも自分並みにカリスマ性のある後継者がね…

     

     

    カリスマ性?

     

     

    キリスト教世界において最もカリスマ性の高い人物といえば、もちろんイエスだ。

     

    イエスのカリスマ性は様々な逸話によって彩られているけど、そのひとつが「処女マリアから生まれた」という「処女懐胎」だよね…

     

    つまり、もし未婚の処女から子供が生まれたら、人々はその子供を「イエスの再来」だと噂し、強力な後継者と見做すかもしれない…

     

    そして「罪を犯した」という真実を知る「右手」を適当なところで「切り捨てる」ことで、教団全体の未来は安泰となる…

     

    かつて姉妹を産んだ母を、そうしたように…

     

     

    な、なんだよコレ…

     

    まさにドロドロの横溝正史ワールドじゃんか…

     

    おかえもんが石坂浩二に見えてきたぞ…


     

    フケも出そうか?


     

    出さなくていい!

     

    でも、姉妹のうち、どっちが「右手」なんだ?

     

    言葉の並びからすると、姉のマチーヌっぽいけど…

     

     

    とりあえずはそうなるね。

     

    だから教父は第2章で描かれるように、青年将校ロレンス・レーヴェンイェルムの接近を許したんだ…

     

    女癖の悪さが祟って、僻地での謹慎処分を受けているような男を、大事な娘のマチーヌにね…

     

    だけど教父にとっては、謹慎処分が解かれれば二度とこの地へ来ることはない相手だから、むしろ好都合といえる…

     

     

    げげえ!

     

    二人の接近は教父の策略だったのか!

     

     

     

    さらに言うと、レーヴェンイェルム家の「血」も大きな要因だったはずだ…

     

    レーヴェンイェルム家には古い「言い伝え」があった。

     

    先祖のひとりがノルウェーの山に住むとされる妖精Huldre(フルドラ)との間に子供をもうけたというんだ。

     

    このフルドラという妖精は、ちょっとエッチな小悪魔キャラで、美しい娘に化けて人間の男と交わるという悪戯をするらしい。

     

     

     

     

    鶴みたいだな(笑)

     

     

    それを言うなら狐やろ!

     

    鶴の場合は交わることが目的とちゃうで!

     

    男に尽くす一環として交わるだけや!

     

     

    それからレーヴェンイェルム家には「second-sight」の能力を持つ人物が生まれるようになったという…

     

    日本語翻訳版では「透視力(筑摩書房版)」や「霊感(シネセゾン版)」となっているけど、正確に訳すと「本来なら見えないものがvisionとなって見える力」って感じかな。

     

     

    そのことを姉妹のオトンは知っとったわけか…

     

    そんでその血を入れることで、ビジョンの見えるカリスマ性の高い後継者が誕生する…

     

     

    教父は当然レーヴェンイェルム家の噂を知っていたはずだ。何せロレンスの伯母が熱心な信者だったくらいだからね。

     

    それに教父は、以前にも「フルドラの血」に関心を持ち「後継者作り」をした可能性もあるんだ…

     

    そのとき産まれたのがマチーヌとフィリッパかもしれないんだよ…

     

     

    ハァ!?

     

     

    だから姉妹の母親の存在は「タブー」になってるんだ。たぶん「フルドラの血」をひく女性だったんだろうね…

     

    いや、もしかしたらフルドラだったのかもしれない…

     

    この事実は、キリスト教原理主義的な教団にとっては、とても不都合なことだ…

     

    なにせフルドラは、スカンジナビア土着の神話につながる多神教のシンボルみたいな存在だからね…

     

    ずいぶん昔に亡くなった教父を今でもあれだけ信徒たちは慕い続けているのに、誰一人として「教父の妻」のことを口にしない…

     

    自分たちの娘のように思っている姉妹を産んだ「母親」なのに…

     

     

    考えられる理由は1つ…

     

     

    その女性が「聖書の教えに反する存在」だったからなんだ…

     

     

     

    確かに、それ以外に理由が見つからない…

     

    あそこまで皆が「存在を無視する」理由が…

     

     

    しかし教父の期待と裏腹に、姉妹は「second-sight」の能力を見せることはなかった…

     

    いちおう妹のフィリッパは「人々を魅了する歌声」をもって生まれたけどね…

     

    残念ながらそれだけでは、大幅な信徒獲得にはつながらなかったんだ…

     

     

    そんで姉のマチーヌのほうは特殊能力無しか…

     

     

    そうでもないんだな。

     

    実はマチーヌには「フルドラの血」が色濃く引き継がれているんだよ…

     

     

    ええ〜〜〜!?

     

     

    でも本人がそれを「特別」だと思っていないんだ…

     

    見えている「second-sight」の意味にイマイチ気付いていないんだよね。

     

     

    み、見えてるの!?

     

     

    そう。マチーヌには「見えてる」んだ。

     

    でもそれを特別なことだと思わなかったんで、父には言わなかった。

     

    それを裏付ける描写がある。

     

    通りで見かけたマチーヌにひとめぼれしたロレンスが「黄色い家」に足繫く通い出した時の様子を見て欲しい…

     

    He followed her slim figure with adoring eyes, but he loathed and despised the figure witch he himself cut in her nearness.

     

    彼はすらりとしたマチーヌの姿を崇拝するような目で追った。しかし彼女の近くに晒してる自分の姿に嫌悪や軽蔑の念を感じるようになった。

     

     

     

     

    どゆ意味?

     

     

    この時まだロレンスの能力は完全には目覚めていなかった…

     

    だけど何となく「自分が丸裸にされている」ような感覚に襲われたんだ…

     

    それもそのはず…

     

    マチーヌがロレンスを「second-sight」で「丸裸」にして見ていたんだよね…

     

     

    なんですとォ!?

     

     

    だからマチーヌのそばに近付くと、自分のことが恥ずかしくなってしまうんだね。すべてを見られてる感じがして。

     

    伯母の家に帰るとそれを感じなくなるから、無性に悔しくなるんだ。

     

     

    でも、最初に出会った時は恥ずかしがるどころか馬上で凛々しい姿を見せつけて、かなり自信満々だったぞ!

