「シドニー・ポラック」『RAISING ARIZONA(赤ちゃん泥棒)』徹底解剖17(最終回)

  • 2018.09.02 Sunday
  • 23:13

JUGEMテーマ:映画

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、引き続きコーエン兄弟『RAISING ARIZONA(赤ちゃん泥棒)』に隠されたベートーヴェン交響曲第9番『歓喜の歌(ODE TO JOY)』を見ていこう。

 

 

前回を未読の人はコチラをどうぞ!

 

 

 

 

次は『歓喜の歌』の4分から5分にかけてやな。リズムが威勢のいいマーチ風になる部分や。

 

 

 

ここはわかりやすいね。

 

ハイの夢の中でネイサン・ジュニアがアメリカンフットボール選手になるところだ。

 

まずはクリスマスの朝、五つ子たちがプレゼントを開けるシーン。

 

Froh, wie seine Sonnen fliegen

Glad, as His suns fly

喜ばしき哉、主の星々は天を舞い

 

 

 

「自ら輝く星々」を意味するドイツ語の「Sonnen」と英語の「Suns」が混じって「Sons」か!

 

 

実に教養溢れる駄洒落だ。素晴らしいね、コーエン兄弟は。

 

そして歌詞はこう続く。

 

 

Durch des Himmels prächt'gen Plan

Through the Heaven's glorious Plan

輝かしき計画のもと進んでゆく

 

 

 

 

 

ハイとエドが匿名でアメフトのボールをプレゼントするんだよね!

 

そしてネイサン・ジュニアは高校のアメフト部でスター選手になるんだ!

 

まさにハイが描いた「輝かしき計画」通り!

 

 

その通り。そして歌詞はこう続く。

 

 

Laufet, Bruder, eure Bahn

Hasten, Brothers, on your way

走れ兄弟よ!己の道を突き進め!

 

 

映画もこのまんまだね(笑)

 

 

 

かなりディフェンスのタックルがヘボかったけど、ネイサン・ジュニアはゴールに向かって一直線に突き進んでたな!

 

 

そしてタッチダウンを決め、なぜかユニフォームのデザインが違うチームメイトたちに祝福される。

 

その理由は前に説明したね。コーエン兄弟がユニフォームに仕込んだ秘密については第14回をどうぞ。

 

 

それが『歓喜の歌』の歌詞の、この部分や!

 

Freudig, wie ein Held zum Siegen

Joyfully, as a Hero to Victory

喜びに満ちて、勝利を手にする英雄のように


 

まさに夢の中のネイサン・ジュニア(笑)

 

 

 

ここから『歓喜の歌』は1分40秒ほど歌の無い「間奏」となる。

 

映画でのハイの夢も、ここでいったん区切りとなったよね。

 

 

ハイの語り:しかし俺とエドの未来は夢に現れなかった…。結局、最後まで…。だけど奇妙な光景が見えた。とても朧げで、遠い遠い時代のことのようだ…。その老夫妻は玄関で、子供たちや孫たちがやって来るのを待っていた…

 

その語りと同時に、ドアの前で待つ老夫婦の姿が映し出される。

 

 

そして前方のドアが開くと、明るい光が差し込み、老夫婦の二人の娘や孫たちの姿が現れる。

 

間奏の後『歓喜の歌』は再び最初の歌詞を高らかに歌う。6分45秒からだね。

 

 

 

光の中から現れ、老夫婦の家へ入ってくる娘や孫たちの姿は、まさに歌詞の通りだ!

 

 

Freude, schӧner Gӧtterfunken,

tochter aus Elysium

Joy, beautiful spark of the Gods

daughter from Elysium

歓喜よ、美しき神々の閃光よ

楽園から来た娘よ

 

Wir betreten feuertrunken,

Himmlische dein Heiligtum !

We enter drunk with fire,

Heavenly one,your sanctuary !

我らは神の炎に飲まれながら

聖なる場所へと導かれてゆく

 

 

 

 

『歓喜の歌』の盛り上がる部分と、映画の描写がピッタリだよね。

 

 

Diene Zauber binden wieder

was die Mode streng geteilt,

Your Magic binds together

what Custom strictly parted

あなたの力は再び全てを結びつける

これまで厳しく分けられていたものを

 

Alle Menschen werden Brüder,

wo dein sanfter Flügel weilt

All Men become Brothers

where your gentle Wing rests

全ての者は一体となる

あなたの優しき翼のもとで

 

 

 

 

そしてこんな風に歌詞は続く…

 

 

Seid umschlungen, Millonen!

Diesen Kuß der ganzen Welt!

Be embraced, Millions!

This Kiss for the whole world

皆の者、抱きしめ合おう!

このキスを世界中に!

 

 

ハイの夢では、こんな風に再現されるね。

 

孫が抱き着いて来て、娘がキスをするんだ…

 

 

 

 

 

完璧だ(笑)


 

ハイは夢の中でこんなことを想う…

 

ハイの語り:俺たちの家…。たとえそれがアリゾナでなくても、そんなに遠いところじゃないだろう。そこでは父や母が強くて賢く、とても尊敬されていて、子供たちは皆、愛されていて幸福だ…

 

これは『歓喜の歌』のこの部分にあたるね。

 

Brüder! überm Sternenzelt

Muß ein lieber Vater wohnen

Brothers! beyond the Stars

Must a loving Father dwell

皆の者よ!天空の彼方に

愛に満ちた父がいるに違いない

 

 


 

ハイの「語り」の内容にも、コーエン兄弟の意図が隠されとったんやな。

 

っちゅうことは、あの「オチ」にも…

 

 

だね。

 

Such ihn überm Sternenzelt!

Über Sternen muß er wohnen

Seek Him then beyond the Stars!

He must dwell above the Stars

星々の彼方に父の姿を探せ!

天幕の上に父は住まう

 

 

 

 

アメリカの国旗「星条旗」は各州を「星」で示しておるし、アリゾナ州の州旗も「輝く星」のマークや…

 

そんでアリゾナ州の頭上にはユタ州がある…

 

『歓喜の歌』の歌詞「Seek Him beyond the Star」が「ユタ州かも」っちゅうオチになったんか…

 

 

 

ユタ州には「Him」がいるの?

 

 

そうざんす、サンダンス。なんちゃって。

 

 

は?

 

 

ソルトレイク並みのしょっぱさやで…

 

 

そうそう、大事なことを言い忘れてた。

 

この映画『RAISING ARIZONA(赤ちゃん泥棒)』には、ある有名な「ユダヤ系の映画監督」への対抗心が隠されている。

 

誰だかわかるかな?

 

 

有名なユダヤ系映画監督への対抗心?

 

スタンリー・キューブリックやろ?

 

Stanley Kubrick (1928 - 1999)

 

ベートーヴェンの第九(OP125)は『時計仕掛けのオレンジ』で、落書きの「POE、OPE」は『博士の異常な愛情』や。

 

 

 

 

 

 

だけどキューブリックへの愛情は「隠してない」よね。誰の目にも明らかだ。「POE、OPE」のオマージュは多くの映画ファンが気付いているくらいだし…

 

他の人が書いているようなことを、わざわざ僕は書こうとも思わない。

 

ただ、それが「アルファベットを入れ替えろ」というサインだということまでは、誰も気付いていなかったようだ…

 

『RAISING ARIZONA』というタイトルには、コーエン兄弟の重大なメッセージが隠されていた。

 

「RAISING」には「SINAI(シナイ山)」が、「ARIZONA」には「ZION(シオンの丘)」の文字が隠されていたんだよね…

 

 

 

それだけじゃない。

 

「POE、OPE」の落書きは、トイレのドアの両面に書かれていた。

 

コーエン兄弟は、このドアを倒すことで「POE、OPE」の落書きを逆さまにしたんだ。

 

「God」という文字を浮かび上がらせるためにね…

 

 

 

やっぱりコーエン兄弟はキューブリックを意識してこの映画を作ったんじゃないの?

 

冒頭シーンにやたらと映り込む、あの「おじいちゃん」の肖像画って、なんとなくキューブリックっぽいし。

 

 

 

 

違うんだな、これが。

 

 

じゃあスティーブン・スピルバーグや!

 

スピルバーグはアリゾナ州の砂漠地帯の丘に作られた新興住宅地で少年時代を過ごしたんやで!

 

 

Steven Spielberg (1946 - )

 

 

そうだったね。

 

その新興住宅地にはユダヤ人の家庭はスピルバーグ家以外にゼロだった。だからそこの子供たちはユダヤ人を知らなかったんだ。

 

スティーヴン少年も自身の出自を隠して近所の子供たちと遊んでいた。ある日そこに祖父母がやって来た。大事な宗教行事を息子夫婦や孫たちと過ごすためだ。そしておじいちゃんは孫のスティーヴンが家に居ないので近所に探しに行った…

 

スティーヴンの「ユダヤ名」を大声で叫びながらね。

 

こうしてスティーヴン少年は「ユダヤ人であること」を近所の子供たちに知られ、学校でいじめられるようになってしまった。

 

らさに両親の離婚も重なり、スティーヴンの孤独感や世の中への不信感は一層高まってしまう。ユダヤ教も大嫌いになってしまうんだよね。

 

こうしたアリゾナでの少年時代の体験をもとにして『未知との遭遇』や『E.T.』が作られたことは有名な話だ…

 

 

それドキュメンタリー映画『スピルバーグ!』で語ってたな。

 

 

 

『RAISING ARIZONA(赤ちゃん泥棒)』と同時期にコーエン兄弟が脚本を書いたけどお蔵入りすることになった『サバービコン』は、スピルバーグが少年時代を過ごしたアリゾナの新興住宅地みたいな物語だよね。

 

マット・デイモン演じる主人公は「ユダヤ教からの改宗者」という出自を隠して、キリスト教徒の白人だらけの新興住宅地で暮らしていたんだ。それをバレないように必死で行動する様子が、傍から見ると笑えるんだ。

 

 

詳しくは『サバービコン』徹底解説シリーズをどうぞ。

 

だけど『RAISING ARIZONA(赤ちゃん泥棒)』には、スピルバーグへの対抗心は残念ながら見られない。

 

 

 

キューブリックでもなく、スピルバーグでもない…

 

じゃあ誰やねん、コーエン兄弟が対抗心を燃やすユダヤ系の有名映画監督って?

 

 

映画の中で名前が連呼されたでしょ?

 

気付かなかった?

 

 

へ?名前を?

 

 

「シドニー・ポラック」だよ。

 

Sydney Pollack (1934 - 2008)

 

 

シドニー・ポラックといえば、『ザ・ヤクザ』『トッツィー』『愛と哀しみの果て』などで有名なユダヤ系の映画監督だな!

 

でも連呼されたのは「Pollack」じゃなくて、ポーランド人の蔑称である「Polack」でしょ!

 

 

 

でも、どっちも「ポラック」だよ。

 

コーエン兄弟が「ポラック・ジョーク」を連発させたのは、『トッツィー』におけるシドニー・ポラックを想起させるためだったんだね。

 

 

 

いくらなんでもコジツケじゃね?

 

 

相変わらず疑り深いね、君たちは…

 

『トッツィー』も『RAISING ARIZONA(赤ちゃん泥棒)』も、どちらもヘブライ聖書の「創世記」がベースになっているんだ。

 

『RAISING ARIZONA』ではニコラス・ケイジとホリー・ハンターが「アダムとイブ」を演じていたけど、『トッツィー』ではダスティン・ホフマンが「アダムとイヴ」を演じるんだよ。女装してね。

 

 

確かにそうだけど、「アダムとイヴ」をモデルにした映画なんて腐るほどあるぞ!

 

 

じゃあ証拠を他にも挙げていこう。

 

まず「ネイサン・アリゾナ氏」は、映画『TOOTSIE(トッツィ―)』(1982年)でシドニー・ポラックが演じたジョージ・フィールズ氏(George Fields)がモデルだ。

 

 

 

 

確かにどっちも口が汚くて短気だけど…

 

 

シドニー・ポラック演じるジョージ・フィールズ氏は、ダスティン・ホフマン演じるマイケルが構想する舞台の費用「Eight thousand dollars(8000ドル)」について罵った。

 

そんなものはドブに捨てるようなものだ、とね。

 

いっぽうアリゾナ氏は、部下が仕入れた「Eight hundred leaf-tables(800台のイス無しテーブル)」を罵った。

 

そんなもの売れるわけがない、とね。

 

そしてジョージ・フィールズ氏も、オフの時はアリゾナ氏と同じような「赤いローブ」を着るんだよね…

 

 

 

確かに似てるかも…

 

ローブ姿の時のポーズも同じだし…

 

 

なんでネイサン・アリゾナの居間の「魚の置物」の下に「pollack」の文字があるんや?

 

 

いいところに気付いた。あの魚も「pollack」なんだよ。

 

 

ハァ!?

 

 

小さいからよくわからないけど、よく見るとあれは「タラ」なんだよね…

 

「タラ」って英語で「pollack」っていうんだ。

 

ちなみに日本人が大好きな食べ物、スケソウダラの卵巣から作られる「たらこ」は、英語で「pollack roe」っていうんだよ。

 

 

げげえ!そうだったのか!

 

じゃあ英語版サザエさんでの「タラちゃん」は「Pollackちゃん」って言うの!?

 

 

 

それはないだろうね。

 

ついでに言っておくと、『RAISING ARIZONA(赤ちゃん泥棒)』のラストで、ニコラス・ケイジ演じるハイが青いシャツの上にカーキ色の「しょぼいジャンパー」を着ていたのは、『トッツィー』のダスティン・ホフマンの再現だ…

 

わざわざ髪型も一緒なんだよね。分け目とか(笑)

 

 

 

そういえばニコラス・ケイジの演技って、ダスティン・ホフマンを意識していたのかも…

 

 

かもね(笑)

 

そして『トッツィー』の主役ともいえるダスティン・ホフマンの女装姿「ドロシー(Dorothy)」は、『赤ちゃん泥棒』においてフランシス・マクドーマンド演じる「ドット(Dot)」になった…

 

「Dorothy」の愛称は「Dot」だし、どちらもちょっと男っぽかったよね(笑)

 

 

 

フランシス・マクドーマンドの「おネエ」っぽい化粧は、ダスティン・ホフマンの女装を意識してのことだったのか!

 

 

そういうことだ。

 

ちなみにフランシス・マクドーマンドは、短い出演時間の中でいくつもドロシーのセリフを引用するんだ。

 

彼女の最後のセリフ「a twister」も、ドロシーがレストラン「Rusian Tea Room」でオーダーした「a Dubonnet with a twist」のパロディだね。

 

 

 

相変わらずネタが細かい!

 

仕込んだコーエン兄弟もコーエン兄弟だけど、見つけるアンタもアンタだ!

 

 

これくらいで驚いちゃいけないよ…

 

コーエン兄弟の熱い対抗心は『トッツィー』の脚本家「ラリー・ゲルバート(Larry Gelbart)」にも向けられている…

 

 

『トッツィー』と同じように「赤ちゃんをめぐるドタバタ」シーンを描いた後に、コーエン兄弟はアリゾナ氏にこんなセリフを言わせた…

 

 

アリゾナ氏「That sounds like Larry...(ラリーっぽい)」

 

 

ラリーとは、もちろん五つ子のひとりの名前なんだけど、これは『トッツィー』の脚本家ラリー・ゲルバートのことでもあったんだね。

 

コーエン兄弟が「まるでラリーの脚本みたいだ」って言ってるんだよ(笑)

 

 

 

ラリー・ゲルバート?

 

誰それ?有名なの?

 

 

有名なんてもんじゃない。

 

アメリカのテレビ史上最高の視聴率「77%」を記録した伝説的ドラマ『M*A*S*H』の脚本を書いていた人物だよ。

 

 

 

ロバート・アルトマンの映画だけじゃなくてテレビ版もあったのか!

 

 

『RAISING ARIZONA(赤ちゃん泥棒)』でM・エメット・ウォルシュ演じる工場労働者が、かつて州の衛生兵みたいな仕事をしていてハイウェイをパトロール中に悲惨な事故現場に遭遇した…って話をしていたのも、移動野戦病院が舞台の『M*A*S*H』の引用だね。

 

via GIPHY

 

 

 

 

そうゆうことだったのか…

 

しかし何度見てもムカつくな、あのM・エメット・ウォルシュの演技は…

 

 

ラリー・ゲルバートの両親は、父が現在のラトビア生まれのユダヤ人で、母が現在のポーランド生まれのユダヤ人だ。二人がアメリカに移民して、ラリーが生まれた。

 

ラリーは1940年代に16歳でラジオのコメディ番組の脚本家となり、1950、60年代はテレビや舞台の脚本家として活躍した。そして70年代からは映画の仕事にもかかわるようになってゆく。

 

ブラック・ユーモア好きのコーエン兄弟は、きっとラリー・ゲルバートの番組のファンだったに違いない。

 

 

なるほどな…

 

でも、いくらラリー・ゲルバートとシドニー・ポラックのファンだったといっても、そこまで意識する必要あるか?