     

     

    あの出会いシーンが「トリック」だったんだよ…

     

    だってあの時のロレンスは、馬上からマチーヌを見下ろしていたからね…

     

    He looked down at the pretty girl, and she looked up at the fine horseman.

     

    彼は美しい少女を見下ろし、少女は馬上の凛々しい青年を見上げた。

     

     

    路上のマチーヌからロレンスの「全身」は見えなかった。馬に跨っているから「死角」があったんだよ。

     

    だからあの時のロレンスは、マチーヌが惚れ惚れと自分のことを見ていることがわかり、自分を「恥ずかしい存在」だと思わなかったんだ。

     

    だけど黄色い家にロレンスが訪れた時に、マチーヌは「馬上の時は見えなかった部分」を「second-sight」で見てしまった…

     

     

    ちょ、ちょい待て…

     

    何を言ってるんや…

     

     

    ロレンスは「sotin」だってことだよ…

     

    ちなみにイサク・ディーネセンは「candlestick(ろうそく棒)サイズ」だと書いている…

     

     

    ま、マジですか!?

     

     

    ロレンスは大パニックになってしまう。

     

    それまでイケてる青年将校として盛り場の女たちにチヤホヤされてきたからね。

     

    まあ、女たちは青年将校という肩書とお金が目当てだったんだけど、ロレンスは自分の魅力だと勘違いしていたわけだ。

     

    He amazed and shocked by the fact that he could find nothing at all to say, and no inspiration in the glass of water before him. 

     

    彼は何も言葉を見出せないという事実に驚きショックを受けた。目の前に置かれたグラスの水の中に、何のインスピレーションも見出せなかったのだ。

     

     

    ロレンスが自信喪失している姿を見た教父は、これではイカンと思い、ロレンスに励ましの言葉を与える。

     

    「親愛なる友よ、慈悲と真実は寄り合うことになるのです。正義と幸福は互いにキスすることになるのです」

     

     

    教父の予言というか誘導だな。

     

    なんとか二人をくっつけようとしてる(笑)

     

     

    ロレンスも諦めずに何度もマチーヌのところに通うんだけど、やっぱりダメだった…

     

    マチーヌに会えば会うほど自分が「ちっぽけ」に見られてるような気がしてきて、「哀れな存在」だと思われてるって感じてしまうんだね…

     

    だからロレンスは自分の部屋に戻ると「ブーツ」を投げ捨て「頭」を机の上に乗せて涙ぐむんだ…

     

     

    意味深な言い方やな…

     

     

    なにせマチーヌの頭の中は「大きな亀の頭」でいっぱいだからね。

     

    「ろうそく棒」じゃハナシにならない(笑)

     

     

    そこが「亀の頭」の固執につながるのか!

     

     

    イサク・ディーネセンは様々な伏線を張ってるんだよ。小説だから当たり前といえば当たり前なんだけど。

     

    後半にあれだけ「亀の頭」ネタが出て来るということは、前半部にも「それに対応するもの」があるのが普通なんだ。

     

     

    なるほどな…

     

    せやけどロレンス・レーヴェンイェルムは可哀想な男や…

     

    千里眼能力の血をひく人間なのに、それを発揮することができずに、逆に己が丸裸にされていた…

     

     

    そうだね。別れの場面なんて「妄想が爆発して悶々とする様子」が伝わってきて切なくなる。

     

    When he had said good-bye to the party, Martine saw him to the door with a candlestick in her hand. The light shone on her mouth and threw upwards the shadows of her long eyelashes.

     

     

    どこがやねん。

     

     

    ロレンスは自分の男性自身をマチーヌが手にすることを想像し、マチーヌの女性自身を夢想するんだ。

     

    灯りに照らされた「口」と「上向きのまつ毛」は女性器の喩えだね。

     

    これが後半部の「晩餐会のフルーツ」に対応している。

     

     

    お前の妄想力とちゃうんか?

     

     

    素晴らしい芸術作品は、えてして、こういうふうになっているんだよ。

     

    エロスは芸術において最大の関心事でありテーマなんだ。

     

    いかにエロスを露骨にならないように深く描くかが、芸術家の腕の見せ所なんだね。

     

    作者のイサク・ディーネセンも、晩餐会シーンでこんなことを書いてるんだよ(笑)

     

    なんでもそのシェフは驚いたことに女性で、当代きっての料理の天才としてパリじゅうに知られているのだと説明してくれた。ガリフェ大佐はさらにこう付け加えた。「それに、実はその女性はね、カフェ・アングレのディナーをなんというか一種の情事に、崇高でロマンチックな恋愛関係とでもいったものに変えようとしているのさ。そうなればもう食欲や充足感に、肉体的なものと精神的なものの区別などつかなくなるってわけさ…」

     

     

    つまり…

     

    イサク・ディーネセンという名の作者は驚いたことに女性で、当代きっての文学の天才として知られている。そしてその女性は、英語文学を一種の情事に、崇高でロマンティックな恋愛関係に変えようとしていて、読書の充足感は肉体的なものと精神的なものの区別などつかなくなる…ってわけだな(笑)

     

     

     

    その通り。

     

    プライドと自信に満ちたイサク・ディーネセンの人柄が窺い知れるよね。

     

     

    せやけど、オトンの狙いは失敗したわけやな。

     

    「second-sight」の血を受け継ぐレーヴェンイェルム家の「タネ」を、マチーヌに植え付けることは出来へんかった…

     

     

    だから教父は次の作戦に出たんだ…

     

    今度は妹のフィリッパに「後継者」を「処女懐胎」させようとした…

     

    それが描かれるのが第3章「PHILIPPA'S LOVER(フィリッパの求婚者)」だ…

     

     

    やっぱり、そう来るのか…

     

     

    金田一映画じゃないけど、絶対的でカリスマ的な父は執念深いんだよ(笑)

     

     

     

     

    JUGEMテーマ:映画

    イサク・ディーネセン『バベットの晩餐会』徹底解説:第1章

    • 2018.09.05 Wednesday
    • 21:26

     

     

     

     

    時には〜母のない子の〜よ〜おに〜♪

     

     

    いきなりカルメンマキか!

     

    なに懐かしい歌、歌っとんねん。

     

     

    いや、ちょっとこの歌についていろいろ考えててね…

     

     

     

     

    誰このおじさん?

     

     

    さあ、知らない人。でもいい声してるよね。

     

    さて今回は『バベットの晩餐会』の第1章を見ていくよ。

     

     

    前回を未読の方はコチラをどうぞ!

     

     

     

    この解説記事は、あくまで原作である「小説版」の解説やで。

     

    「わたしの知ってる映画とは違う!ムキー!」とか文句言わんといてや。

     

     

    数ある小説版の中でも「イサク・ディーネセン名義の英語版」の解説だからね。

     

    カレン(カーレ)・ブリクセン名義のデンマーク語版とも違うから注意が必要だし、日本語の翻訳版とも全然内容が違うので、そこのところは忘れないでくれ。

     

    ちなみにここでの「日本語翻訳版」とは、筑摩書房から出てる桝田啓介氏によるものを指す。岸田今日子版など他の翻訳者のものと混乱しないようにね。

     

    しかしこの作品は英語で読んで欲しいな。そんなに長くないし、英語も簡単なので、ぜひお薦めしたい。

     

    作者が作品に込めた意図を100%楽しむには、やっぱり英語版じゃないといけないんだよね…

     

     

     

    ラジャー!

     

     

    では第1章『Two ladies of Berlevaag(邦題:二人姉妹)』を見てみよう。

     

    と、その前に英語版には序文というか、この作品における最重要の一文が、いかにも「意味有り気」に提示される…

     

    'But the true reason for Babette's presence in the two sisters' house was to be found further back in time and deeper down in the domain of human hearts' 

     

    これは第1章の最後の一文なんだけど、この短い文章の中に作者イサク・ディーネセンが「この作品で描きたかったこと」が集約されていると言っていい。

     

    訳すと、こんな感じになるよね…

     

    だが、ふたり姉妹の家におけるバベットの真の存在理由とは、遥か遠く遡った時間と、人の心の深層部分に見出されるものである。

     

     

     

    本当の存在理由?何のこと言ってんだ?

     

     

    単刀直入に言うと…

     

    「二人姉妹の世界に入って来たバベットという存在は、人類史において繰り返される、ある種の《必然》である」ということなんだ…

     

     

    なに言ってるか全然わからん!

     

     

    つまり「新約聖書は旧約聖書によって補完される/欧州文化にはユダヤ人の存在が重要だ」ということなんだね…

     

     

    ええ〜!?

     

    なんだよそれ!?

     

     

    ここで作品最大のタネ明かしをしちゃうけど…

     

    実はバベットは「ユダヤ人」なんだ。

     

    映画版ではカトリックのキリスト教徒として描かれているけど、原作である小説版では一言も「クリスチャン」だなんて書かれていない。

     

    「黒い大きな祈祷書らしき本」をバベットが憑りつかれたように読んでいるところを盗み見て、恐怖心を感じた老姉妹は「あれはカトリックの祈祷書で、彼女は熱心なカトリック教徒なんだ」と自らに言い聞かせるんだね。

     

    老姉妹は生まれてこのかた異教徒なんて見たこと無いから怖かったんだよ。なにせカトリック教徒ですら、長い人生で1人だけしか見たことがないくらいだ。

     

    だからバベットに「それは何の祈祷書?」と聞くことが出来なかったんだよ…

     

     

    確かにオペラ歌手パパンには「あなたはカトリックか?」と尋ねるシーンがあった…

     

    だけどバベットには無かったな…

     

     

    そこが「トリック」なんだよ。

     

    フランス人のオペラ歌手パパンの登場シーンでは、彼がカトリックであることが強調される。

     

    スカンジナビア半島のほとんど最北端の僻地に住む姉妹とその老父にとって、人生で初めて生で見たカトリック教徒だったからね。

     

    そしてパパンが書いたバベットの紹介文にも、読者に対して「バベットはクリスチャンだ」と思い込ませてしまうトリックが隠されている。

     

    ノルウェーの首都「クリスチャニア(現オスロ)」の存在だ。

     

    パパンはバベットの甥がフランスとノルウェーを結ぶ「クリスチャニア航路」の客船でコックをしていると書き、わざわざ「ノルウェーの首都はクリスチャニアですよね?」と念を押す。

     

    彼女の宗旨には一切触れずに「クリスチャニア」という言葉を連発するわけだ。

     

    そして晩餐会の前にもバベットはクリスチャニアへ行き、戻った後もクリスチャニアに無事に食材が着くかどうか心配する。

     

    イサク・ディーネセンは、やたらと「バベット」と「クリスチャニア」をセットにするんだよね…

     

    これは読者の深層心理に「彼女はクリスチャン」だと植えつける作戦以外の何物でもない(笑)

     

     

     

    なるほど…

     

    舞台がデンマークに変わってしまった映画版では使えないトリックだ…

     

    さすがに19世紀末のデンマークで「生まれてから一度もプロテスタント教徒以外の人間を見たこと無い」なんてありえないもんな…

     

     

    映画版は舞台だけでなくバベットの設定自体も変わってしまったからね。普通のキリスト教徒になっている。

     

    そして「コック」という言葉にも「面白いトリック」が隠されているんだけど、これは後でたっぷり解説するとしよう。

     

     

    コックに?

     

     

    さて第1章に入ろうか。

     

    まずは舞台であるBerlevaagの景色が描かれる。入り組んだフィヨルドと、様々な色に彩られた小さな集落の様子だ。

     

    日本語翻訳版では「ベアレヴォー」と現地語読みになっているけど、英語読みでは「バールヴァーグ」だね。

     

    この地名は「Berlのvaag(バールの山)」という意味なんだけど、ここにもイサク・ディーネセンのジョークが隠されてるんだよ(笑)

     

     

    へ?

     

     

    「Berlevaag」という地名には、聖書に出て来るシリア・パレスチナ地方の異教の神「Baal(バアル/バール/ベル)」がかけられているんだよね。

     

    Baal

     

     

    聖書では堕落した多神教の象徴として目の敵にされ、最近ではイスラム過激派ISに目の敵にされ、歴史的に貴重な遺跡を破壊されまくった、あのバアルか!