 

 

僕が思うに、ポラックの『OUT OF AFRICA(愛と哀しみの果て)』の影響だろうね…

 

女流作家イサク・ディーネセン(本名カレン・ブリクセン)の代表作を映画化したものだ…

 

 

1985年の年末に公開されたこの作品は、翌1986年2月に開催されたゴールデングローブ賞で作品賞を獲得すると、その勢いに乗って第58回アカデミー賞では作品賞・監督賞を含む7部門を獲得した。

 

しかも『乱』で監督賞を有力視されていた黒澤明を破っての受賞は、世間に大きな驚きを与えたんだ。

 

 

 

あれ?

 

なんか既視感が…

 

 

この「2つの黄金の像とシドニー・ポラック」のモチーフを、コーエン兄弟は映画の中で何度も使ったんだ…

 

これだね。

 

あ、あれはシドニー・ポラックだったのか!?

 

 

たぶんそうだと思うよ。

 

コーエン兄弟が『RAISING ARIZONA(赤ちゃん泥棒)』の脚本の詰めを行っていた1986年の前半は、シドニー・ポラックの『OUT OF AFRICA(愛と哀しみの果て)』でハリウッドの話題はもちきりだった。

 

意気揚々とハリウッドに乗り込んで来た若きコーエン兄弟が、同じユダヤ人の映画人としてシドニー・ポラックを意識しないはずがない。

 

 

じゃあコーエン兄弟は『愛と哀しみの果て』も意識したってこと?

 

 

それはないだろう。

 

むしろ「なぜ?」って感じだったんじゃないかな?

 

おそらくコーエン兄弟はこんなふうに考えたに違いない…

 

「あなたのようなコメディの天才が、なぜイサク・ディーネセンの名作をあんなクソ真面目に撮ってしまったんだ?」

 

だから大好きだった『トッツィー』を作品の中に多用したんだと思うよ。『OUT OF AFRICA(愛と哀しみの果て)』を否定するために…

 

 

ど、どゆこと?

 

 

僕の推測なんだけど…

 

コーエン兄弟はイサク・ディーネセンの小説の大ファンだったはずだ…

 

Isak Dinesen/Karen Blixen (1885 - 1962)

 

コーエン兄弟の作品を見ると、そこかしこにイサク・ディーネセンの影響が見受けられる。

 

直接的には描けない下ネタや宗教ネタを、駄洒落やメタファーを駆使して、全く違う話として描くところなんて、ホントにそっくりだ。

 

 

それって…

 

 

そう、カズオ・イシグロの作風と同じなんだよ。

 

イサク・ディーネセンは多くの作家に影響を与えた。カズオ・イシグロや村上春樹は、そうとう彼女の作品を読み込んでいるはずだ。ウィリアム・フォークナーやレイモンド・カーヴァ―、ポール・オースターらの作品同様にね。

 

そしてカズオ・イシグロとコーエン兄弟をつなぐ線は、1930年代後半から40年代に活躍した脚本家ブレストン・スタージェスと、このイサク・ディーネセンにあったんだ。

 

似てるはずだよ、カズオ・イシグロとコーエン兄弟の作品は。どちらも同じものをベースにしているんだからね…

 

 

マジですか…

 

 

というわけで、コーエン兄弟の次作『ミラーズ・クロッシング』に行く前に、イサク・ディーネセンについてちょっと話そうと思う。

 

彼女の作品も「正しく理解」されていないからね。これを機会に彼女の魅力を多くの日本人に知ってもらいたい。

 

 

また出た…

 

誰も頼んでいないのに「謎の使命感」が…

 

 

それでは、お楽しみに。

 

『RAISING ARIZONA(赤ちゃん泥棒)』徹底解剖をご愛読いただき、ありがとうございました。

 

 

 

「ODE TO JOY(第9:歓喜の歌)」『RAISING ARIZONA(赤ちゃん泥棒)』徹底解剖16

  • 2018.08.29 Wednesday
  • 10:40

 

 

 

 

コーエン兄弟は『WAY OUT THERE』の歌詞を元に映画『RAISING ARIZONA(赤ちゃん泥棒)』のストーリーを構築した…

 

せやけど、そこには「大事なこと」が欠けとったんや…

 

『WAY OUT THERE』は典型的な「孤独な放浪者」の歌…

 

淋しさを隠し、強がってみせる「痩せ我慢」の歌や…

 

肝心のハッピーエンド要素がゼロやった…

 

 

詳しくは前回をどうぞ。

 

 

 

その欠けていた「大事なこと」を補うのが、ベートーヴェンの交響曲第9番なんだよね。

 

だからコーエン兄弟はわざわざ映画のテーマ曲『WAY OUT THERE』に第九の「歓喜の歌」を挿入したわけだ。

 

「歓喜の歌」がないと、この物語は完成しないんだよ。

 

 

 

そんなに重要なのか!

 

 

重要なんてもんじゃないね…

 

物語の根幹部分は第九から作られているんだよ…

 

それまで完璧に隠されていた「第九のテーマ」が表層に現れるのは、赤ちゃん返却シーンにおいてだ…

 

 

ハイとエドは赤ちゃんをアリゾナ氏に返した際、自分たちに子供が出来ないことを告白した。

 

それを聞いたアリゾナ氏は二人を励ます。自分の子供を誘拐した犯人にもかかわらず、何があっても別れてはいけないないと諭すんだね。

 

実は彼にも長らく子供が出来ずに悩んでいた過去があり、若い二人の辛い気持ちが痛い程わかったというわけだ。

 

だけどハイはアリゾナ氏に感謝した上で、離婚を決意したことを伝える。

 

ちなみにその理由はジョークになっていたね…

 

 

ハイ「お言葉は有難いのですが、私たちはもうやっていけないと思います。妻が言うには、私たち二人は自分勝手で非現実的なんです。これ以上一緒にいることは、お互いのためによくありません…」

 

 

 

ハイとエドは「アダムとイヴ」だもんな!

 

神の言いつけを守れずに「知恵の実」を盗み食いするような自己中カップルだ(笑)

 

 

しかも人類史上最強の非現実的カップルやで。

 

ふつう男が「うちのツレが…」っちゅう時には「小指」を立てるもんやけど、アダムの場合「肋骨」立てなあかん(笑)

 

 

ハイとエドは、自分たちの愚かさが身に染みていた。

 

束の間の「家族」の時間を過ごし、ハイとエドとネイサン・ジュニアの三人は別々の道を歩むことになるかに思えた…

 

まさに『WAY OUT THERE』のようにね…

 

だけどここから「第九のテーマ」が姿を現すんだ…

 

 

アリゾナ氏「Ma'am…、詳しい事情は知らないが、私は人間というものについてなら知っている。君たちは私に子供を返してくれた。なにもそこまで自己否定しなくてもいい。君たちには良いところもあるじゃないか…」

 

ハイ&エド「・・・・・」

 

部屋から出て行こうとしたアリゾナ氏が立ち止まって、重苦しい表情で振り返る

 

アリゾナ氏「私なら…フローレンスが居なくなるなんてことを考えたくもない…。心から愛しているんだ、彼女を…」

 

ハイ&エド「・・・・・」

 

 

 

 

ええシーンやけど、なんか変やったな。

 

急に重々しいトーンになって…

 

 

しかもそれまでアリゾナ氏は奥さんのこと大切にしてる素振りすら見せてなかったのに!

 

最初の登場シーンでも超エラそうな亭主関白野郎だったよ!

 

「800台のイス無しダイニングセット」を仕入れてしまった部下に「そんなものが売れないことは《バカでもわかる》」って言うところを「うちの嫁でもわかる」って言ってたよね!?

 

そして2階が騒がしくなってきた時に、自分は動くのが面倒だから、奥さんだけに様子を見に行かせた!

 

そんな男が、よく言うよ!

 

 

その通り。

 

それまでネイサン・アリゾナ氏は、奥さんのフローレンスに対する愛情なんて全く見せていなかった。

 

でも、そこがポイントだったんだ。

 

この場面で急に「重苦しく転調」することが狙いだったんだよ…

 

しかも「フローレンス」の名を出して、ハイとエドの苦渋の選択を「否定」することが…

 

 

ハァ?

 

 

まだ気付かないかな?

 

これが「第九のテーマ」が現れる合図、ファンファーレなんだよ。

 

ハイとエドの離婚という苦渋の選択をアリゾナ氏は「そうじゃない」と否定した…

 

「二人が一つであること」が何よりも大切だと力説したよね…

 

そして妻フローレンスの名前を出す…

 

ハイとエドとアリゾナ氏の一連のやり取りが、ベートーヴェン交響曲9番『合唱付き』第四楽章で『歓喜の歌』が始まる部分「重苦しいファンファーレ」の再現になってるんだ。

 

動画の出だしから40秒までを聴いてみて。

 

 

 

「Freunde(フローインデ)」が「Florence(フローレンス)」!?

 

 

その通り。そしてこんな風に続くね…

 

nicht diese Tӧne!(原詩:ドイツ語)

not these tones!(英訳)

そういう暗い調子ではダメだ!(日本語訳)

 

sondern laßt uns angenehmere anstimmen

Instead, let us raise our voices in more pleasing

そうではなく、もっと喜びに満ちた声をあげよう

 

und freudenvollere

and joyful sounds

喜びに満ちた歌を

 

 

 

そうか!

 

コーエン兄弟は、ストーリー性豊かな『WAY OUT THERE』を元ネタに採用したけど、「孤独を良しとするエンディング」は否定したわけだな!

 

だから第九『歓喜の歌』のメロディを挿入したんだ!

 

 

そういうことだ。

 

『WAY OUT THERE』のラスト「ついに俺は天涯孤独の身だぜ!」じゃ救いが無いからね。

 

第九の『歓喜の歌』を「もうひとつのテーマ曲」として挿入する必要があったんだよ。ハッピーエンドのために…

 

いや、むしろこっちがメインなのかもしれないな…

 

 

さて、最後にネイサン・アリゾナ氏はハイに対し、こんなアドバイスを送る。

 

 

アリゾナ氏「帰りは君たちが来た道を辿るといい。二人で歩んできた道のりを振り返れば、きっと何か大切なことを思い出すだろう。そして別れるとかそういうことはひとまず置いて、ゆっくり眠るんだ。少なくとも一晩はゆっくり…」

 

 

そして帰宅後、ハイはアリゾナ氏のアドバイス通りにする。

 

エドとベッドを共にし、夢を見るんだ…

 

 

 

ハイは夢の中で自分が「世界を照らす光と同化した」って言うとったな…

 

そんで、これまで自分の人生に登場した連中が次々と現れてきた…

 

 

『歓喜の歌』の歌詞そのままなんだよね。

 

 

Freude, schӧner Gӧtterfunken,

tochter aus Elysium

Joy, beautiful spark of the Gods

daughter from Elysium

歓喜よ、美しき神々の閃光よ

楽園から来た娘よ

 

Wir betreten feuertrunken,

Himmlische dein Heiligtum !

We enter drunk with fire,

Heavenly one,your sanctuary !

我らは全てを焼き尽くす神の炎に飲まれながら

聖なる場所へと導かれてゆく

 

Diene Zauber binden wieder

was die Mode streng geteilt,

Your Magic binds together

what Custom strictly parted

あなたの力は再び全てを結びつける

これまで厳しく分けられていたものを

 

Alle Menschen werden Brüder,

wo dein sanfter Flügel weilt

All Men become Brothers

where your gentle Wing rests

全ての人は兄弟となり一体となる

あなたの情け深き翼のもとで

 

 

 

ホントだ…

 

だからハイの枕元に「飛行機」があったのか…

 

だけどエド演じるイブは「エデンの園」から来た娘だよね?

 

「エーリュシオン」って何?

 

 

「エーリュシオン」とは、ギリシャ神話に出て来る「楽園」だよ。

 

神に功績を認められた人間は、死後にエーリュシオンへ行くとされていたんだ。

 

それが聖書の理想郷「エデンの園」と同一視されるようになっていったというわけ。

 

 

つまり、人は死んだらスパークする閃光になって楽園に行くっちゅうことか?

 

 

そういうことだね。

 

この歌詞はシラーの詩『歓喜に寄せて』を編集したものだってことは知ってるよね?

 

 

シラーは「人の魂」を「神から与えられたスパークするエネルギー体」だと考えていたようだ。

 

そして人は死んだら再びエネルギー体となって、宇宙のどこかにいる「永遠の巨大エネルギー体である神」のもとへ帰って行くと考えていたみたいだね。

 

その場所へ通じる入口が「楽園(エーリュシオン/エデンの園)」で、神は聖域に生身の人間が入ってこれないように、全てを焼き尽くす炎の剣を持った智天使ケルビムを門番として置いたんだ。

 

 

せやさかい「炎に飲まれながら聖所に入る」わけやな。

 

 

その通り。スパークする火花にならないと聖域には入れないんだよ。

 

だからハイは夢の中で「閃光」になったんだ。

 

 

ねえねえ…

 

そういえば、この映画の冒頭シーンも「閃光」から始まったよね…

 

 

 

実はこの冒頭シーンも『歓喜の歌』の歌詞の再現になっているんだ。

 

しかも、細部まで完璧にね…

 

 

マジで!?

 

 

冒頭の写真撮影シーンは、以下の部分に対応してる。

 

 

Freude, schӧner Gӧtterfunken,

tochter aus Elysium

Joy, beautiful spark of the Gods

daughter from Elysium

歓喜よ、美しき神々の閃光よ

楽園から来た娘よ

 

 

まず、写真撮影の背景の前に突き出されたハイは、撮影係の警官エドを見て「Freude(歓喜)」したよね?

 

 

 

そしてカメラのフラッシュがアップにされ、光で画面全体が真っ白になる。

 

ここが「schӧner Gӧtterfunken(美しき神々の閃光よ)」にあたる…

 

 

 

 

もうわかった!

 

そして「tochter aus Elysium(楽園から来た娘よ)」だな!

 

 

 

 

笑えるね(笑)

 

そして以下の部分は刑務所内へ連行されるシーンだ。この映画では「刑務所=楽園」だからね。

 

 

Wir betreten feuertrunken,

Himmlische dein Heiligtum !

We enter drunk with fire,

Heavenly one,your sanctuary !

我らは全てを焼き尽くす神の炎に飲まれながら

聖所へと導かれてゆく

 

 

 

いつも監獄の入口付近で床掃除してる囚人が、楽園の入口を守る智天使ケルビムだったのか!

 

だからいつもモップを持っていて、バケツにも車輪が付いていたんだな!

 

あれは智天使ケルビムの持つ「炎の剣」と「光速の車輪」だったんだ(笑)

 

 

その通り。

 

そしてハイは刑務所には「強い一体感」があると語る。受刑者たちの間に、軍隊やアメフトのチームのような一体感が芽生えると語るんだよね。

 

この「刑務所がもたらす受刑者の一体感」が以下の歌詞にあたるわけだ。

 

 

Diene Zauber binden wieder

was die Mode streng geteilt,

Your Magic binds together

what Custom strictly parted

あなたの力はすべてを結びつける

これまで全くのバラバラだったものを

 

 

 

 

なるほど!

 

 

そして次の歌詞の部分はカウンセリングシーンで再現される。

 

Alle Menschen werden Brüder,

All Men become Brothers

すべての人はブラザーとなる

 

 

カウンセラーのシュワルツ先生は、「自分の体の中に女性がいる」と考える黒人受刑者と、こんなやり取りを交わしたよね…

 

 

Dr.シュワルツ「なぜ trapped(閉じ込められている)なんて言うのですか?」

 

黒人受刑者「だってメンス(menstrual)が重いんですもの」

 

 

 

ドイツ語の「menschen(人々)」と、英語の「menstrual(月経)」の駄洒落か!

 

 

だからカウンセラーは「Schwartz」というドイツ語由来の名前だったんだね。

 

コーエン兄弟は、ドイツ語で歌われる『歓喜の歌』に敬意を表したというわけだ(笑)

 

 

「神は細部に宿る」って言うけど、細かいとこまでコダワリ過ぎだよコーエン兄弟!