     

     

    だから小説版ではバベットの「ちょっと変わった様子」が様々な「異教」に喩えられるんだよね。

     

    そして「Berlevaag」にある姉妹の教団や信徒にも、多神教信仰の秘密が隠されている…

     

     

    なんですと!?

     

    みんな超敬虔なプロテスタントだったじゃんか!

     

     

    そうだったかな?

     

    イサク・ディーネセンは「わかりやすいヒント」を用意してくれてたけどね…

     

    「あること」だけには「不自然なまでに一切触れない」という、超わかりやすい手法で(笑)

     

     

    「あること」?

     

     

    順を追って説明していこう。

     

    村の描写の後には姉妹が紹介される。姉の「Martine(マチーヌ)」と妹の「Philippa(フィリッパ)」の名前の由来や、美しい容姿や質素な暮らしぶりなどをね。

     

    続いて、姉妹の父が紹介される。ここは重要な部分なんで原文を見てみよう。

     

    Their father had been a Dean and a prophet, the founder of a pious ecclesiastic party or sect, which was known and looked up to in all the country of Norway. 

     

    訳すとこんな感じになる。

     

    彼女たちの父は宗教指導者であり預言者だった。信心深い教団の創設者で、やや異端めいたところもあったが、その名はノルウェイ中で知らない者はなく、畏怖されるような存在だった。

     

     

    なんかオイラのイメージしてた感じとちょっと違うな。

     

     

    日本語の翻訳版だと、かなり意訳されているんだよね。

     

    筑摩書房の桝田啓介版では「敬虔で強力な宗派の創始者」とされており、映画のヒットを受けてシネセゾンから出版された岸田今日子版では「敬虔な正統協会派を設立し、ノルウェー中に広まって尊敬を集めていた」となっている。

     

     

    正統協会派?ノルウェー中に広まった?

     

    岸田今日子版は、なんでこうなってもうた?

     

     

    どうしても「北欧が舞台=美しい物語」という構図にしたかったのかもしれないな。

     

    北欧好きの日本人は、北欧にドロドロしたものを認めたくないのかもしれない…

     

     

    イサク・ディーネセンの原作だと、横溝正史の金田一耕助シリーズに出て来る、閉鎖的な田舎のちょっとアヤシイ宗教みたいだもんね…

     

     

    しかも死んだカリスマ教祖が遺した二人の美しい姉妹やで…

     

    市川崑が映画化したら高峰三枝子と草笛光子で決まりや。

     

     

    いや、富司純子と松坂慶子も捨てがたい。

     

     

    何の話してんだよ!

     

    しかも三条美紀と萬田久子が可哀想じゃんか!

     

     

    ごめんごめん。最近『犬神家の一族』の記事を書いたもんで(笑)

     

    さて、さっき挙げたの原作の英文を見るとわかるように「sect(セクト)」という単語が使われている。

     

    単語自体は「宗派・分派」という意味なんだけど、こういう風に使われる場合は「異端」という意味合いが強くなるんだ。

     

    日本語でも「セクト」はあまりいい意味では使われないよね。

     

     

    まあ、そもそも教祖が「預言者/予言者」やしな…

     

    じゅうぶんな異端要素やろ。

     

     

    日本で例えると神道系の新興団体みたいな感じかな。

     

    だいたいそういうところには、かつてカリスマ的な教祖がいて、御神託を信者や世間に与えていた。

     

     

    しつこいようやけど、教祖の娘が美人なのも「ありがち」や。

     

    『獄門島』の浅野ゆう子もそうやったし、某日活映画の五月みどりもそうやった。

     

    実際の宗教団体でも教祖の娘が美人っちゅうところは多いんとちゃうか?

     

    カリスマ教祖の嫁さんは、だいたい美人やさかいな…

     

    まあこれも「ありがち」なハナシや。

     

     

    そして、美人な娘の「母」、つまり「カリスマの妻」が、後々「タブーな存在」になることも「ありがち」だよね…

     

     

    へ?

     

     

    まあそれはひとまず置いといて、引き続き第1章を見ていこう…

     

    次は彼らの宗教観が説明される。

     

    姉妹の父が創設した教団では「現世での喜び」をすべて「幻想」と見なしていた。

     

    信徒に対し「日常生活の中で喜びを一切感じてはいけない」と教えていたんだね。

     

    そして地上に理想世界「新たなるエルサレム」の到来を切望していたんだよ。

     

     

    ほとんどカルトじゃんか…

     

     

    これが日本語翻訳版では、かなり「マイルド」に訳されているんだよね。

     

    原文では「the plesures in this wprld(この世の喜び)」を「幻想と見なす」と書かれているんだけど、日本語翻訳では「快楽を幻想とし、悪とみなす」とされている。

     

    日本語版での教条は、割と「普通のこと」になってしまっているんだ。イサク・ディーネセンによる英語版では、かなり過激な思想なのにね。

     

    そして映画版では彼らの宗教的特異性は完全に消され、とても敬虔なキリスト教徒として描かれている

     

     

    なるほど、そうゆうことだったのか…

     

     

    そして次の「信徒の態度」の説明は、英語の原文と日本語翻訳版の内容が「180度違ったもの」になってしまっているんだ。

     

    まず日本語版では、こう書かれている…

     

    「彼らの話しぶりは是は是、非は非とする態度でつらぬかれていて…」

     

     

    誰に対してもハッキリとモノを言うってことだな。

     

    疑問があったら、強い意志を持って意見するって感じだ。

     

     

    でもイサク・ディーネセンの英語版では、そうじゃないんだ…

     

    「教えに対して一切の疑問は抱かず、教父に対して疑うようなことは絶対に口にしない」ってニュアンスで書かれているんだよね…

     

     

    ええ!?全然違うじゃんか!

     

     

    だってイサク・ディーネセンは、こう書いているんだよ…

     

    their communication was yea yea and nay nay,

     

     

    コミュニケーションが「イエィ、イエィ」と「ナイ、ナイ」?

     

    浮かれたウェイ系のパリピか?