 

こんなん誰も気付かねーよ!

 

 

少なくとも僕は気付いたよ…

 

稀代の「深読みスト」である、この僕はね…

 

 

偉そうにするのはまだ早い!まだこの部分が残ってるぞ!

 

しかも刑務所に「翼」なんか出て来なかったはず!

 

 

wo dein sanfter Flügel weilt

where your gentle Wing rests

あなたの情け深き翼のもとで

 

 

 

もう忘れたのかい?

 

「情け深い」審議官の部屋に「翼を広げた二体のケルビム」が居たじゃないか?

 

 

 

ああ!そうだった…

 

 

では『歓喜の歌』の歌詞を続けよう。

 

次は1分30秒から2分10秒にかけての部分だ。

 

 

Wem der große Wurf gelungen,

Eines Freundes Freund zu sein;

He who has the great luck,

of being a friend to a friend

とても幸運な者だと言える

誰かの友になれた者は

 

Wer ein holdes Weib errungen,

Mische seinen Jubel ein !

Whomever has won a dear wife,

let him mingle his joy with ours !

心優しき妻を得た者は誰でも

その喜びを我々と分かち合おう!

 

 

 

幸運!

 

もうわかっちゃったもんね!

 

 

「FART」やな。

 

英語では「屁」やけど、ポーランド語では「幸運(luck)」っちゅう意味や(笑)

 

 

 

「Freund(友)」はグレンだね。

 

ハイが悩みを相談できた唯一の相手だ(笑)

 

 

そして、ここからが本当に最高なんだよ…

 

二人にはそれぞれ、エドとドットという「心優しき妻」がいるんだけど…

 

 

 

グレンは「あること」をハイに提案するんだ…

 

『歓喜の歌』の歌詞通りにね(笑)

 

 

 

「交歓」はいくらやってもエエけど「交換」はアカン!

 

「分かち合い」も、たいがいにせえ…

 

 

まじウケるよね、コーエン兄弟。

 

そして歌詞はこう続く…

 

Ja, wer auch nur eine Seele

Sein nennt auf dem Erdenrund ! 

Yes, even if he calls but one Soul

his own in all the world !

それでいい、この世にたったひとつでも

自分だけのものと呼べる存在があるのなら!

 

Und wer's nie gekonnt, der stehle

Weinend sich aus diesem Bund !

And he cannot do so, must steal away

alone and tearfully from this assembly

それが出来ない者は、この集まりから立ち去るがいい

ひとり寂しく涙を流しながら

 

 

この部分は、こうなるかな…

 

まずは「夫婦交換の提案」に激怒したハイが、グレンをぶん殴って「俺の妻に指一本触れるんじゃねえ!」と啖呵を切った時で…

 

 

 

そんで、半ベソかきながらグレンが走り去っていったシーンや(笑)

 

 

 

超ウケる(苦笑)

 

 

だよね。

 

さて次は2分15秒から3分15秒の部分だ。

 

 

Freude trinken alle wesen

An den Brüsten der Natur;

Joy all Creatures drink

At the Breasts of Nature

喜びよ、命あるものはすべて

母なる自然の乳を飲む

 

Alle Guten, alle Bösen

Folgen ihrer Rosenspur

All Good, all Bad

Follow her Path of Roses

善き者も悪き者も

バラの小道を辿ってゆく

 

 

 

だから脱獄兄弟は「母乳」にこだわってたんだな!

 

別にホリー・ハンターのおっぱいが見たかったわけじゃなくて、『歓喜の歌』の歌詞に忠実であろうとしただけなんだ(笑)

 

 

 

しかもこのバカ兄弟は「Rosenspur(バラの小路)」を「バドワイザー」で作りおったで…

 

 

「つぼみ(Bud)」だけどね(笑)

 

 

 

そして歌詞はこう続く。

 

 

Küße gab sie uns und Reben,

Einen Freund, geprüft im Tod;

Vine and Kisses she gave us,

And a Friend, tried in Death

キスと蔓(葡萄酒)を彼女は与えてくれた

そして死の試練に挑んだひとりの友を

 

Wollust ward dem Wurm gegeben,

Und der Cherub steht vor Gott

Even to a worm, ecstasy is granted,

And the Cherub stands before God

歓喜は虫ケラにも与えられ

そして智天使ケルビムが神の前に立つ

 

 

まず上段の部分から…

 

ドイツ語の「Reben」は「蔓(つる)」という意味で、これだけで「葡萄酒」という意味にもなる。

 

英語の「Vine」と同じだ。欧米社会では「蔓植物=ブドウ」なんだね。

 

この映画には「ワイン」が出て来ないんだけど、その代わりにエドが「蔓」のようにハイに絡みつく(笑)

 

 

 

だからわざわざジャンプしてハイの体に絡みついたのか!

 

この歌詞だけのために(笑)

 

 

それがコーエン兄弟だ。

 

さて、『歓喜の歌』における「死の試練に挑んだひとりの友」とは「イエス」のことなんだけど、この映画では「誘拐された赤ちゃんネイサン・ジュニア」のことだね。

 

ネイサン・ジュニアはチャイルドシートごと車の屋根から落とされたり、砂漠の道に放置されたり、バイクの前方にセットされたり、銃撃戦に巻き込まれたりと「死の試練」だらけだった…

 

 

 

そして「虫ケラ」にも与えらる「歓喜」を象徴するのが、このシーンだね…

 

銀行強盗に向かう車内でネイサン・ジュニアが脱獄兄弟の弟エヴェルに微笑みかける場面…

 

エヴェルは生まれて初めて母性本能をくすぐられ、思わず感極まってしまうんだ…

 

 

 

 

「虫けら扱い」で可哀想なんだけど(笑)

 

 

そして智天使ケルビムの登場だ。

 

アダムとイヴの楽園追放後に神が「命の木」を守るために門番として置いたのがケルビムだったね。

 

「炎の剣」と「自在の車輪」で楽園への侵入者を防ぐ、まさに「神の前に立つ」存在と言える…

 

 

 

ん?なんでこのシーンが「神の前に立つケルビム」なんや?

 

 

ガソリンスタンドのトイレのドアには「POE」と「OPE」の文字が書かれていた。

 

これはスタンリー・キューブリックの『博士の異常な愛情』からの引用だね。

 

 

だけど不思議なことに、ドアの裏側、つまり外に面した表側にも同じ落書きがあったんだよ…

 

明らかに不自然だよね…

 

そしてスモールスがバイクでドアを押し倒すことにより、画面に文字が「上下逆さ」に映る…

 

 

via GIPHY

 

 

ドアの両面に同じ落書きがされていた理由は、ここにあった。

 

倒されて逆さに映った「POE」の文字が「God」に見えるんだね(笑)

 

これで「Godの前に立つケルビム」が完成するというわけだ…

 

 

こんなネタを仕込むコーエン兄弟もコーエン兄弟だけど、発見するアンタもアンタだ…

 

 

そう言われることが何よりも嬉しいよ。「深読みスト」である僕にとっては最高の褒め言葉だね。

 

ということで次回は『歓喜の歌』後半を見てみよう。いよいよグランドフィナーレだよ。お楽しみに!

 

 

 

 

 

JUGEMテーマ:映画

「WAY OUT THERE」『RAISING ARIZONA(赤ちゃん泥棒)』徹底解剖15

  • 2018.08.23 Thursday
  • 18:37

 

 

 

 

さて、最後にこの映画のテーマソング『WAY OUT THERE』について解説しよう!

 

 

めっちゃ張り切ってるやんけ。

 

 

僕、やっぱり歌解説が一番好きなんだ。

 

音楽が好きなんだね。何だかウキウキしてくるんだよ。

 

 

まあ確かにこの曲は楽しいよね。一緒にヨーデルしたくなる(笑)

 

 

 

せやけど歌詞も無いのに解説のしようがないやろ。

 

っつうか、なんでコーエン兄弟はヨーデルと口笛だけのインストにしたんや?

 

元々この曲には歌詞ついとったやんけ。

 

 

 

歌詞を入れたら、映画を観てる人たちが笑っちゃうからだよ。

 

そっちに気を取られ、映画に集中できなくなるからね。

 

 

どゆこと?

 

 

まあ歌詞を見ればわかる。

 

The Sons of the Pioneersによるオリジナル版を聴いてみて。

 

 

 

行く当てもなく無賃乗車で旅をする孤独なホーボーを主人公にした歌やんけ。

 

ありがちなカントリー・フォーク・ソングや。

 

 

でもなんか…

 

歌詞が違う意味に聞こえてくるってゆうか…

 

映画のいろんなシーンが浮かんでくるってゆうか…

 

 

そうなんだよね。

 

コーエン兄弟は、この歌詞から映画を作ったんだ。

 

歌詞が映画の各シーンそのまんまなんだよね、笑えるくらいに(笑)

 

 

マジで!?

 

 

この歌って面白いんだ。さすがコーエン兄弟が目を付けただけのことはある。

 

実を言うとね、この歌も『DOWN IN THE WILLOW GARDEN(ROSE CONNELY)』と丸っきり同じような構造になっているんだよ。

 

表向きは「刑務所入りと脱獄を繰り返す男の歌」なんだけど、本当は全く違うことを歌っているんだね…

 

 

またですか!?

 

 

昔の歌って、こういうのが多いんだ。

 

というか歌って元々そういうものなのかもしれないよね。日本の和歌だって、表向きの意味と本当の意味は全く違ったりするでしょ?

 

ということで、まずは普通に歌詞を読んでみよう。1番はこんな感じだ…

 

 

A lonely spot, I know where no man wiil go

Where the shadows have all the room

I was ridin' free on the old SP

Hummin' s southern tune

When a man came along

Made me hush my song

Kicked me off, away out there

 

誰も好んで入ろうなんて思わない淋しい場所だ

暗がりの中の囚人たち

脱出した俺はサザン・パシフィック鉄道に飛び乗って

南部の歌を鼻唄まじりに歌う

すると見回りに来た男が俺を黙らせ

俺は車両から外へ蹴落とされてしまった

 

 

 

ありがちなホーボー(放浪者)ソングやな。日本で言うたら"裸の大将"山下清や。

 

 

2番はこうだ…

 

So I threw down my load in the desert road

Rested my weary legs too

I watched the sinking sun, make the tall shadows run

Out across that barren plain

Then I hummed a tune to the rising moon

He gets lonesome way out there

 

砂漠を走る道で荷物を降ろし

疲れ果てた体と足を休ませる

俺は沈みゆく太陽を眺めた

不毛の大地に長く影が伸びる

それから昇る月に鼻唄を歌った

俺と同様に太陽は空からひとりで消えたんだ

 

 

 

なんかすっごく臭うんですけど…

 

 

それはまた後でね。では3番を見てみよう。

 

As she was passing by, I caught her on the fly

I climbed in an open door

That I turned around to the desert ground

Saw the spot I will see no more

As I was riding away I heard the pale moon say

Farewell pal

It sure gets lonesome here

 

彼女の死の間際、崩れ落ちる体を俺は受け止めた

そしてステップをよじ登り、玄関から家の中へ運んだ

俺は荒野へ逆戻りさ

刑務所なんて二度と御免だったのに

だけど俺はまた脱獄して

夜空に青白く浮かぶ月の声を聞いた

さらば友よ。きっと寂しくなるなだろう

 

 

 

また女殺しか!

 

どないなっとんねん、アメリカの歌は!

 

 

古いフォークやブルースなんかに多いんだよね、男が恋人や妻を殺してしまう歌が…

 

現代でも女性への暴力が深刻で、大きな問題になってるよね…

 

特に大きなフットボールの試合がある時などは増えるらしい。アメフトやワールドカップとか…

 

 

それ、この前のロシアW杯の時にニュースになってた…

 

 

さて、何の変哲もないダメ男の唄だけど、実は全く違うことが歌われている。

 

この歌詞の本当の意味は、こうなんだ…

 

A lonely spot, I know

Where no man wiil go

Where the shadows have all the room

 

普段は人気(ひとけ)のない、ダビデの墓がある丘

そこに立つ建物の2階の部屋にいた弟子たちは不安に襲われた

 

 

 

ま、また最後の晩餐!?

 

『DOWN IN THE WILLOW GARDEN(ROSE CONNELY)』と全く同じパターンじゃんか!

 

 

そうなんだよ。だからコーエン兄弟はこの2つの曲を選んだんだね。

 

ちなみに「the room」は「同じ部屋の中にいる人たち」という意味なんだ。まさに「最後の晩餐」だよね。

 

続けるよ。

 

 

I was ridin' free on the old SP

Hummin' s southern tune

 

私は銀貨の裏切りに乗ることにし

ユダが裏切ることをほのめかした

 

 

 

ど、どゆことですか…?

 

どこから「銀貨」と「ユダ」が出て来たの?

 

 

「SP」って「Silver Pieces(銀貨)」の略でもあるんだ。

 

そして「southern tune(南部の唄)」は「約束の地」の南部の唄として考えると…

 

 

約束の地の南部地方は「ユダ」だ!

 

 

 

そして1番の最後はこうなっている…

 

 

When a man came along

Made me hush my song

Kicked me off, away out there

 

ユダがやって来て、私の言葉を遮り

合図の接吻で私を陥れ、この場所から連れ出した

 

 

 

「kick me off(蹴落とす)」が 「kiss me off(裏切る)」か…

 

 

 

2番の言葉遊びも面白いよ。

 

 

So I threw down my load

In the desert road

Rested my weary legs too

 

私は人の罪を全て背負うという重責を果たした

見捨てられた主という役割の中で

衰弱した両足はもはや動かない

 

 

 

「desert road(砂漠の道)」が「desert Lord(見捨てられた主)」なんだね…

 

うまいな…

 

 

だね。そしてこう続く…

 

 

I watched the sinking sun

make the tall shadows run

Out across that barren plain

Then I hummed a tune to the rising moon

He gets lonesome way out there

 

日は傾き、人の子が掛けられた十字架の

長い影が不毛の大地に伸びる

悲しみに満ちた呻き声を最後に発し

人の子は地上から去っていった

 

 

 

「out across」が「out a cross(十字架から遠く)」で…

 

「rising moon」が「rising moan(込み上げる呻き声)」か…

 

 

そして3番。最高だよ、この部分…

 

 

As she was passing by

I caught her on the fly

I climbed in an open door

 

マグダラのマリアが帰ろうとしたので

引き留めるために天使を遣わせ

墓の入口を塞いであった石の上に座らせた

 

 

 

そのまんまじゃんか!

 

 

 

『マタイによる福音書』第28章の1節と2節だね。

 

28:1 さて、安息日が終って、週の初めの日の明け方に、マグダラのマリヤとほかのマリヤとが、墓を見にきた。28:2 すると、大きな地震が起った。それは主の使が天から下って、そこにきて石をわきへころがし、その上にすわったからである。

 

まだまだナイスな歌詞は続くよ。

 

 

That I turned around to the desert ground

Saw the spot I will see no more

 

私は復活した。荒野の大地へ戻ったのだ

死体が収められていた場所を見るがよい

お前たちは私を目にすることはないだろう

 

 

 

第28章の続きだな。

 

28:5 この御使は女たちにむかって言った、「恐れることはない。あなたがたが十字架におかかりになったイエスを捜していることは、わたしにわかっているが、28:6 あの方はもうここにはおられない。かねて言われたとおりに、よみがえられたのである。さあ、イエスが納められていた場所をごらんなさい。

 

 

ホント面白いよね。

 

そしてラストはこう締め括られる…

 

 

I was riding away

I heard the pale moon say

Farewell pal

It sure gets lonesome here

 

私は急いで皆のもとへ向かった

すると青白い顔のイエスが現れ、こう言った

「平安あれ。恐れることはない

 私に会いたければガリラヤへ行け」

 

 

 

これやな…

 

28:8 そこで女たちは恐れながらも大喜びで、急いで墓を立ち去り、弟子たちに知らせるために走って行った。28:9 すると、イエスは彼らに出会って、「平安あれ」と言われたので、彼らは近寄りイエスのみ足をいだいて拝した。28:10 そのとき、イエスは彼らに言われた、「恐れることはない。行って兄弟たちに、ガリラヤに行け、そこでわたしに会えるであろう、と告げなさい」。

 

 

この歌は「最後の晩餐」から「復活」までが描かれていたんだね…

 

 

コーエン兄弟がこの曲をテーマソングに選んだ意味がわかったでしょ?