     

     

    「yea yea and nay nay」は「イエスとノーしか口にしない」ってことなんだ。

     

    『マタイによる福音書』第5章37節からの引用だね。

     

    Matthew 5:37 King James Version (KJV)

    But let your communication be, Yea, yea; Nay, nay: for whatsoever is more than these cometh of evil.

    あなたがたの言葉は、ただ、しかり、しかり、否、否、であるべきだ。それ以上に出ることは、悪から来るのである。

    ここでは「信仰生活において《はい》と《いいえ》しか言ってはいけない」と書かれているんだね。

     

    それ以上余計なことを口にするのは「悪の仕業」だというんだ。

     

     

    まさに日本語版と正反対!

     

    そして「イエィイエィ!ナイナイ!」はパリピの言葉じゃなくて、聖書の言葉だったのか!

     

     

    ちなみに『バベットの晩餐会』のストーリーは「マタイによる福音書:第5章」がベースになっているんだ。

     

    小説を読んだ後にマタイの第5章を読むと、思わず顔がニヤけちゃうと思うよ…

     

    「山の上にある町」とは「エルサレム」のことなんだけど、『バベットの晩餐会』では「Berlevaag(バールの山)」に置き換えられている。

     

    そして「料理と塩」の喩えや、「仲の悪い兄弟」の喩えや、「パリサイ人の義」についても作品の中に重要なモチーフとして登場する。

     

    さらには「仲間に対して攻撃する者は地獄の火に投げ込まれる」とか、「最後のお金を使い果たすまでは、そこから出られない」とか、「あなたを迫害する者のために祈れ」とか…

     

    あまりにも重要なので、全文掲載しておくね。

     

    5:1イエスはこの群衆を見て、山に登り、座につかれると、弟子たちがみもとに近寄ってきた。5:2そこで、イエスは口を開き、彼らに教えて言われた。5:3「こころの貧しい人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。5:4悲しんでいる人たちは、さいわいである、彼らは慰められるであろう。5:5柔和な人たちは、さいわいである、彼らは地を受けつぐであろう。5:6義に飢えかわいている人たちは、さいわいである、彼らは飽き足りるようになるであろう。5:7あわれみ深い人たちは、さいわいである、彼らはあわれみを受けるであろう。5:8心の清い人たちは、さいわいである、彼らは神を見るであろう。5:9平和をつくり出す人たちは、さいわいである、彼らは神の子と呼ばれるであろう。5:10義のために迫害されてきた人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。5:11わたしのために人々があなたがたをののしり、また迫害し、あなたがたに対し偽って様々の悪口を言う時には、あなたがたは、さいわいである。5:12喜び、よろこべ、天においてあなたがたの受ける報いは大きい。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。5:13あなたがたは、地の塩である。もし塩のききめがなくなったら、何によってその味が取りもどされようか。もはや、なんの役にも立たず、ただ外に捨てられて、人々にふみつけられるだけである。5:14あなたがたは、世の光である。山の上にある町は隠れることができない。5:15また、あかりをつけて、それを枡の下におく者はいない。むしろ燭台の上において、家の中のすべてのものを照させるのである。5:16そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かし、そして、人々があなたがたのよいおこないを見て、天にいますあなたがたの父をあがめるようにしなさい。5:17わたしが律法や預言者を廃するためにきた、と思ってはならない。廃するためではなく、成就するためにきたのである。5:18よく言っておく。天地が滅び行くまでは、律法の一点、一画もすたることはなく、ことごとく全うされるのである。5:19それだから、これらの最も小さいいましめの一つでも破り、またそうするように人に教えたりする者は、天国で最も小さい者と呼ばれるであろう。しかし、これをおこないまたそう教える者は、天国で大いなる者と呼ばれるであろう。5:20わたしは言っておく。あなたがたの義が律法学者やパリサイ人の義にまさっていなければ、決して天国に、はいることはできない。5:21昔の人々に『殺すな。殺す者は裁判を受けねばならない』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。5:22しかし、わたしはあなたがたに言う。兄弟に対して怒る者は、だれでも裁判を受けねばならない。兄弟にむかって愚か者と言う者は、議会に引きわたされるであろう。また、ばか者と言う者は、地獄の火に投げ込まれるであろう。5:23だから、祭壇に供え物をささげようとする場合、兄弟が自分に対して何かうらみをいだいていることを、そこで思い出したなら、5:24その供え物を祭壇の前に残しておき、まず行ってその兄弟と和解し、それから帰ってきて、供え物をささげることにしなさい。5:25あなたを訴える者と一緒に道を行く時には、その途中で早く仲直りをしなさい。そうしないと、その訴える者はあなたを裁判官にわたし、裁判官は下役にわたし、そして、あなたは獄に入れられるであろう。5:26よくあなたに言っておく。最後の一コドラントを支払ってしまうまでは、決してそこから出てくることはできない。5:27『姦淫するな』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。5:28しかし、わたしはあなたがたに言う。だれでも、情欲をいだいて女を見る者は、心の中ですでに姦淫をしたのである。5:29もしあなたの右の目が罪を犯させるなら、それを抜き出して捨てなさい。五体の一部を失っても、全身が地獄に投げ入れられない方が、あなたにとって益である。5:30もしあなたの右の手が罪を犯させるなら、それを切って捨てなさい。五体の一部を失っても、全身が地獄に落ち込まない方が、あなたにとって益である。5:31また『妻を出す者は離縁状を渡せ』と言われている。5:32しかし、わたしはあなたがたに言う。だれでも、不品行以外の理由で自分の妻を出す者は、姦淫を行わせるのである。また出された女をめとる者も、姦淫を行うのである。5:33また昔の人々に『いつわり誓うな、誓ったことは、すべて主に対して果せ』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。5:34しかし、わたしはあなたがたに言う。いっさい誓ってはならない。天をさして誓うな。そこは神の御座であるから。5:35また地をさして誓うな。そこは神の足台であるから。またエルサレムをさして誓うな。それは『大王の都』であるから。5:36また、自分の頭をさして誓うな。あなたは髪の毛一すじさえ、白くも黒くもすることができない。5:37あなたがたの言葉は、ただ、しかり、しかり、否、否、であるべきだ。それ以上に出ることは、悪から来るのである。5:38『目には目を、歯には歯を』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。5:39しかし、わたしはあなたがたに言う。悪人に手向かうな。もし、だれかがあなたの右の頬を打つなら、ほかの頬をも向けてやりなさい。5:40あなたを訴えて、下着を取ろうとする者には、上着をも与えなさい。5:41もし、だれかが、あなたをしいて一マイル行かせようとするなら、その人と共に二マイル行きなさい。5:42求める者には与え、借りようとする者を断るな。5:43『隣り人を愛し、敵を憎め』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。5:44しかし、わたしはあなたがたに言う。敵を愛し、迫害する者のために祈れ。5:45こうして、天にいますあなたがたの父の子となるためである。天の父は、悪い者の上にも良い者の上にも、太陽をのぼらせ、正しい者にも正しくない者にも、雨を降らして下さるからである。5:46あなたがたが自分を愛する者を愛したからとて、なんの報いがあろうか。そのようなことは取税人でもするではないか。5:47兄弟だけにあいさつをしたからとて、なんのすぐれた事をしているだろうか。そのようなことは異邦人でもしているではないか。5:48それだから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。

     

     

     

    「パリサイ人」が「パリの人々」か(笑)

     

     

    「不品行以外の理由で自分の妻を出す者は云々」っちゅうのは姉妹のオトンのことやろ…

     

    だから姉妹のオカンは教団の中で「アンタッチャブル」な存在なんや…

     

     

    ふふふ。面白いよねイサク・ディーネセンは。

     

    これまで多くの読者を手玉に取って来たんだろうけど、僕の目は欺けないぞ(笑)

     

    ちなみにこのマタイ第5章の中で、『バベットの晩餐会』的に最も重要なのが「第17節」だ。

     

    Matthew 5:17

    Think not that I am come to destroy the law, or the prophets: I am not come to destroy, but to fulfil.

    わたしが律法や預言者を廃するためにきた、と思ってはならない。廃するためではなく、成就するためにきたのである。

     

     

    小説の序文「姉妹の家におけるバベットの真の存在理由」だな…

     

    ユダヤ人のバベットは旧約聖書の預言を成就させるため、つまり新約聖書を補完するために来たんだ…

     

     

    そうゆうこと。

     

    「yea yea nay nay」で聖書の引用に気付けば、自ずと物語の意味もわかるようになっているんだ。

     

    さて「信徒の態度」の次は「姉妹の父が晩婚だったこと」にサラッと触れられ、「現在の信徒の様子」が紹介される。

     

    教父の死後は新しい信者が増えることは無く、教団はどんどん高齢化していき縮小の一途だ。

     

    偉大な教父の不在は信徒に気の緩みを生じさせ、争いごとが絶えないようになっていた。

     

    でも教団本部ともいえる「姉妹の黄色い家」に集まると、なぜだか昔に帰ったような気分になれたんだね。

     

    年老いた信者たちは、師の心が黄色い家と姉妹の中に宿っているように感じたんだ。

     

    偉大な教父同様に老姉妹を慕っていたんだね。彼女たちが赤ん坊の頃から知っているわけだから、自分たちの娘みたいなもんだよね。

     

    そして「黄色い家」でバベットというフランス人家政婦が家事全般を受け持っていることが説明され、第1章は終わる…

     

     

    ちょっと待って!姉妹のママのことはスルーか!

     

    みんな今は亡き教父を慕い、その娘である姉妹を慕うんなら、普通はママさんのことも慕うだろ!

     

     

    せやで!

     

    教祖の嫁っちゅうたら、信徒全員のオカンみたいなもんや!

     

    なんでビッグママの存在をここまで全員でシカトするんや!?

     

     

    極めて不自然だよね。

     

    物語のベースとなったマタイ第5章には「不品行以外の理由で妻を出す」という記述があった。

     

    ということは、姉妹の母も「不品行以外の理由」で教団を去ったと思われる。

     

    そしてそれは教団最大のタブーとなった。だから誰も「姉妹の母」のことを口にしないんだ…

     

     

    「不品行以外の理由」って何!?

     

    姉妹はそれを知ってるの?

     

     

    姉妹は、その理由を知らないと思う…

     

    自分たちの母の存在が信徒の間でタブーになってる理由をね…

     

     

    いったいどうゆうことなんだ!?

     

    そう言うアンタは知ってるのかよ!?

     

     

    姉妹の母に関する秘密の鍵は「第2章」にあるんだ…

     

    「第2章:MARTINE'S LOVER(マチーヌの求婚者)」をしっかり読めば、その謎が解ける仕組みになっているんだね…

     

     

    確か第2章って、若き日のレーヴェンイェルム将軍の話だったよな…

     

     

    その通り。彼の存在がキーマンなんだ。

     

    詳しくは次回たっぷり解説するよ。どうぞお楽しみに…

     

     

    いったいどうゆうことなんだ…?

     

    ちょー気になるじゃんか…

     

     

     

     

     

    JUGEMテーマ:映画

    イサク・ディーネセン『バベットの晩餐会』徹底解説・序章

    • 2018.09.04 Tuesday
    • 19:56

     

     

     

     

    それではイサク・ディーネセン(カレン・ブリクセン)の『Babette's Feast(バベットの晩餐会)』を解説しよう。

     

     

    1987年にアカデミー最優秀外国語映画賞を獲得したな。

     

    日本でもファンが多い作品や。

     

     

     

    知ってる、この映画!

     

    お洒落女子の映画ガイドに必ず名前が出て来るやつ!

     

     

    そうだね、映画ガイドでは必ずと言っていいほど『バベットの晩餐会』は紹介される。確かに「映画として」名作だと思うよ。

     

    ネットで検索すると、多くの人がこの作品について言及しているのが見受けられる。

     

    北欧デンマーク人の慎ましく美しい暮らしぶりを絶賛し、老姉妹とバベットの篤い信仰心を称賛し、劇中で振る舞われるワインやフランス料理、そして歌われるモーツァルトのオペラがいかに素晴らしいかを、皆さん実に熱く語っているよね…

     

    でも、そもそもこの『バベットの晩餐会』という物語は「デンマーク」が舞台ではないんだ…

     

    原作ではノルウェー北部に位置する北極圏の寒村「Berlevaag(ベアレヴォー)」なんだよね…

     

     

     

     

    なにこれ!?全然違う場所じゃんか!