 

 

そして映画は、この歌詞を再現するかのように作られているんだ。

 

しかも何重にも再現されているんだよね(笑)

 

オープニングシーンだけでも全ての歌詞が再現されているし、ラストシーンだけでも再現されているし、それ以外のシーンでも何度も再現される。

 

それをいちいち指摘したらキリがないので、オープニングシーンとラストシーンのものを合わせて紹介するね。

 

まず出だしはこんな風になっている…

 

 

 

 

うひゃあ!

 

だから最後にハイはいつも床掃除してる囚人に「You missed a spot」って声をかけたんだ…

 

「spot」という歌詞を強調するためだったんだね(笑)

 

 

きっと誰かに気付いて欲しかったんだろうな。

 

知能犯というのは、完全犯罪を企みながらも、どこかで「誰かに気付いて欲しい」と感じるものなんだ。

 

この続きも笑えるよ…

 

 

 

 

「the old SP」の「SP」は「Serjeant Policeman(巡査部長)」か!

 

確かにあの声は「年取った巡査部長」やった(笑)

 

 

巡査部長はエドに「プロファイルしろ」と指示したのに、ハイが便乗(riding free)してエドをプロファイルしちゃうんだよね。

 

そして南部訛りでエドのことを「砂漠に咲いた花だぜ」と褒めるんだ。

 

そして1番の最後は、こんな感じだね…

 

 

 

だからハイは何度も男の警官に「way out there(強制退場)」させられたのか…

 

これも歌詞の強調だ…

 

 

この映画には「a man」に「way out there」させられるシーンがいくつも登場する。探してみると面白いよ。

 

さて2番にいってみよう。

 

2番は「子作りシーン」にもなっているんだけど、ここは「赤ちゃん泥棒シーン」に絞って見ていこうか…

 

 

 

車の天井に乗せて運んだ梯子を砂漠の道に降ろしたっちゅうことか…

 

その頃1階の居間におったアリゾナ氏は、足を伸ばして休んどった…

 

 

ここからが凄いよ。

 

 

 

「barren plain」はどこや?

 

「out across that barren plain(不毛の地に落ちる影)」が再現されとらんやんけ!

 

 

コーエン兄弟を甘く見ないでくれたまえ…

 

ちゃんと再現されているよ。これがその部分にあたるんだ…

 

 

 

どこが「barren plain(不毛の地)」なのさ?

 

 

壁の「不自然な彫り細工」を見てごらん…

 

何か気付かない?

 

 

不自然な彫り細工…?

 

 

ああっ!

 

 

マジ驚くよね。

 

なぜか壁に「ナチスの鉤十字(ハーケンクロイツ)」と「H」の文字が彫られているんだから…

 

 

この赤ちゃんは、ドイツ生まれのユダヤ人「ネイサン・ロスチャイルド」がモデルになっているネイサン・アリゾナ氏の息子…

 

彼にとってこの場所は、まさに「barren plain」と言えるだろう…

 

 

マジかよ…

 

「H」って「Hitler(ヒトラー)」のことだよな!

 

 

びっくりしちゃうね、コーエン兄弟には…

 

こんなところにサラッとトンデモナイ仕掛けを施しているんだから…

 

そして2番の最後は、こんな感じになっている…

 

 

 

月…(苦笑)

 

 

このために赤ちゃんのベッドの上に月が飾られていたんだね。

 

 

しかもハイは一度「赤ちゃん泥棒」をあきらめて「ひとりで出て行った」んや…

 

まさに「He gets lonesome way out there」やんけ…

 

コーエン兄弟…

 

恐ろしい子…

 

 

そんな彼らが僕は他人とは思えない。

 

どうでもいい細かいところまで徹底しないと気が済まないタイプなんだろう(笑)

 

さて、ハイがひとりで戻ってきたので、エドは激怒する。そして「赤ちゃんをさらって来るまでは車に入れない」と脅した。

 

そして3番、「再トライ」だね…

 

 

 

確かにアリゾナ夫人が去るまで、ハシゴに登ったまま夫人の様子をチェックしてたね…

 

 

歌詞そのまんまやんけ!

 

 

そうだね。

 

そして3番の歌詞に「盗む描写」がないので、映画でも「赤ちゃんを盗む瞬間」は描かれない…

 

ハシゴに登った次のシーンは、赤ちゃんを車に乗せて砂漠の真ん中にある家へ帰るシーンだ…

 

赤ちゃんを抱いたエドは、感極まって「顔面崩壊芸」を炸裂させる…

 

そして家に着くと今度はハイが興奮し、赤ちゃんを抱えながら家の中を見せて回る…

 

その時なぜか「テレビのある場所」を念入りに見せるんだね…

 

 

 

 

そして歌詞の通り、劇中でハイはこれ以降二度とテレビを見なかった…

 

 

歌詞の再現に命を懸けていたんだろうね、撮影当時のコーエン兄弟は…

 

出演者やスタッフは、これを知っていたんだろうか?

 

きっと「なぜこんなセリフ?」「このシーンいる?」って疑問に思っていたに違いない(笑)

 

さて、歌詞のラスト部分は、物語のラストで再現される。ネイサン・ジュニアを返しに行くシーンだね…

 

 

 

また出た月が(笑)

 

喋れない赤ちゃんの代わりに、月がハイたちに別れを告げたってことだな…

 

「さらば友よ。ひとりになったら寂しくなるよ…」 

 

 

うまくまとめたよね、コーエン兄弟は。

 

 

ちょい待てや…

 

物語のラストは、こんなんとちゃうで…

 

こんな「男の哀愁」っちゅうか「ただの強がり」みたいな結末とちゃうやろ!

 

「二泊三日の冒険(誘拐)」と「永遠の別れ」が「未来における夢の成就」につながるんや!

 

どんでん返しのハッピーエンドやで!

 

 

あ、そうだった(笑)

 

やっぱりこんな「歌詞の再現」を解説しても意味無かったじゃんか、おかえもん!

 

 

君たち、甘く見ないでくれと何度も言ったはずだ…

 

コーエン兄弟と僕のことを…

 

 

なぬ!?

 

 

大事なことを忘れているよ…

 

この曲が途中から「ベートーヴェンの交響曲第9番」になることをね…

 

 

だから何なんだ!?

 

 

そこに重大な意味が隠されているんだよ…

 

コーエン兄弟は、決して無意味なことはしないと言っただろう?

 

ということで、次回は「なぜこの映画に第九なのか?」を解説するとしよう。

 

いよいよグランドフィナーレだ。お楽しみに…

 

 

 

 

 

JUGEMテーマ:映画

「GO NATHAN!!」『RAISING ARIZONA(赤ちゃん泥棒)』徹底解剖14

  • 2018.08.20 Monday
  • 23:30

 

 

 

さて、この映画のキーとなる子守唄『DOWN IN THE WILLOW GARDEN(ROSE CONNELY)』の意味を理解してもらったということで、今回はいよいよラストシーンの謎に迫るよ。

 

 

前回を未読の人はコチラをどうぞ!

 

 

 

せやけど驚いたな。あの曲の歌詞は完璧にイエス最後の24時間を表しとった。

 

やっぱりこの映画は「イースター映画」なんとちゃうか?

 

 

僕も最初はそう考えたんだ。だってラストシーンのBGMがこの曲だからね。

 

でも、コーエン兄弟はそんな「単純なこと」をしなかった。

 

おそらく20世紀FOXから声がかかった時は「イースター向けのコメディ映画を作れ」って言われたんだろう。

 

そして自主製作映画『ブラッド・シンプル』で注目されたばかりの新人脚本家&新人監督であるコーエン兄弟には、まだ仕事を選ぶことは出来なかった。

 

だけど彼らはユダヤ人だ。キリスト教徒のお祭り「イースター」の映画を作ることは、はっきり言って興味なかったと思う。

 

だから彼らは「パッと見」わからないように様々な細工を仕掛けた。

 

復活祭の物語に見せかけて「全然違う物語」を映画の中に仕込んだんだね…

 

 

それが「創世記」や「出エジプト記」などヘブライ聖書の物語っちゅうことか?

 

 

だね。

 

だからコーエン兄弟は、ユダヤ人(J)ネタやユダヤジョークを映画の中に散りばめた。

 

それらが「ひとつの壮大な物語」になるようにね…

 

 

ひとつの壮大な物語?

 

 

その総仕上げがあのラストシーンなんだよ。

 

あのラストシーンの各描写で、コーエン兄弟は種明かしをしているんだね…

 

 

タネ明かし!?

 

 

ではシーンを見ていこう。

 

盗んだ赤ちゃんネイサン・ジュニアをアリゾナ氏に返却し、我が家へ帰ったハイは夢を見る…

 

 

ハイの語り:その夜、俺は夢を見た。俺はイーサーのように光り輝き、宙を舞う魂となった。そんな俺の前に、未来の光景が次から次へと現れる。俺の人生に登場した人たちの姿が朧げに見えてきた…。皆それぞれ自分の人生に取り組んでいる姿が…

 

 

イーサー?

 

 

「ether」だよ。日本語でいうところの「エーテル」だね。かつて光を運ぶ物質だとされていたんだ。

 

今では「イーサネット」という言葉が普及したから「イーサー」という読み方も知られるようになった。

 

しかしここでは「イエス」の駄洒落として使われている。イスラム世界ではイエスのことを「イーサー」と呼ぶからね。

 

どこまでも「イースター映画」を装うんだよね、コーエン兄弟は(笑)

 

 

さすが変態!いい意味で!

 

 

まず見えてきたのは、脱獄兄弟のその後だ…

 

 

ハイの語り:ゲイルとエヴェルが刑務所(prison)に戻ってゆく姿が見えた…。それで良かったんだと思う…。決してあいつらを見下してるわけじゃない。何だかんだ言って、あいつらには憎めないところがある。でもまだこっちの世界に出て来る準備が整っていないんだ…

 

 

かわいそう、スノーツ兄弟…

 

 

仕方ないね、カインとアベルだから…

 

これからアダムとイヴと子孫たちが築いてゆく世界に、彼らの居場所は無いんだ…

 

彼らが去ったことでアダムとイヴは第三子セツ(セト)をもうけ、そこから8代後にノアが生まれ、さらに10代後にアブラハムが生まれる。

 

 

穴の左前方にあるコンクリートの台みたいなのは何やろな?トーチカか?

 

 

 

いいところに気付いたね。あれがこの場面の「隠し味」なんだ。

 

実はあれ、神に生贄を捧げる「燔祭の台」なんだよ。

 

この場所は、カインがアベルを殺すことになるきっかけとなった場所だったんだね…

 

 

 

せやからアレが写り込むようなアングルにしたわけか…

 

 

コーエン兄弟は無駄なことをしない。写り込むものには、すべて意味があるんだ。

 

さて、ハイの夢は続く…

 

 

ハイの語り:そして夢は未来へと進んでゆく…。アリゾナ家のクリスマスの朝…

 

 

 

これは前に話したね。

 

「過越し」の時の「小羊の血で戸口に赤い印をつける」だ。

 

 

その通り。

 

そしてここからコーエン兄弟は「出エジプト」を再現する…

 

 

ええ!?

 

 

凄い展開になるから、心の準備をしてて…

 

 

ハイの語り:ネイサン・ジュニアはプレゼントの箱を開ける…。それは匿名の夫婦からの贈り物…

 

 

ここではまだ「アメフトのボール」が何を意味するのかはわからない。

 

そして、次のシーンでそのヒントが提示される…

 

 

ハイの語り:数年後のグレンが見えた…。相変わらずツイてない(no luck)ようだ。まだ俺とエドに対する苦情を警官に申し立てている。そしてまた、よせばいいのにポーランド人のジョークを始めるかもしれない…。知らんけど。


 

 

 

グレンのキーワードは「LUCK」だったね。

 

そして「LUCK」はポーランド語で「FART」という(笑)

 

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その通り。マジ笑えるよね。

 

そして警官がアップで映し出される…

 

 

 

ゲイルとエヴェルが青い塗料まみれになったり、警官の青いヘルメットやったり、ラストシーンは矢鱈と青が出て来るな…

 

も、もしや!

 

 

青はイスラエルのナショナル・カラーだからね。

 

そして大きく描かれた星は「ダビデの星」を連想させる…

 

 

 

でもアリゾナ家は「真っ赤っか」だったよ!

 

 

だってアリゾナ家のモデルは「ロスチャイルド家」だ。

 

「ロスチャイルド」とはドイツ語の「ロートシルト(赤い盾)」の英語名だからね。

 

 

ああ、そうか!

 

 

このラストシーンは、この映画の「解答編」みたいなものなんだよね。

 

だから色んな謎が解き明かされてゆく。

 

警官の名前が「コワルスキー」というポーランド風なのも、ハイとエドがポーランド系の移民の子孫であることを意味している。

 

そして「イスラエル」が次のシーンの重要なヒントとなるんだ。

 

さて、ハイの夢はいよいよ佳境に入ってゆく…

 

 

ハイの語り:夢はまだ続く…。もっと未来へ…。これまで見たこともない未来の世界だ…

 

 

 

これ見よがしに十字架があるで。

 

 

ダミーだよ。

 

これからちょっと「とんでもないこと」が描かれるから、わざと「隠れ蓑」として置かれているんだ。

 

 

とんでもないこと?

 

 

そう。

 

まずキッカーがボールを高く蹴り上げる…

 

そして落ちてくるボールを、ネイサン・ジュニアが受け止める…

 

 

そしてネイサン・ジュニアは走り出す…

 

 

ハイの語り:遠いゴールエリアに向かって前進していくネイサン・ジュニアの姿を見ていた…。夢の成就を誇りに思いながら…。まるで自分たちのことみたいに…

 

 

 

観客は誰もいないのに、電光掲示板に「GO NATHAN!!」って書いてある(笑)

 

 

ハイの夢やさかいな。

 

それにスタンドを埋めるエキストラを集めるのも大変や。

 

 

注目すべきは、そこではない…

 

一番下に「GREAT WESTERN BANK」って書かれているよね?何のことかわかる?

 

 

直訳すれば「大西部銀行」やろ?

 

 

この「BANK」は「銀行」じゃないんだよ。「川岸の丘陵地帯」って意味の方なんだ。

 

つまり「GREAT WESTERN BANK」で「偉大なるヨルダン川西岸」という意味になってるんだね。

 

 

ああ〜!

 

 

つまり「空から降りて来たアメフトのボール」とは「神がイスラエルの民に授けた十戒の石板が入った聖櫃」のことなんだよ…

 

 

それをエンドゾーン、つまり「偉大なるヨルダン川西岸」にある「約束の地」へ運ぶわけだ…

 

もちろん行く手を阻む敵をかわしながら…

 

このアメフトシーンは「出エジプト記」の「荒野の旅路」を再現していたんだね…

 

 

 

うわあ…

 

しかも服装が一緒…

 

 

それをアダムが「自分のことのように誇りに思う」と言ってるわけだ。笑えるね(笑)

 

そしてネイサン・ジュニアは「石板の入った聖櫃」をエンドゾーンに到達させる。

 

集まって来たチームメイトが、皆でネイサン・ジュニアを「聖櫃」みたいに担ぎ上げる…

 

 

 

ハイの語り:彼は俺たちのことなんて考えもしないだろう。でも俺たちが、ほんのわずかでも栄光への可能性(horizons)を広げてあげたんじゃないかって思わずにはいられない。たとえ彼がどのようにして夢の地平線が広げられたのか覚えてなくても…

 

 

ねえねえ…「horizons」って…

 

 

「ARIZONA」と一緒や…「ZION」が隠されとる…

 

 

それだけじゃないよ。チームメイトのユニフォームを見て…

 

 

あれ?他の選手は赤い線だ…

 

なんでネイサン・ジュニアだけ金色なんだろう…?

 

 

さっきのアークを運ぶ担ぎ手たちのユニフォームと一緒にするためやろ。

 

 

それもあるかもしれないけど、もっと「とんでもない」秘密が隠されているんだな。

 

ユニフォームをよく見てごらん…

 

 

まず胸に金色の背番号「1」が大きく付けられている…

 

そしてヘルメットにも金色のラインが「縦に1本」入っているね…

 

さらに両腕には金色のラインが「3本ずつ」描かれている…

 

これが意味するものとは…

 

 

ああ〜!!!!!!!

 

 

ご名答(笑)

 

ネイサン・ジュニアのユニフォームだけ、ユダヤの聖なるロウソク立て「MENORAH(メノーラー)」になっているんだね…

 

 

 

やっぱり「イースター」テイストは完全にダミーだったんだ…

 

血気盛んだった若きコーエン兄弟が、スタジオの言いなりになんか、なるはずないよな…

 

 

ついでに言っとくと、ヘルメットの両脇と両肩には「金色のフェニックス」が描かれている…

 

これは聖櫃の両端に付けられた智天使ケルビムだよね…

 

 

 

ネイサン・ジュニアは、まさしく聖櫃をエンドゾーンにタッチダウンしたんだな…

 

 

そしてハイの夢には、玄関に向かってたたずむ老夫婦が登場する…

 

言わずもがな、未来のハイとエドだね。

 

 

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玄関のドアが開き、子供や孫たちが入って来る。そして娘のひとりがエドの頬にキスして、ハイに「Dad」と言う。

 

どうやらハイとエドには2人の子供が出来、それぞれが結婚して子供を5、6人もうけることになるらしい。

 

2人の子供夫婦と10人以上の孫たちに囲まれて、年老いたハイとエドは幸せそうだった。表情は見えないけど、背中からひしひしと伝わって来たよね。

 

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ええシーンや。ハイとエドの苦労は報われるんやな。

 

 

そして問題のシーンだ!

 

 

そう。

 

ハイの語り:あの老夫婦は、まるで俺たちみたいに見えたし、あの場所も、俺たちの家みたいだった…。もしアリゾナじゃなかったとしても、そんなに遠いところじゃないだろう。そこでは親たちに権威と賢さと能力があって、子供たちはたっぷりと愛情を注がれる…

 

 

そしてあの有名な最後のセリフをつぶやく…

 

「I don't know. Maybe it was Utah.」

 

 

 

締め括りのセリフや。

 

「I don't know」は「H.I.McDUNNOUGH(マクダノー)」の名前の答えやな。

 

「H.I.M©」は「神が著作権をもつアダム」っちゅう意味で、「DUNNOUGH(ダノー)」は「don't know」のスラングや。

 

 

ユタは?

 

 

定説では「子沢山のユタ州のイメージを指す」と言われている。

 

末日聖徒イエス・キリスト教会、いわゆるモルモン教の信徒が多いユタ州は、ああいう子沢山なイメージなんだよね。

 

だけどこれは、映画の表向きのストーリーしか見ていない場合の解釈だ。本当のところは違うよね。

 

コーエン兄弟がここまで行ってきた「仕掛け」に気付いてる人たちは「Maybe it was...」のところで、きっと「ユダヤ/イスラエル/エルサレム」と言うだろうと期待していたはずだ。

 

でも映画スタジオはそんなこと絶対に許さない。

 

だからコーエン兄弟はハイに「ユタ」と言わせたんだ。元々ユタ州は「新しいイスラエル」として作られた州だしね…

 

 

なんか似たような話を聞いたような覚えが…

 

 

ボブ・ディランの『Sign On The Window』や…

 

 

 

あの歌も最後に唐突にユタで子沢山の暮らしをする夢を見るんだったね。

 

だけどユタはダミーで、本当はイスラエルのことを歌ってるんだ。

 

実は「kids call me PA」が「パレスチナと呼ばれる」という意味なんだよね。

 

歌が発表された1970年当時、ボブ・ディランはまだキリスト教に改宗する前だった…

 

ボブ・ディランといいコーエン兄弟といい、ユダヤ系の作家はこういうことが好きなんだ。

 

 

よくスタジオの監視の目を盗んで、こんな映画を完成させたよな…

 

 

そしてハイの最後のセリフが発せられた瞬間、まるで観客に考える隙を与えないかのように画面は真っ暗になり、主題歌のヨーデルが陽気に鳴り響く…

 

 

 

実にノンキな歌やな。

 

 

でもなんで途中に「第9」が入るんだろう?

 

 

このテーマソングの秘密も解説しなきゃいけないね。

 

なぜカントリー調の曲の中にベートーベンの「第9」が挿入されているのかを…

 

ということで、次回はその秘密に迫ってみよう。

 

まだまだ続くよ(笑)

 

 

 

JUGEMテーマ:映画

「ROSE CONNELLY a.k.a. DOWN IN THE WILLOW GARDEN」『RAISING ARIZONA(赤ちゃん泥棒)』徹底解剖13

  • 2018.08.19 Sunday
  • 19:12

 

 

 

 

さて、映画『RAISING ARIZONA(赤ちゃん泥棒)』で子守唄として歌われ、ラストシーンでもBGMとして流れる曲『DOWN IN THE WILLOW GARDEN (ROSE CONNELLY)』について解説しよう。

 

『DOWN IN THE WILLOW GARDEN』VANDAVEER

 

 

愛する女性を殺してしまった男と、息子の死刑を悲しむ父の歌だなんて、ホントなの…?

 

 

女に毒を飲ませ、ナイフでめった刺しにして川に捨てた男が、処刑台に向かう男の歌やで…

 

ハイが悪夢にうなされたのも無理ないわ。縁起でもない。

 

っちゅうか、この歌を赤ん坊に歌うエドはどうゆうセンスしとんねん…

 

 

 

センスは悪くないと思うよ。

 

だってこの歌って…

 

イエスの「最後の晩餐」から「ゴルゴダの丘での十字架刑」までの出来事を歌ってるものなんだ…

 

 

ハァ!?

 

 

だからエドは無意識のうちにこの歌を子守唄として歌っていたんだね。

 

前にも言った通り、表向きこの映画は「イースター(復活祭)シーズン」の映画として作られている。

 

誘拐される赤ちゃんネイサンJr.がイエス・キリストの役割になっているんだよ。

 

ネイサン・アリゾナ氏の家から「水曜の夜」に姿を消し「金曜の深夜」に帰ってきた。

 

姿を消してから「二日後」、つまり「三日目」に再び現れたということだね。

 

 

なるほど…

 

イエス・キリストの「復活」と同じ構造になっていたのか…

 

 

木曜の夜にハイがコンビニ強盗をした際、店員の若者に銃で反撃されるんだけど、1発は頭部に命中したかに見えた。

 

でもなぜか当たってなかったんだよね。それ以降も銃弾を雨あられのように受けるんだけど、なぜか1発も当たらない。

 

実はあれ、聖書にあるイエスの言葉によるものなんだ。

 

最後の晩餐の後のゲッセマネでの祈りの場面で、イエスが天の父に訴えかけるセリフだ…

 

ルカ17:12

わたしが彼らと一緒にいた間は、あなたからいただいた御名によって彼らを守り、また保護してまいりました。彼らのうち、だれも滅びず、ただ滅びの子だけが滅びました。それは聖書が成就するためでした。

 

 

ネイサン・ジュニアのお陰で死ななかったのか!

 

しかも「ただ滅びの子だけが滅びた」って、賞金稼ぎスモールスのことじゃんか…

 

 

コーエン兄弟ってホントに面白いよね…

 

ということで、歌の解説を始めよう。

 

まずはあの歌の来歴から。

 

あの歌が最初に記録されたのは1811年のアイルランドで、タイトルは『ROSE CONNOLLY』といった。

 

典型的な「Murder Ballad」、殺人事件と犯人の処刑を描いた歌だね。

 

 

CONNOLLY?

 

「CONNELLY」とちゃうんか?

 

 

「CONNOLLY」も「CONNELLY」も、どちらも「コノリー」と発音するんだ。

 

たぶん「CONNOLLY」のほうがアイルランド風で、「CONNELLY」は英語風なんだろうね。

 

 

でも、なんでアイルランドではこんな歌が歌われたの?

 

残虐犯の処刑と、それを悲しむ犯人の父親の歌だなんて…

 

 

アイルランドは長い間イギリスの植民地状態に置かれていたからね。

 

ただでさえ痩せた土地なのに、過酷な年貢に苦しめられていたんだ。領主や地主は絶対的存在で、アイルランドの農民は奴隷同然の扱いだったんだよ。

 

だから悲惨な事件は後を絶たなかった。貧しさゆえの強盗殺人だったり、義憤からの殺人事件だったり…

 

そんな悲しい出来事の数々を、人々は歌にして語り継いだんだと思うよ。

 

 

だから歌の中で父親は「金さえあれば」って悔やむんだ…

 

 

そして19世紀中頃に発生した「ジャガイモ飢饉」で、アイルランドはどん底まで突き落とされる。

 

20%以上の国民が餓死し、多くの人々が生き残るために海を渡った。アメリカにも数十万人のアイルランド人が移民したんだ。

 

 

 

その中にケネディ大統領の先祖もいたんやったな。

 

 

そうだね。

 

だけどケネディ家にみたいに新天地で大成功したのはごく一部の人たちだ。

 

多くのアイルランド人は仕事と土地を求めてアパラチア山脈へと向かった。炭鉱や開墾といった厳しい肉体労働に従事したんだね。

 

そして彼らは故郷の歌「Murder Ballad」をアメリカの地でも歌った。新天地アメリカでの辛さを、アイルランド時代の辛さに重ね合わせたのかもしれない。

 

それが脈々と歌い継がれ、エヴァリー・ブラザーズやアート・ガーファンクルなど著名な歌手もカバーし、この映画でも使われることになったというわけだ。

 

 

なるほどな。

 

せやけどなんで『DOWN IN THE WILLOW GARDEN』っちゅうタイトルに変わったんや?

 

 

それはね…

 

「ROSE CONNOLLY」が「主イエス・キリスト」って意味だからだよ。

 

 

ええ!?

 

 

「ROSE」とは「LORD(主)」のこと。これは古典的な駄洒落というか「言い換え」だ。

 

カズオ・イシグロの『日の名残り』にも登場したよね。執事スティーブンスの旅の目的地は「ROSE GARDEN ホテル」だった。

 

あれは「LORD'S GARDEN(主の庭)」つまり「エルサレムの神殿の丘」という意味になっていたんだよね…

 

カズオ・イシグロ『日の名残り』徹底解剖より

 

 

ああ、そうだった…

 

 

そして「CONNOLLY」は「CON」と「NOLLY」に分けられる。

 

「CON」とは「共に」という意味だ。これは簡単だね。

 

 

じゃあノリーは?

 

 

「NOLLY」とは「オリーブの木」という意味の名前「OLIVER」の短縮形なんだ。

 

チャールズ・ディケンズの小説『オリバー・ツイスト』の主人公は「ノリー」と呼ばれていたね。

 

つまり「CONNOLLY」とは「オリーブと共にある人」、つまり「香油を注がれし者・救世主」って意味なんだよ。

 

 

うひゃあ…

 

 

「ROSE CONNOLLY」ではすぐにバレてしまうので「DOWN IN THE WILLOW GARDEN」に変えたのかもしれないな。

 

それでも「THE WILLOW GARDEN」には「WILL(決意・遺言)」が入っているから、勘のいい人は気付くだろう。

 

イエスが運命を受け入れ、弟子たちに最後の言葉を遺した「最後の晩餐」の地「シオンの丘」や、オリーブ山の麓「ゲッセマネの園」の歌であるってことをね。

 

 

もうわかった…

 

早く歌詞を解説してくれ…

 

いったいこの歌にはどんな仕掛けが施されているんだ?

 

 

ポイントは、「ROSE CONNELLY」という名前が1番には出て来なくて、2番と3番に登場することだ。

 

これは歌う主体が変わることを意味している。

 

1番の「わたし」と2番の「わたし」は別の人物なんだね。そして3番では両方の「わたし」が登場するんだ。

 

それでは歌詞を見ていこうか。

 

この歌には色んなバージョンがあるから、最もポピュラーなThe Everly Brothers(エヴァリー・ブラザーズ)版で解説するとしよう。

 

 

まず1番の歌詞。

 

Down in the willow garden

Where me and my love did meet

As we sat a-courtin'

My love fell off to sleep

I had a bottle of Burgundy wine

My love, she did not know

So I poisoned that dear little girl

On the banks below

 

 

柳の園へ行った

愛しのあの娘と会った場所だ

愛の契りを交わす間に

愛しのあの娘は眠りに落ちた

俺の手には1本のワインボトル

愛しのあの娘は知る由も無いが

俺はこんないたいけない娘に毒を飲ませたんだ

土手の下で

 

普通に訳すとこんな感じだよね?

 

 

ようわかったな。「a-courtin'」の「契る・求愛する」って意味を。

 

 

表向きの歌詞の意味はそれで合っている。

 

でも1番で注意したいのは「my love」と最後の「dear little girl」の使い分けだ。

 

ここに重要な意味が隠されているんだよね。

 

 

また別人ってことか?

 

 

その通り。

 

「my love」はペトロら弟子たちのことで、「dear little girl」は別の「特別な人物」を指す。

 

では歌詞を「本当の意味」で訳していこう…

 

Down in the willow garden

Where me and my love did meet

As we sat a-courtin'

My love fell off to sleep

 

ゲッセマネの園へ行った

わたしと弟子たちがよく出かけた場所だ

座って語り合い、大事な約束をしたにもかかわらず

弟子たちは眠りに落ちてしまった

 

 

おお!確かに弟子たちは土手下で眠りに落ちていた!

 

アンドレア・マンテーニャ『The Agnoy in the Garden』

 

 

そして1番の後半部分なんだけど…

 

「dear little girl」を誰にするかで二種類の読み方ができるんだ…

 

まずは「肉体としてのイエス」として考えた場合…

 

I had a bottle of Burgundy wine

My love, she did not know

So I poisoned that dear little girl

On the banks below

 

わたしの手には「死の運命」という葡萄酒の入った杯が…

眠っている弟子たちは知る由も無い

そしてわたしはついに「死の杯」を受け入れた

オリーブ山の麓ゲッセマネの園で

 

 

せや!イエスは自分の運命を「杯」と表現しとったな!

 

「死という葡萄酒の入った杯」を何とか回避できないものか…と天の父に祈っとった!

 

《ルカによる福音書》

22:42「父よ、みこころならば、どうぞ、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの思いではなく、みこころが成るようにしてください」。

 

 

そして「dear little girl」をイスカリオテのユダとした場合…

 

I had a bottle of Burgundy wine

My love, she did not know

So I poisoned that dear little girl

On the banks below

 

「この葡萄酒の杯は私があなたたちのために流す血である」

私はそう告げたが、弟子たちは意味を理解していなかった

そこで私はイスカリオテのユダに悪魔を入りこませた

シオンの丘を臨む最後の晩餐の地で

 

 

ま、マジかよ…

 

「毒を飲ませた」って「サタンを入れた」ってことか…

 

《ヨハネによる福音書》

13:26イエスは答えられた、「わたしが一きれの食物をひたして与える者が、それである」。そして、一きれの食物をひたしてとり上げ、シモンの子イスカリオテのユダにお与えになった。

13:27この一きれの食物を受けるやいなや、サタンがユダにはいった。そこでイエスは彼に言われた、「しようとしていることを、今すぐするがよい」。

13:28席を共にしていた者のうち、なぜユダにこう言われたのか、わかっていた者はひとりもなかった。

 

 

 

実に巧く出来てるよね。最初にこの歌を聴いた時、思わず感心しちゃったよ。

 

さて、2番に行ってみよう…

 

I drew a saber through her

It was a bloody knife

I threw her in the river

Witch was a dreadful sign

My father often had told me

Money would set me free

If I would murder that dear little girl

Whose name was Rose Connelly 

 

 

 

普通に訳すと…

 

彼女に刺したサーベルを引き抜いた

血まみれのナイフだ

俺は彼女を川に投げ捨てた

それが運の尽きだった

親父はよくこう言ってたな

金さえあれば自由になれる

だから俺はあのいたいけない娘を殺してしまった…

ローズ・コノリーという娘を

 

って感じかな…

 

 

なんでサーベルとナイフなんや?

 

どっちやねん!

 

 

「knife」は「night」に掛けられてるんだ。

 

ちなみに「最後の晩餐」では剣が2本用意されていた。旧約の預言を成就させるためにイエスが用意させたんだよね。だから表の意味でも2種類の剣が出て来たんだろう。

 

さて、2番の「本当の意味」はこうだ…

 

I drew a saber through her

It was a bloody knife

 

私はあのお方の中に救世主(savior)の姿を見て

思わず引き寄せられていった

それは剣により血が流された夜のこと

 

 

「saber(サーベル)」と「savior(救世主)」の駄洒落か!

 

しかもシモン・ペトロの「bloody knife」で「bloody night 」だ!

 

 

こっからも凄いよ。

 

「threw down(in) the river」で「裏切る」という意味だから…

 

 

I threw her in the river

Witch was a dreadful sign

 

私はあのお方を裏切った

恐ろしいサインを合図に…

 

 

 

完璧にユダの接吻シーンが完成するじゃんか!