     

    原作の舞台はとんでもない僻地!

     

     

    「Berlevaag」と「ユトランド半島」では2000kmくらい離れている。

     

    日本で例えると『北の国から』の舞台を富良野から鹿児島に移すようなものだ。

     

     

    鹿児島弁の五郎さんとか、ありえね〜(笑)

     

     

    そして老姉妹やその父など、登場人物のキャラも結構「ダーク」なんだ…

     

    さらに登場するワインやフランス料理やモーツァルトのオペラも、それ自体にはほとんど意味はなく、実は「別の意味」を引き立てるための小道具になっているんだよ…

     

    しかも映画でのバベットはいつも十字架を身に着けているカトリック教徒の白人女性として描かれている。

     

    だけど原作では彼女が「クリスチャン」だなんて、ひとことも書かれていない。老姉妹が勝手にそう思い込むんだよ。

     

    十字架なんて一度も手にしないし、キリスト教の祈りも捧げない。そして肌の色も「浅黒い」ことが矢鱈と強調される…

     

    だから原作者のイサク・ディーネセン(カレン・ブリクセン)がこの映画を見たら、さぞかし驚くと思うよ。

     

    「そういう話じゃなかったのに…」って(笑)

     

     

     

     

    ハァ!?ど、どゆこと!?

     

     

    原作と映画は全く違う物語だということだ…

     

    原作はブラックユーモアの塊みたいな短編小説なんだよ…

     

    冒頭からオチまで、ひたすらジョークとメタファーで埋め尽くされているんだよね…

     

    しかもかなり「不謹慎」な類の…

     

     

    ええ!?マジで!?

     

    映画のイメージと180度違うんですけど!

     

     

    だってオチである最後のセリフはこれだよ…

     

    'Ah, how you will enchant the angels!'

     

    日本語版(桝田啓介訳)では「ほんとうに、きっとあなたは天使たちをうっとりさせることよ」と訳されているんだけど、本当の意味は違うんだ。

     

    作者の意図に忠実に訳すとこうなるんだよね…

     

     

    「あなたは《イギリス人/英語話者》を大いに喜ばせることでしょう!」

     

     

     

    なぬ!?

     

     

    「angels(天使たち)」が「angles(イギリス人/英語話者)」のアナグラムになっているんだね。

     

    歴史上に「England」という言葉が登場するのは16世紀頃のこと。それまでは様々な呼び名で呼ばれ、欧州全体で見ると、ローマ教皇がつけた「Angliの土地」というのが最もポピュラーな名前だった。

     

    そもそもは現在のデンマークがあるユトランド半島の付け根あたりに住んでいたアングル人がゲルマン人に追い出され、海を渡ってサクソン人と共に作った国家だったからね。

     

    人種の「アングロ・サクソン」や英国国教会「アングリカン・チャーチ」などには「アングル」が入ってるし、ラテン系の言語ではイギリス人を「アングル」と呼ぶ。

     

    フランス語で「English(イギリス人の/英語)」は「Anglais(アングレ)」というんだよ…

     

     

    それ、どっかで聞き覚えが…

     

     

    バベットがパリでシェフを務めていたレストラン「Café Anglais(カフェ・アングレ)」だね。

     

    フランスの王侯貴族やセレブたちが集う最高級レストランの名前は「イギリス人」という意味だったんだ。

     

    フランス人はイギリス人の料理や味覚を馬鹿にしてるらしいから、ちょっと笑えるよね(笑)

     

     

    そういえば、カズオ・イシグロの『夜想曲集』解説でも「angel」と「angle」のアナグラムが出て来たな…

     

     

    そうだったね。

     

    このアナグラムはポピュラーなものなんだけど、カズオ・イシグロはイサク・ディーネセンを意識していたに違いない。

     

    イシグロの場合は、さらに「Meg Ryan(メグ・ライアン)」と「Germany(ドイツ)」まで使っていたけどね…

     

    あれは間違いなくイサク・ディーネセン(カレン・ブリクセン)への対抗意識の表れだ(笑)


     

    マジかよ…

     

    しかし何でさっきから「イサク・ディーネセン(カレン・ブリクセン)」なんだ?

     

    どっちかの名前でいいじゃんか…

     

     

    それが、そうもいかないんだな。

     

    『バベットの晩餐会』には、イサク・ディーネセン名義で書かれた英語版と、カレン・ブリクセン名義で書かれたデンマーク語版があるんだ。

     

    だから英語版を日本語に翻訳したものは「作:イサク・ディーネセン、訳:○山○夫」で、デンマーク語版を日本語に翻訳したものは「作:カレン・ブリクセン、訳:✕川✕子」という表示になっているんだよ。

     

    原則的にはね。

     

     

    原則的?

     

     

    たまに「そうじゃないもの」もあるんだ。

     

    デンマーク語版から翻訳されているのに「作:イサク・ディーネセン」だったりね。

     

    さらには「アイザック・ディネーセン」なる表記の本まであったりするから話はややこしい。

     

    まあ本人は日本語版にはノータッチだから、どうでもいいことなんだろうけど…

     

     

    っつうか、なんで英語版とデンマーク語版で著者名が違うんだよ!

     

    ややこしいし意味わかんない!

     

     

    本人が真意の言及を避けたんで、諸説あるんだけどね…

     

    僕の推理では「言語が違うと別作品だから説」と「元夫が英米で有名人だったから説」が有力だと思う…

     

     

    どゆこと…?

     

     

    彼女の作品は駄洒落やメタファーが駆使されているって説明したよね?

     

    彼女はまず英語で作品を書いたらしいんだけど、それを母国語のデンマーク語に翻訳する場合、困ったことが生じてしまった。

     

    英語の駄洒落やメタファーが、デンマーク語に置き換えられなかったんだ…

     

    そこで彼女がとった解決策は驚くべきものだった。

     

    なんと「作品の内容を変えてまでジョークやメタファーを成立させる」という掟破りの行動をとったんだ。

     

     

    ええ!?