 

 

 

そして2番の後半はこうなる…

 

 

My father often had told me

Money would set me free

If I would murder that dear little girl

Whose name was Rose Connelly

 

主は私にこうおっしゃったのだ

「しようとしていることを今すぐするがよい」

だから私は最愛の人を売るしかなかった

香油を注がれし人、主イエス・キリストを

 

 

 

「money」は裏切りの代価「銀貨30枚」のことだったのか…

 

 

そしてついにあの瞬間がやって来る…

 

3番を見てみよう…

 

 

My father sits at his cabin door

Wiping his tear-dimmed eyes

For his only son shall walk

To yonder scaffold high

My race is run, beneath the sun

My scaffold now waits for me

For I did murder that dear little girl

Whose name was Rose Connelly    

 

 

 

いちおう普通に訳してみるよ…

 

父は丸太小屋の入口に腰かけ

涙で溢れた目をぬぐいながら

まもなく死刑台へと歩き始める

一人息子のことを想っているだろう

俺の人生は最後の時を迎える

この世界における最期の時を

死刑台が今まさにこの俺を待っている

いたいけない娘を殺してしまったせいで…

ローズ・コノリーという名の娘を…

 

 

切ない結末だね。

 

さて、3番のポイントは死刑台(scaffold)が二度出て来ることだ。

 

「yonder scaffold high」と「my scaffold」 が、それぞれ「1番のわたし」と「2番のわたし」に対応しているんだよ…

 

前半部はイエスのパートだね…

 

 

 

My father sits at his cabin door

Wiping his tear-dimmed eyes

For his only son shall walk

To yonder scaffold high

 

何も答えてくれぬ天の父はきっと

神の家の前に座り涙を流しておられるのでしょう

ただひとりの息子が十字架を背負って刑場へと歩き

天に召されようとしているのですから

 

そして後半部はユダのパートだ…

 

My race is run, beneath the sun

My scaffold now waits for me

For I did murder that dear little girl

Whose name was Rose Connelly

 

私の人生もお終いだ

今この私を待つのは死刑台のみ

私は大切なあのお方を死に導いてしまった 

香油を注がれし人、主イエス・キリストを…

 

 

 

なんてこった…。完璧じゃんか!

 

 

でしょ?

 

コーエン兄弟がイースター・シーズン向けの映画にこの曲を使った理由がこれでわかったと思う。

 

子守唄で歌われ、大切なラストシーンにも流れるくらい、深い意味をもった歌だったんだね。

 

というわけで、これを踏まえて次回はラストシーンを解説しよう。

 

主人公ハイの語りによる冒頭シーンも素晴らしかったけど、あの夢シーンも負けないくらい素晴らしいんだ。お楽しみに!

 

 

 

 

JUGEMテーマ:映画

「失われた息子たち」『RAISING ARIZONA(赤ちゃん泥棒)』徹底解剖12

  • 2018.08.17 Friday
  • 18:00

 

 

 

さて今回は脱獄兄弟ゲイルとエヴェルについて解説しよう。

 

 

前回を未読の人はコチラをどうぞ!

 

 

 

あの脱獄シーンは迫力あったな。富田林署の間抜けな逃走劇とはわけが違うで。

 

泥の中から現れるんや。

 

 

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そんで地上に這い上がって、雨の中、雄叫びをあげる…

 

 

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全身ドロドロの姿と、おドロドロしい音楽が相まって、すっごくカッコよかった!

 

そして弟のエヴェルを泥の中から引っこ抜くんだ(笑)

 

 

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もうタイトルの時点でバレバレやけど、この兄弟のモデルはアダムとイブの息子「カインとアベル」やな。

 

弟の名前「Evelle」は「Abel(エィベル)」の単純な言い換えやから、まだわかる…

 

せやけど、なんで兄の名前は「Gale」なんや?

 

「Cain(ケイン)」と「ei」の発音だけしか合っとらんやんけ!「G」と「L」はどっから来たんや!?

 

 

たぶん特撮怪獣映画『サンダ対ガイラ』の「ガイラ」だね。

 

ゲイルが泥と雨でズブ濡れになるのは、ガイラが海底から出現したことの再現だろう。

 

 

 

ハァ!?

 

『フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ』!?なんでコーエン兄弟が!?

 

 

 

この映画、実は日米合作でね…

 

アメリカでは『WAR OF THE GARGANTUAS(ガルガンチュア兄弟の争い)』というタイトルで公開され、多くのファンがいることで知られるんだよ…

 

あのブラッド・ピットも「人生で最初に観た映画」として思い出を語っているくらいだ…

 

 

 

あのブラピまでもが…

 

 

この映画、日本では「海幸彦と山幸彦」神話がモデルになったとされている。

 

海で魚を獲って暮らす兄・海幸彦と、山で狩りをして暮らす弟・山幸彦は、ある日お互いの道具を交換し、それがきっかけでトラブルになってしまう。そして最後は弟・山幸彦が兄・海幸彦を打ち負かすというストーリーだね。

 

勝利した弟・山幸彦の家系は正統となり、彼の孫が初代天皇である神武天皇となるんだ。

 

 

 

ん?兄弟のバトルといえば…

 

 

その通り。「カインとアベル」だ。

 

欧米人にとって『サンダ対ガイラ』とは、「カインとアベル」をベースにした怪獣映画という認識なんだよね。

 

菜食主義者のサンダは「神に農産物を捧げたカイン」で、肉食主義者のガイラは「神に肉を捧げたアベル」なんだよ。

 

だから映画のラストは、サンダがガイラを成敗し、そのまま両者が海底火山の噴火に巻き込まれ姿を消すというものになっている。

 

片方が勝者となる「海幸彦山幸彦」ではなくて、完全に「カインとアベル」の物語だよね。

 

カインとアベルは共に消えて、その後に生まれた第三子セツの子孫が正統となるんだから…

 

 

 

なるほど、確かにそうだ…

 

 

さて、脱獄シーンの次は、いきなり赤いポマードの缶がアップで映し出される。

 

場所は郊外のガソリンスタンドのトイレだ。

 

おそらく併設されているコンビニから盗んだんだろうね…

 

 

 

 

アップで映される物には必ず何か意味があるんやったな。

 

 

その通り。

 

「盗んだポマード」とは、アダムとイヴが「盗んだリンゴ(知恵の実)」のことなんだよね。

 

そもそも「ポマード(POMADE)」の語源自体が「リンゴ(POME)」なんだよ。

 

 

 

 

そうだったのか…

 

缶に書かれた「FOR MEN」って言葉がシュール過ぎる…

 

 

さて、ゲイルとエヴェルの二人は偶然通りかかった車を奪い、ハイの家を目指す。

 

この映画において、この脱獄兄弟は「カインとアベル」で、ハイとエドは「第三子セツをもうける前のアダムとイヴ」だ。

 

よって、この展開は非常にマズいことであることがわかるだろう…

 

 

なんで?

 

 

失ったはずの息子たちが帰って来てしまうんだからね…

 

死んだはずの次男アベルが蘇り、追放したはずの長男カインと共に戻って来てしまうんだから、親としては予想外の事態だよね…

 

 

ああ、そうゆうことか!

 

 

ということで「親子」の再会シーンを見てみよう。

 

 

外の男(ゲイル)「開けろ!警察だ!」

 

エド「な、何!?」

 

ハイ「ここに居ろ…」

 

エド「誰も私たち家族を引き裂けないわ…」

 

ハイ「俺が見に行く…」

 

外の男(ゲイル)「今すぐ開ければお前たちの罪は軽くしてやろう!」

 

ハイがドアを開ける

 

ゲイルとエヴェル「よう!ウッドペッカー親父!」

 

ハイ「子供たち!マジかよ!俺を困らせないでくれ!(笑)」

 

寝室からエドが赤ちゃんを連れて出て来る

 

ハイ「ハニー!紹介するよ!ゲイルとエヴェルのスノーツ(Snorts)兄弟だ!こんな不法侵入(broke and entered)なんてしねえ善人兄弟だったのにな!(笑) Boys!これが俺の嫁さんだ!」

 

ゲイル「マァム(Ma'am)…」

 

 

 

親父とか子供たちとか言うとるやんけ(笑)

 

 

「broke and entered(不法侵入)」って言葉もナイス…

 

禁を破って追放されたアダムとイヴのことでもあるし、殺されたアベルと追放されたカインのことでもある…

 

 

ちなみに苗字の「Snorts」とは「鼻息の荒い豚野郎」って意味だ。

 

 

相変わらずジョークがブラックなコーエン兄弟…

 

 

そしてゲイルはエドのことを「Ma'am(マァム)」と呼ぶ。

 

「Madam(マダム)」の省略形なんだけど、「Mam(お母さん)」みたいに聞こえるよね。

 

カインにとってイヴはお母さんだからピッタリの呼び名だ(笑)

 

そして、ひとしきり「J言葉」で盛り上がった後に、ゲイルとエヴェルは部屋に飾られている文字に気気付いて不思議がる…

 

 

 

「WELOCOME HOME SON(息子よ、我が家にようこそ)」!

 

自分たちも息子だから不思議がるのも無理はない(笑)

 

 

この後も面白い会話が続くよ。

 

 

ハイ「Jr.のじじばばのところへ行ってたんだ」

 

エド「離婚しててね」

 

ゲイル「あんたの親か、Ma'am?」

 

エド「いいえ、ハイの親よ」

 

ゲイル「変だな。お前の親は死んだって言ってなかったか?」

 

ハイ「は、墓参りだよ。Jr.に先祖が安らかに眠る地を見せておこうと思って…」

 

 

ハイの「離婚してる親」って、つまりは神様のことじゃんか…

 

いちいち表現がウケるんですけど…

 

 

しかも「死んだ」ってニーチェか(笑)

 

 

異臭について説明するところも超笑えるんだ。

 

 

エド「この臭いは何?」

 

ゲイル「いつもこんな臭いをさせてるわけじゃないんですぜ、マクダノー夫人…」

 

ハイの方を向く

 

ゲイル「お前のベター・ハーフに説明しなきゃいけないようだ…。俺たちがトンネルを抜けて出て来たことを…。俺たちは下水道の本管にぶち当たり、臭い汚水の中を通って…」

 

エド「あなたたち、刑務所から逃亡したの!?」

 

エヴェル「俺たちは自己誓約で保釈されたんだ」

 

ゲイル「エヴェルが言ってることは、つまり…、施政者が俺たちにまともな待遇をしてくれなかったということなんだ…」

 

 

どゆこと?

 

 

ゲイルが「ベター・ハーフ」という言葉を使ったことがポイントだよね。

 

ここは「カインとアベル」と「アダムとイヴ」の「生まれ方の違い」を説明してるんだ。

 

アダムは神が土から作った。そしてイヴはアダムの一部分である肋骨から作られた。

 

だけどカインとアベルは、イヴの出産により生まれた…

 

 

下水道は産道のことやったんか!

 

臭うとか女性に失礼やんけ!

 

 

エドが言ってるんだから大丈夫じゃない?

 

ちなみに後半の部分は「聖書における彼らの扱いの酷さ」へのクレームだね。

 

弟アベルは登場と同時に殺されちゃうし、追放された兄カインの子孫は呪われてしまい、大洪水で滅ぼされた。

 

彼らの弟であり、その後の人類の祖となった三男セツの扱いに比べたら雲泥の差だ。

 

 

なるほど…

 

そう言われたら確かにちょっと可哀想な兄弟かも…

 

 

だから「サンダとガイラ」みたいな切ない物語になっちゃうわけだね…

 

 

さて、翌朝のゲイルとエヴェルの行動も爆笑ものだ。

 

エドは赤ちゃんにミルクを与えていた…

 

 

 

 

その間、二人はシリアルと牛乳をすすりながら、エドを凝視する…

 

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ゲイル「なぜおっぱいで授乳させない?産んだんだから母乳が出るだろ?」

 

エド「あなたたちには関係のないことよ」

 

エヴェル「Ma'am、おっぱいをあげないと、将来その子はあんたを嫌いになる。俺たちがブタ箱入りになったのは、そのせいなんだ…」

 

ゲイル「嘘じゃねえ。シュワルツ博士がそう言ってた」

 

 

 

 

二人はエドが「おっぱい」を出すのを見たかったんやな。

 

カインとアベルにとっては、懐かしいオカンのおっぱいやさかい…

 

 

やっぱりこの兄弟、ちょっと切ないね…

 

 

彼らの最後も切ないよね。

 

身も心も「ブルー」になって「土に還る」んだ…

 

この世界には、彼らカインとアベルの居場所は無いからね…

 

 

切な過ぎる…

 

そういえば、あのシーンの曲も切なかったな…

 

 

ハイの夢であるラストシーンに流れるあの曲は、エドが子守歌に歌っていたものだね。

 

あの朝ハイは「本当の父スモールスの悪夢」にうなされていた。そしてエドの子守歌で目を覚ますんだ。

 

 

 

そういえば、なんでハイは突然あんな夢を見たんだろう?

 

 

 

赤ちゃんを盗んだ罪悪感、そしてカインとアベルであるスノーツ兄弟の登場の影響だね。

 

ハイの中で眠っていた「父子問題」が蘇ったんだよ。

 

ハイはスノーツ兄弟に「親は死んだ」と語っていたんだけど、それは里親である「マクダノー夫妻」のことだったんだ。「本当の親はどこかで生きているかもしれない」って薄々思っていたんだね。

 

そしてエドは「父子問題」の悪夢にうなされているハイのそばで、あの曲を歌っていた。

 

酷いよね、コーエン兄弟は…

 

 

酷い?どゆこと?

 

 

あの曲って、ちょっと子守歌にはどうかと思うんだよね…

 

だって「罪を犯した息子の死を見届ける父」の歌なんだもん…

 

 

ええ!?

 

 

次回はこの歌と、これが流れるラストシーンについて解説しよう。

 

あのラストシーンの意味を、おそらく日本人はひとりも理解していないと思う…

 

いや、世界でもコーエン兄弟以外に誰も理解していないかもしれないな…

 

『DOWN IN THE WILLOW GARDEN』VANDAVEER

 

 

 

 

 

JUGEMテーマ:映画

「駄洒落魔コーエン兄弟」『RAISING ARIZONA(赤ちゃん泥棒)』徹底解剖11

  • 2018.08.16 Thursday
  • 16:17

 

 

 

さてアリゾナ家のシーンの解説を続けよう。

 

 

前回を未読の人はコチラをどうぞ!

 

 

 

窓から2階に忍び込んだハイと部屋をハイハイしまくる五つ子赤ちゃんたちの物音に、ネイサン・アリゾナ氏は天井を見上げた。

 

 

この画にも面白い仕掛けが施されている。

 

まずは「眼鏡」だね…

 

 

 

メガネ?なんでやねん。

 

 

この映画では、わざとらしく登場人物が「何か」を観客に向かって見せるシーンが多いんだ。

 

そしてそこには必ず何らかの意味が込められている。

 

前回解説した『スポック博士の育児書』もそうだったよね?

 

 

 

他にもそうゆうものがあるの?

 

 

何度も出て来るビールの「バドワイザー」がそうだったでしょ?

 

あれは創世記で神がアダムに「植物を食料として与える」と何度も言うことを表していた。ビールは麦とホップから作られるし、「バド」には「つぼみ」という意味もある。

 

そして極めつけが、オムツの「HUGGIES(ハギーズ)」だね。

 

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数ある紙オムツの中で、なぜかハイは「HUGGIES」にこだわる。

 

警官に追われながらスーパーの中を逃げるシーンでも他のオムツには手を出さず、必死で「HUGGIES」を探すんだ。

 

そして矢鱈と画面にアップで映される…

 

 

パンパースやムーニーじゃダメなの?

 

 

残念ながらダメだね…

 

だってこの映画における「HUGGIES」とは「生贄として屠られた子羊」という意味だから。

 

 

ハァ!?

 

 

主人公ハイ・マクダノーの「McDUNNOUGH」とはスコットランド系の苗字だ。

 

そしてスコットランドには「羊の内臓」を使った郷土料理「HAGGIS(ハギス)」がある。

 

 

この映画では、音がほぼ同じの「HUGGIES」と「HAGGIS」が掛けられているんだね。

 

ちなみにハギスは「マズい民族料理」の代表格としてジョークのネタにされることが多かった。

 

 

かつてフランスのシラク大統領はロシアのプーチン大統領との会談で「ハギスみたいなマズい料理を喜んで食べる連中は信用できない」とイギリスを揶揄する発言をした。

 

これにイギリス国民の間で非難の声が上がったんだけど、イギリスのストロー外相は「ハギスに限れば、その通り」とジョークで答えたという逸話がある…

 

 

それ、事態をややこしくしとるんとちゃう?

 

「イングランド人は信用できるけどスコットランド人は信用できない」って言うてるようなもんやんけ…

 

 

その後のイングランドとスコットランドがどうなったかは、言うまでもない…

 

 

でもなぜスコットランド料理のネタがこの映画に?

 

 

ジョエル・コーエンは、スコットランド系の苗字をもつフランシス・マクドーマンドと結婚した。たぶんそれがきっかけでスコットランドの郷土料理ハギスを初めて食べる機会があったんじゃないかな?

 

そしてオムツのハギーズと名前が似てることを面白いと考えた。「羊の内臓とオムツ?これ、使えるんじゃね?」と…

 

だからコーエン兄弟は、ハイに「神の物真似」をさせた。

 

ハイはストッキングを被ってコンビニで「HUGGIES」を強盗するんだけど、これは神がアベルの捧げもの「屠った仔羊」を選んだことのパロディなんだよね。

 

被る必要のないストッキングをわざわざ被るのは、この時だけハイがアダムじゃなくて神ヤハウェの物真似をしているからなんだ…

 

 

HI:Wake up son. I'll be takin' these Huggies and whatever cash you got.

 

ハイ「若き息子よ、よく聴け。私は屠られた小羊を取るだろう。お前がどう思うかは知ったことではない…」

 

そしてコンビニの外の車の中では、エドが赤ちゃんに『三匹の子豚』を読み聞かせしている…

 

 

 

ウケる。子羊の話をしているのに子豚の絵本。

 

しかも豚って神ヤハウェが大嫌いな動物だし(笑)

 

 

そんでエドは、強盗しとるアダム…やのうてハイを見て、こう吐き捨てるんやったな…

 

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『バートン・フィンク』の時にも解説したけど、コーエン兄弟が役者に言わせる「サノバビッチ!」「ジーザス!」「オーマイゴッド!」って、本当に計算し尽くされたセリフなんだよ。

 

これらの言葉が使われる時って、すべてこういう伏線のある状況なんだ。意味もなく安易に吐き出される言葉じゃないんだよね…

 

 

さて「三匹の子豚」が出たついでに、この映画の中の「豚ネタ」をもうひとつ紹介しておこうか。

 

脱獄した兄弟が朝食を食べるシーンで、頭の弱い弟のエヴェルは矢鱈とケロッグ社のシリアルを褒める。わざわざパッケージをしっかり観客に見せるようにしてね…

 

 

そこに寝室からハイがやって来て、ケロッグの箱を取り上げるとカメラの目の前まで歩いて行き、「どアップ」で画面に映してから、脇に捨て置く…

 

 

 

 

ケロッグ社とタイアップしてたんじゃないの?

 

 

せやけど豚ちゃうやんけ。鶏のマークやで。

 

 

「Kellogg(ケロッグ)」という名前が重要なんだよ。

 

実は「Kellogg」って名前は「豚の屠殺人・豚肉屋」という意味なんだよね。

 

「kill hog(豚を殺す)」が転訛した苗字なんだ…

 

 

ええ〜!?

 

 

だからハイは箱を取り上げたんだね。

 

「この家の中は豚禁止だ」って顔をしながら…

 

 

箱に書かれた「FREE」は「M&Mチョコが無料で付いてくる」じゃなくて「Kellogg FREE(豚除去)」って意味だったのか!

 

 

コーエン兄弟のジョークって、ホント面白いよね。

 

さて、「ネイサン・アリゾナ氏の眼鏡がアップで映される件」に戻ろうか…

 

 

単刀直入に言うと…

 

これは「彼がユダヤ系である」ことのサインなんだ。

 

 

意味がわからん!

 

 

ネイサン・アリゾナ氏はメガネの「柄」の部分を持っている。

 

あの部分を英語では「テンプル(temple)」というんだ。キリスト教以外の寺院や神殿などを表す「temple」と同じ綴りだね。

 

そして、かつてキリスト教社会では、「temple」といえば「ユダヤ教の神殿やシナゴーグ」のことを指した。

 

有名な「テンプル騎士団」も、十字軍でエルサレムを占領した時に「神殿の丘」の上に本部を設けたことで名付けられたんだよね。

 

クリスチャンの集団に異教徒の象徴「テンプル」なんて名が付けられることは、極めて異例のことだったわけだ。

 

 

じゃあ「テンプル大学」も異教徒の学校なの?

 

 

いや、テンプル大学は非常に熱心なバプティスト系クリスチャンが作った学校だよ。

 

彼らが学校の名前に「テンプル」を付けたのは、最初は不本意なことだったんだ…

 

テンプル大学は、創設者であるコンウェル牧師が勤労青年向けに、町の一角の建物の地下室で夜間学校を開いたことに始まる。仕事を終えた若者たちが、夜に集まってイエスの教えを学ぶという小さなサークルみたいなものだ。順調にグループが大きくなってきたので、コンウェルは夜間学校を開催していた建物をローンで買うことにした。その建物を彼らの教会兼学校にしようとしたんだね。

 

だけど売り主は何を思ったか「ローンを全額払い終えるまでは教会(church)を名乗るな!」と言い出した。だから彼らは自虐的にテンプル(temple)を名乗ることにしたんだね。当時のアメリカのキリスト教主流派からしたら邪道ともいえるネーミングだ。

 

だけどその後どんどん大きく成長していったことで、それがある種の誇りとなり、そのまま変えられずに今に至ったというわけなんだね。

 

 

へえ〜!そうだったのか!

 

 

ちなみにこの「眼鏡のテンプル」ネタは、文学作品なんかにもよく登場する。

 

僕がこれに初めて気付いたのは、イサク・ディーネセンの短編小説『バベットの晩餐会』を読んだ時だ。

 

彼女の小説のネタはコーエン兄弟の他にも多くの作家の作品に引用されているから、『赤ちゃん泥棒』が終わったら解説するつもりだ。村上春樹もそうだし、カズオ・イシグロも使っているよね。

 

 

シャレオツな映画も大ヒットしたな。

 

 

 

だけどこの映画は、有り得ないほど原作と違うんだ…

 

舞台もなぜかデンマークに変えられているし、主人公バベットも全く違う人物像に変えられている…

 

はっきり言って「タイトルが同じだけの別作品」だね…

 

この作品と原作者のイサク・ディーネセン(本名カレン・ブリクセン)について語りたいことが山ほどあるんで、どうぞ『バベットの晩餐会』解説シリーズをお楽しみに。

 

 

お、おう!

 

 

さて、ネイサン・アリゾナ氏の話に戻ろう。

 

天井を見上げた氏の脇には、お酒セットが置かれたサイドテーブルがある。

 

 

 

スコッチウイスキーの「J&B」を飲んどるな。

 

「B」は写っとらんけど、特徴的なデザインでわかる。

 

 

ちょっと待って…

 

まさか「J」が…

 

 

そう。その「まさか」だ。

 

ユダヤ系ドイツ人の移民であるネイサン・アリゾナ氏には、劇中で「Jの文字」が付きまとう。

 

そもそも彼の経営する家具店「UNPAINTED ARIZONA」のロゴの最初の文字が「U」でなくて「J」になっているくらいだ…

 

 

 

ああ!だからあそこに木が生えてたのか!

 

 

そりゃウッドペッカーに狙われるわけだね(笑)

 

赤ちゃんを盗まれた翌朝、アリゾナ家には警察やFBIが大挙して押しかけるんだけど、ここでも氏は頭文字が「J」の言葉を強調して話す。

 

特にパジャマの話で幼児語の「Jammie」を連発するところは爆笑ものだ。

 

 

 

最後は何て言って怒ってるの?

 

 

あそこも面白いんだ。

 

大挙してやって来た刑事たちは、勝手に居間でくつろぎ始めていた。彼らはケーキや飲み物を持ち込んで、勝手にティータイムを楽しんでいたんだよね。

 

だからネイサン・アリゾナ氏は、飲み物やケーキを撤去しながら激怒するんだ…

 

 

ネイサン「手掛り無し(no leads)だと!?どんな人間だって微生物とか菌みたいな小さなものを残していくだろ!それを探すのがお前たちの仕事なんじゃないのか?さっさと犯罪者や共産主義者が残していった菌を見つけ出せ!それがお前たちクソったれどもの存在理由だろ!犯人なんてどうでもいい、俺はネイサンJr.が戻って来てくれさえすればいいんだ!息子はここからどこかへ連れ去られたが、必ず何かが導いてくれるはずだ!お前ら、やるべきことと、そうでないことの区別くらい、わかっているだろう!」

 

 

菌じゃなくて指紋や足跡やろ。テンパり過ぎやで、ネイサン。

 

 

いや、ここでネイサン・アリゾナ氏が「菌」を連発することには深い意味があるんだ。

 

これは「イースト菌(酵母)」のことでもあるんだよね…

 

この日は「1987年4月13日」で、日没と同時にユダヤの祭り「過越し(除酵祭)」が始まってしまう。それまでに家の中から「イースト菌」を完全に除去しなければならないんだ。

 

だからケーキやお菓子を持ち込んでいた刑事に激怒して、それらを急いで片付けたんだね。

 

 

そうゆうことだったのか…

 

宗教暦に疎い日本人には、ちょっと気付けないネタだよな…

 

 

僕もいろんな国で様々な家庭にショートステイして初めて知ったんだ。

 

飾られているカレンダーが日本で見るものと全然違うんだもんね…

 

さて、次回は脱獄兄弟について解説しようか。

 

この兄弟も面白い秘密がたくさんあるよ。乞うご期待。

 

 

 

 

JUGEMテーマ:映画

「なぜ乳児連れ去りは4月12日に行われたのか?」『RAISING ARIZONA(赤ちゃん泥棒)』徹底解剖10

  • 2018.08.15 Wednesday
  • 19:24

 

 

 

 

さて、今回はアリゾナ家の謎を解説しよう。

 

 

前回を未読の方はコチラをどうぞ!

 

 

 

ネイサン・アリゾナの改名前の名前は、ドイツ系の苗字「ネイサン・ハフハインツ」やった。

 

そんでアリゾナ家のモデルはドイツ発祥のユダヤ名家「ロスチャイルド家」で、どっちの家も「5人の男兄弟」がおって、ひとりの名前がネイサンや。

 

ついでに言うとネイサン・ロスチャイルドの嫁の名前は「ハナ」で、ネイサン・アリゾナの嫁は「花」を意味する「フローレンス」やで。

 

 

その通り。どうもありがとう。

 

11分間のオープニングシーンが終わると、すぐにアリゾナ家での1階シーンが始まる。

 

この場面もオープニング同様に仕掛けがテンコ盛りだから、詳しく解説していこう。

 

夫ネイサンは部下と電話をしており、妻フローレンスは育児書を読んでいたね。

 

この時2階では、梯子を使って窓から侵入したハイが誘拐する赤ちゃんを物色中なんだけど、階下のアリゾナ夫妻は気付いていない…

 

 

ネイサン「椅子の付いてないリーフ・テーブルが800台だと!?椅子があればセットで売れるが、椅子が無ければただの役立たずだ!そんなことぐらい、うちのカミさんでもわかることだぞ!」

 

 

そして2階で物音がして、妻フローレンスが天井を見上げる。

 

画面には「THE ARIZONA HOUSEHOLD(アリゾナ家)」と字幕スーパーが表示される。

 

 

そういえば、この後に「日付」や「時間」が小出しで表示されるよね?

 

なんでだろ?

 

 

せやな。この映画の誘拐事件には日付とか時間がここ以外に一切出てこんかった。

 

ここで日時を観客に示す理由が全くあらへん。

 

 

それが、あるんだな…

 

ネイサンの電話の続きを聞いてみよう…

 

 

ネイサン「マイルス、お前って奴は…。俺がちょっと育児休暇を取ってる間に、店を滅茶苦茶にしてしまいやがって…。これ以上我慢できん!」

 

 

そして「WEDNESDAY, APRIL 12(4月12日水曜日)」と表示される…

 

 

 

 

なぜ4月12日?

 

 

この映画『RAISING ARIZONA』は、1987年3月、イースター(復活祭)シーズンに劇場公開された。

 

 

だからウサギが出て来るんだね。

 

春に公開されるファミリー映画やコメディ映画には、ウサギがつきものだ。

 

 

せやけど瞬殺されるやんけ。

 

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だってコーエン兄弟にとって「イースター」は、どうでもいいことだからね…

 

彼らにとっては「イースト菌」のほうが重要だったんだ…

 

 

イースト菌?

 

 

実を言うとこの映画は、表向きだけ「イースター」を偽装してるんだ。

 

水曜夜に赤ちゃんを誘拐し、木曜の午後にグレンとドット夫妻が訪問する。そしてこの日のハイは、なぜか靴を履いたり脱いだりを繰り返すんだ。

 

そもそも訪問シーンの出だしが靴を履くアップの画だったし…

 

 

 

ああ、そうだった!

 

なんであんな描写があるのか不思議だったよ。その後もハイは靴を脱いで手に持ってるし。超不自然…

 

 

木曜日に靴を脱いだり履いたりするのは「洗足式」を想起させるためだ。

 

金曜日に処刑されたイエスは、前日木曜日の午後、最後の晩餐が行われる前に弟子たちの足を洗った。

 

 

っちゅうことは、あの夕食が「最後の晩餐」やったんか!

 

せやからパンが並んどったんやな!

 

 

 

 

そうだね。

 

そして葡萄ゼリーにも重要な意味が隠されている。ハイがドットの子供にゼリーを投げつけられることにも深い意味があるんだ…

 

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ゼリーを投げつけられることに深い意味がある!?

 

 

そこは後日あらためて解説しよう。

 

さて木曜日の夜、ハイは重圧に負けてコンビニ強盗をやってしまう。だけどすぐに警察がやって来て大捕り物が繰り広げられる…

 

これはイエスの逮捕シーンだね。

 

そして日付が変わって金曜未明に、ハイは「別れの置手紙」を書く。全てを捨てて、誰も知らないところへ去ることを伝えるために…

 

 

まるっきりイエスじゃんか。

 

 

だけどハイは手紙を書き終えた直後に眠ってしまい、家出計画はあっけなく失敗に終わる。

 

コーエン兄弟は「洗足・最後の晩餐・深夜の大捕り物」を描いて観客に「この映画はイースターを描いた映画だな」と思わせといて、豪快に肩透かしを食らわせるんだ。

 

だってそもそもコーエン兄弟はイースターを題材にすることなんて頭になかったんだからね。

 

 

じゃあ何が題材なんだ?

 

 

君たちホントに鈍いなあ…

 

これまで散々何の話をしてきたか覚えてないの?

 

この映画は「アダムとイヴの物語」であると同時に「除酵祭」とも呼ばれる「過越し」を描いたものなんだ。

 

 

じょこうさい?すぎこし?

 

 

ユダヤ人にとって最も重要とされるお祭りだね。

 

モーセによる「出エジプト」の前日、初子(長子)が奪われることを避けるために「過越し」の儀式が行われた。

 

神は全エジプトの家から初子を奪うと宣言したんだけど、イスラエルの民だけに「災いを避けるための方法」を伝えたんだ。その儀式を行った家だけが災いを避けることが出来たんだね。

 

そしてエジプトを脱出する際に、発酵していないパン生地を持って行った。急いで逃げなければいけなかったからね。

 

神は人々にその恩を忘れないよう「過越し」を毎年祝うように命じたんだ。だから今でも盛大に行われる。

 

普段は信仰に熱心じゃないユダヤ人でも「過越し」だけはきちんと行うことが多い。普段は食べない種無しパンを食べたりね。

 

決まって蕎麦や餅を食べる日本人の大晦日と元旦みたいなもんだな。

 

 

 

子羊の血で玄関の周りを塗るの!?

 

 

かつてはそうしていたけど、さすがに現代では門柱に本物の血を塗ることは少ない。

 

ほとんどの家では「赤いもの」を代用品として使うんだ。

 

アリゾナ家みたいにね…

 

 

 

うわあ!門柱に赤い印!

 

 

これさえあればアリゾナ家は赤ちゃんを盗まれることは無かったんだよね…

 

だけど「4月12日」の夜には、不幸にも「この赤い印」が玄関に付けられてなかったんだ…

 

なぜなら、それを付けるのは翌日の「4月13日」の昼間と定められていたから…

 

 

なぬ!?どゆことですか!?