     

     

    内容が異なるんだから、著者名も異なる…

     

    ある意味、当たり前のことかもしれない…

     

     

    ヴィレッジ・ピープルの『YMCA』と西城秀樹の『YMCA』が、曲は同じでも別物なのと一緒やな…

     

     

     

     

     

    じゃあ「元夫が英米で有名人だったから説」は?

     

     

    これは彼女の生い立ちから話さなければいけないな。

     

    Karen Blixen/Isak Dinesen (1885 - 1962)

     

    彼女は1885年に「カレン・ディーネセン」としてデンマークに生まれた。

     

    ディーネセン家はとても裕福で、彼女はコペンハーゲンの王立美術学校に学んだり、パリに遊学したりと優雅に暮らしていた。

     

    そして父の親戚筋にあたるスウェーデン貴族ブロア・ブリクセンと結婚して「カレン・ブリクセン男爵夫人」となる…

     

    ブロアの祖父はデンマークの外務大臣まで務めた名門貴族だ…

     

     

    男爵夫人!?すげえ!

     

     

    でも当時ブリクセン家は、借金まみれの「没落貴族」だったんだ。

     

    ブロア・ブリクセン男爵としては、裕福なディーネセン家をパトロンにつけることが目的だった。

     

    そして裕福だけど身分が平民のカレンにとっては、「ブリクセン男爵夫人」という貴族の肩書が得られるまたとないチャンス…

     

    つまり最初は「政略結婚」みたいなものだったんだね。

     

     

    ヨーロッパは厳然たる階級社会だからな…

     

    わからんことでもない…

     

     

    そして地に足ついてない夫ブロアは、新妻に「アフリカへ行こう!」と言い出す。

     

    第一次世界大戦後、多くの冒険家やハンターが名声を求めてアフリカを目指していた。

     

    自動車や飛行機の性能が向上し、それまで人が入れなかった砂漠やジャングル地帯を冒険できるようになったんだね。

     

    夫婦はケニアに渡り、コーヒー農園を経営する。その傍ら、夫ブロアは冒険に明け暮れた…

     

    ついでに浮気にも明け暮れ、どこかの女にもらった梅毒を妻のカレンに移してしまう…

     

    失意のカレンは、英国から来た若き冒険家と禁断の恋に落ちる…

     

     

    その頃の話が、映画『愛と哀しみの果て』やな。

     

     

     

    その通り。

     

    メリル・ストリープとロバート・レッドフォードがブリクセン夫妻を演じ、シドニー・ポラックがメガホンをとったこの作品は、1985年度のアカデミー賞で作品賞や監督賞を含む7部門を受賞した。

     

    元々は1937年に小説『OUT OF AFRICA』として発表され、これによって彼女は一躍有名作家になったんだ。

     

     

    だけど浮気者の夫ブロアとは離婚したんだよね?

     

    なんで名前が「カレン・ブリクセン」のままだったの?

     

     

    きっと「バロネス(男爵夫人)」という肩書に愛着があったんだろうね。

     

    だからデンマークでは誇りを込めて「カレン・ブリクセン」という名前で活動したんだと思う。

     

    だけど、イギリスやアメリカにおいて英語で作品を発表する際に、ちょっと困ったことがあった。

     

    元夫のブロア・ブリクセンの存在だ…

     

     

    なんでダメ男ブロアはイギリスやアメリカで有名人だったんだ?

     

     

    実はブロア・ブリクセンの二人目の奥さんはイギリスの貴族の娘で、三人目の奥さんは世界的に有名な女性冒険家だったんだよ。

     

     

    なぬ!?

     

     

    特に三人目の奥さんエヴァ・ディクソンは、世界の冒険家や作家たちの間で非常に人気があった。

     

    ブロアとエヴァはニューヨークで結婚式をした後にキューバやバハマへ新婚旅行に行くんだけど、そこにあのヘミングウェイ夫妻も同行してるんだよね。

     

    ヘミングウェイの書いたエッセイにもブロア・ブリクセンの名前が登場するくらいなんだ…

     

     

    そりゃ有名人だ!

     

     

    だから英語の作品では「カレン・ブリクセン名義」にせずに「イサク・ディーネセン名義」にしたんだと思う…

     

    英米の読者に「あのヘミングウェイの作品に出て来るブリクセン男爵の元妻?」って思われるのが嫌だったんじゃないかな…

     

     

    なるほど確かに一理ある…

     

    でもなぜ「イサク」なんだ?イサクって男じゃんか。

     

     

    これも本人は語ることがなかったので真意は謎のままだ…

     

    でも僕は、こんなふうに推測する…

     

    おそらく聖書の登場人物イサクと自分を「自虐的」に重ねたのではないか、と…

     

     

    自虐的?どゆこと?

     

     

    「イサク」とはアブラハムとサラの間に生まれた長男だよね。

     

    ヘブライ語で「彼は笑う」という意味なんだけど、それは神ヤハウェに対してアブラハムが笑ったことによる。

     

     

    ヤハウェが「お前の妻サラは子を産むだろう」って言った時にアブラハムが笑ったんやったな。

     

    「お言葉ですが、うちのツレ、もう90歳ですわ(笑)」って。

     

    でもホンマに子供が生まれて、「笑ったこと」がそのまま名前「イサク」になったんや。

     

     

    カレン・ブリクセンがアメリカで最初の本を出したのが1934年、49歳の時なんだ。

     

    かなり遅咲きの新人作家だったんだよね…

     

    たぶん元夫のブロア・ブリクセンにも内緒だったんじゃないのかな。

     

     

    49歳の新人作家である自分を「彼は笑う(イサク)」って思ったわけか!

     

     

     

    そしてカレンは、元夫ブロアから移された梅毒により、子供が生めない体になっていた…

     

    イサクが生まれる90歳までサラが不妊症だったことにも、重ねているのかもしれない…

     

     

    なるほど…

     

    そう考えると切ないペンネームだな…

     

     

    まあ、あくまで僕の推測だから。

     

     

    さて、そろそろ小説の本編を詳しく解説することにしようか。

     

    次回は第1章『Two ladies of Berlevaag(二人姉妹)』を見ていこう。お楽しみに!

     

     

     

     

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