 

 

この映画が公開されたのは「1987年」の3月…

 

この年の「過越し」は「4月13日の日没」から始まるんだ…

 

 

ええ!?

 

 

だから「門の印付け」は「4月13日の昼間」と決められていた。神の指示でね…

 

そして、エドにそそのかされたハイが赤ちゃん泥棒を実行したのが「4月12日の夜」だ…

 

一日違いで「初子」が奪われてしまったんだね…

 

 

「4月12日」にそんな意味が隠されていたとは…

 

 

ちなみに1987年のキリスト教(西方教会)の「イースター(復活祭)」は「4月19日」だった。だから敬虔なクリスチャンは「4月17日」の日没後に過越しを祝う。

 

キリスト教とユダヤ教は「暦」が違うから、このようなズレが生じるんだね。

 

 

さて、ネイサンの電話はこう続く…

 

 

ネイサン「…そうだな、マイルス。もしカエルに羽があれば、ジャンプする度にケツの穴を地面に打たずに済むだろう!もうお前の言い訳にはウンザリだ!今の時間は…ちょうど8時45分だ!今からきっかり12時間後に店に行くぞ!」

 

 

この時、画面には「8:45 P.M.」と表示される。

 

 

なんでカエルやねん。

 

 

この電話の内容が「過越し」のパロディだからだよ。

 

電話はまず「イス無しの800台のテーブル」の話から始まったよね?「そんなものどうやって売るんだ?」とネイサンは困り果てて訴えた。

 

これは『出エジプト』において、ファラオがイスラエルの民に行った「嫌がらせ」が元ネタなんだ。

 

当時ユダヤ人はエジプトにおいてレンガ作りの重労働に就かされていた。毎日厳しいノルマのある過酷なものだったんだ。

 

ある日ユダヤ人は「これでは荒野に出かけてヤハウェに生贄を捧げる暇がありません」と苦情を申し立てた。

 

するとファラオは激怒して、レンガの材料である「わら」を与えないという「嫌がらせ」を行った。泥だけじゃ頑丈なレンガは作れないからね。

 

「わら無しでレンガを作る」というファラオの「無茶振り」が、「イス無しで800台のテーブルを売る」に代わったというわけだ…

 

 

なるほど(笑)

 

でも「800」って数字は?

 

 

モーセの年齢じゃないかな?この時モーセは「80歳」だった。

 

 

ズコっ!

 

 

ユダヤ人たちはモーセに詰め寄った。そもそもモーセが「荒野で神に生贄を捧げよう」と言い出したからだ。

 

そこでモーセはファラオと直接交渉を始める。ファラオは「成人男性のみ」で荒野に行けと言う。

 

だけどモーセは「妻や子供も一緒じゃないとダメだ」と食い下がる。

 

これがネイサン・アリゾナ氏の「育児休暇」になったんだね…

 

 

ホント細部までこだわってるよな(笑)

 

 

そして「カエル」とは、ヤハウェが引き起こした「十の災い」のひとつ。

 

ヤハウェとモーセは古代エジプトで多産を象徴する聖なる生き物とされていた蛙を大発生させたんだよ。ナイルから蛙がうじゃうじゃ湧いて出て、エジプトの街を埋め尽くしたんだね。街の中だけでなく家の中も…

 

「嫌がらせ」には「嫌がらせ」で対抗したわけだ…

 

 

オエ〜〜〜〜!

 

だけどなぜネイサンは蛙ネタで「時間」にこだわったんだ?

 

 

困ったファラオは「お前たちの神ヤハウェにやめるよう伝えてくれ」とモーセに懇願した。

 

モーセは「家族全員揃っての休暇を認めて頂けるなら、いつでも」と答える。

 

するとファラオはたった一言つぶやいた…

 

「Tomorrow(明日に)」

 

これがネイサンの「今から12時間後の8時45分」発言になったわけだね。

 

 

『出エジプト記』そのまんまか(笑)

 

 

そして電話は、こう締め括られる。

 

ネイサン「この俺を打ち負かせるもんならやってみろ!or my name ain't Nathan Arizona!」

 

 

出た!CMでも言ってたキメ台詞!

 

だけどこれってどうゆう意味なの?「俺の名前はネイサン・アリゾナではない!」ってこと?

 

 

「〜 or my name isn't ○○」は「〜でなければ○○の名が廃る」という意味の慣用句なんだよ。

 

CMのキャッチコピーは「どこよりも安く提供しましょう!そうでなければネイサン・アリゾナの名が廃る!」と言ってるんだね。

 

まあ本当に名前がネイサン・アリゾナじゃないんだけど(笑)

 

 

さて、その頃、ハイの赤ちゃん選びは困難を極める。

 

5つ子ちゃんたちが元気いっぱい部屋の中を歩き回るから、慣れてないハイはパニックになってしまうんだ。

 

物音はひどくなる一方で、アリゾナ夫妻は不思議そうに天井を見上げる…

 

 

 

この育児書って映画の中で矢鱈と「重要アイテム」みたいな扱いをされるよね…

 

最初から最後まで赤ちゃんと一緒に登場するんだ…

 

なんでだろう?

 

 

それは「この育児書」が「この映画のテーマの象徴」みたいな存在だからだよ。

 

『スポック博士の育児書』は「20世紀で聖書の次に売れた本」と呼ばれ、「育児書のバイブル(聖書)」との異名をもつ。

 

初めて子育てをする親には、文字通り「聖書」みたいな存在なんだ。

 

 

 

スポック?

 

 

 

すぐにそうやってふざける…

 

だから話が長くなるんだよ、うちらの解説は!

 

 

いや、レナード・ニモイが演じて一世を風靡した『スター・トレック』の登場人物「ミスター・スポック」も関係あるんだよ…

 

 

ええ!?

 

 

僕が推測するに、Mr.スポックのモデルとなった人物は「2人」いる。

 

まず、同じ名前である「スポック博士」ことベンジャミン・スポックだ。

 

Benjamin Spock (1903 - 1998)

 

スポック博士の両親はオランダからの移民で、元々の苗字は「Spaak」だった。だけどアメリカ人には発音が出来ないということで「Spock」に改名したんだ。

 

だからMr.スポックも同じ設定になった。

 

Mr.スポックはヴァルカン星人と地球人のハーフで、彼の本名は地球人には発音することが出来ない。だからエンタープライズ号では「Spock」と名乗っていたんだ。

 

そしてスポック博士は平和主義者としても知られ、ベトナム戦争が始まると、若者に徴兵拒否を促したと教唆扇動罪で裁判にかけられた。

 

Mr.スポックも非暴力主義者だよね。

 

 

映画のキーワード「移民と改名」がここにも…

 

 

そしてMr.スポックのモデルとなったと思われるもう1人の人物が、ポール=アンリ・スパークだ。

 

Paul-Henri Spaak (1899 - 1972)

 

 

スポック博士の旧姓やな。しかし誰や、この仏頂面のオッサンは?

 

 

ナチスによる占領前そして解放後のベルギーで首相を務め、戦後は国連総会で初代議長を務め、欧州評議会の初代議長を務め、北大西洋条約機構(NATO)の二代目事務総長を務め、国際政治・外交の分野で偉大な功績を上げ「欧州連合(EU)の父」と呼ばれている人物だ。

 

 

顔は無愛想だけど、超えらい人!

 

 

同じように顔つきが無愛想なMr.スポックもエンタープライズ号の指揮官となり、その後は惑星連邦の全権大使として宇宙平和のために外交の世界で活躍するよね。

 

これはきっとポール=アンリ・スパークがモデルになっているからに違いない。

 

 

なるほど…

 

初めて聞く話だけど、かなり信憑性がある…

 

 

そしてコーエン兄弟が『スポック博士の育児書』を「重要アイテム」としたのには、Mr.スポックを演じたレナード・ニモイの存在も大きいだろう。

 

彼のバックボーンは、この映画のテーマと非常に重なるかねら…

 

Leonard Nimoy (1931 - 2015)

 

彼の一族は、現在のウクライナ西部、ポーランド寄りの地域に住んでいたユダヤ人だった。

 

だけどロシアは東欧のユダヤ人に対して大規模な迫害を行っていたため、ニモイ家はポーランドへ逃れ、そこからさらにアメリカへ渡ったんだ…

 

 

この映画のキーワード「東欧系ユダヤ人移民」だ…

 

 

さて、ネイサン・アリゾナ氏も天井を見上げる。

 

 

ここにも面白い秘密がいくつか隠されているから、次回に解説するとしよう。

 

もうかなり長くなっちゃったからね…

 

 

もう好きにして!

 

 

 

 

JUGEMテーマ:映画

「公園兄弟」『RAISING ARIZONA(赤ちゃん泥棒)』徹底解剖9

  • 2018.08.14 Tuesday
  • 11:08

 

 

 

 

大変だ、もう第9回か。スピードアップしなくちゃね。

 

 

まだ映画が始まって7分30秒のところだよ。

 

 

こんなマイナー映画をここまで語るのは、世界でオッサンが初とちゃうか?

 

 

コーエン兄弟に失礼だよ。この映画はれっきとした名作だ。

 

さて、前回の続きから始めよう。ついにエドとハイの子作りキャンペーンが始まった…

 

 

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エド、かわいい。

 

 

これは『創世記』第3章「失楽園」の第16節だね。神はイヴにこう言った。

 

 

Your desire will be for your husband,
「おまえは夫を渇き求めるだろう」

 

 

渇き求め過ぎや。見てみい、ハイの憔悴しきった顔を。

 

 

しかし数ヶ月後、衝撃の事実が判明する。

 

エドが不妊症だったんだ…

 

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エド、かわいそう…

 

 

ネタがネタだけにこんなこと言うのは不謹慎かもしれんけど、エド役のホリー・ハンターの顔芸はこの映画の見どころのひとつやな。

 

 

確かにそれは言える。

 

美形ホリー・ハンターの顔面が瞬時に大崩壊する泣き顔シーンは必見だね。これだけでもこの映画を見る価値はある。

 

 

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そして二人は、改めて医師のもとへ説明を受けに行く。

 

ここでもホリー・ハンターの顔芸が炸裂だ。

 

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とっても切ないシーンなんだけど、顔芸と「なぜその服?」ってくらいのダサい格好で笑えてしまう。

 

 

そして二人は養子の申請をするために市役所へ行った。

 

ハイの経歴を見て固まった担当者を、二人は何とか説得しようとする…

 

 

 

エド「確かにハイが数奇な人生を送ってきたことは事実です…」

 

ハイ「だけどエドは、法の番人である警官です。二度も表彰されました。だから二人合わせたらチャラになるかと…」

 

 

ここは完璧にジョークやな。

 

 

「数奇な人生を送っている」ってアダムのことだもんね。

 

ある日突然土から作られ、いきなりエデンの園の管理人を命じられ、寝てる間に骨を抜き取られ、その骨から作られた女を妻にしろと命じられ、その妻にそそのかされて禁断の実を食べていまい、職場であるエデンの園から追放された…

 

まさに人生波乱万丈。

 

 

「エドは法の番人です」は嫌味やな。番人どころかイブが法を破ったんや。

 

 

そしてここには興味深い言葉が隠されている。

 

「二度表彰された」という部分の原文は「twice decorated」なんだけど、これが「二度も子宝を授かった」という意味になっているんだよね。

 

 

え!?

 

 

前回解説した通り、工場での同僚のお喋りは「アベル殺害」が元ネタになっていた。

 

そして夕日を眺めるシーンでのハイの語りは「カイン追放」のことを言っていた。

 

つまりこの映画は「二人の息子カインとアベルを失った後のアダムとイヴの物語」なんだ。

 

聖書によると、アダムとイヴにはその後なかなか子供が出来なかった。

 

そして二人が第三子セツを授かるのは130歳の時なんだよね。だけどそこからどんどん子孫が増えてゆくんだ。

 

 

映画のラストシーン(笑)

 

 

マジ笑えるね。

 

さて、エドはすっかり落ち込んでしまい、家事も仕事も手に付かなくなってしまった。

 

ハイの工場にも不景気の波が押し寄せ、いつまで雇用されるか不透明な状況となる。

 

M・エメット・ウォルシュ演じる同僚のオヤジは相変わらずノンキだけど…

 

 

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同僚オヤジ「そしてナインマイルを歩くビルの姿が見えた。ビル・パーカーだぜ、わかってるよな?奴は片手にサンドイッチ(sandwich)を持ち、もう一方の手に生首(fuckin' head)を持っていたんだぜ!」

 

 

 

サンドウィッチと生首?なんだそれ?

 

 

しかも何の意図があってコーエン兄弟はこのオッサンの無駄話を二回に分けたん?

 

 

 

重要な内容だから、わざわざ独立させたんだよ。

 

おじさんは「Bill Parker」を強調する。この「Parker」とは「公園管理人」、つまり「エデンの園の管理人」のことだったよね…

 

 

アダムのことでしょ?

 

 

「管理人」はもうひとりいるんだ。

 

アダムが「盗み食い」でクビになったあとの「管理人」がね…

 

 

誰!?

 

 

智天使ケルビム(Cherub)だよ。

 

神はアダムを追放した後に、ケルビムに園を警備させたんだ。侵入者から「命の木」を守るためにね…

 

 

 

ああ、聖櫃の上に付いてる天使か!

 

でもなんで車輪に乗ってるの?

 

 

神は新管理人ケルビムに回転する炎の剣を持たせたんだ。これが後世「車輪」になったらしい。

 

だからケルビムは車輪に乗った姿で描かれるようになった。

 

 

炎…?車輪…?

 

はっ!もしや…

 

 

その通り。マンハンター「レオナルド・スモールス」のモデルだね。

 

背中に差した二丁のライフルは、天使の翼だったんだ…

 

 

 

激似じゃんか…

 

 

 

だからスモールスにも「ウッドペッカー」のタトゥーがあったんだね。あれはエデンの園の管理人の印だったんだよ。

 

だから同僚のおっさんが話す「Parker(公園管理人)」とは2人のことを指す。

 

アダムであるハイと、ケイレブであるスモールスだ。

 

 

でもサンドウィッチと生首は?

 

 

二人存在する「Parker」が最後に「一体」になるよね?

 

その時、一方の手に「sandwich」を、もう一方の手に「fuckin' head」を持っていたんだ…

 

 

 

どゆこと?

 

 

刑務所のルームメイトとの会話のところで解説したよね…

 

この映画の中では「sand(サンド)」は「son(サン)」なんだよ…

 

スモールスが片手で持ち上げてるハイは、スモールスの実の息子であり、土から作られたアダムでもある…

 

だから「サンドウィッチ」なんだね。

 

 

せやけどハイは「ファッキン・ヘッド」なんか持ってへんかったやろ!

 

 

持ってたよ…

 

ちゃんと片手に「head pin」を…

 

 

 

あーーー!


 

だから同僚のオッサンは、あそこまでニヤニヤしながら喋っていたんだね…

 

超ネタバレだったから…

 

 

くそ〜!なんで気が付かなかったんだ!

 

あのムカつく態度が、まるで映画を観る人をあざ笑ってるかのように見える!

 

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ほんと最高にムカつくね、あのキャラは(笑)

 

さて、エドが全てにおいて無気力状態になってしまい、仕事も雲行きが怪しくなり、ハイはまたコンビニ強盗をしたくなってしまう。

 

でもそんな二人にビッグニュースが飛び込んできた。

 

「Arizona Quints」こと、アリゾナ家の5つ子誕生のニュースだ…

 

 

ちなみにこのニュースキャスターは「五つ子誕生」をこんな風に形容する。

 

「フーバーダム建設以来の大ニュースで州はもちきりです」

the biggest news hit the state since they built the Hoover Dam.  

 

 

 

いくら話題に欠ける州とはいえ、それは言い過ぎやろ。

 

フーバーダムが完成したのは1930年代やで。自虐的にも程がある(笑)

 

 

「フーバーダム建設」という言葉を使いたかったんだよ。

 

「built the Hoover Dam」って「built the fool Adam」って聞こえるんだ。

 

「愚か者アダムを作って以来の大ニュース」ってことだね。

 

 

アハハ。だからあんな顔したのか(笑)

 

 

 

そしてニュースに続いて、五つ子の父ネイサン・アリゾナ氏が経営する格安家具店UNPAINTED ARIZONAのCMが流れる…

 

 

翌日の新聞には、ネイサン・アリゾナ氏の妻が排卵誘発剤で大当たりしたことが書かれていて、こんな見出しが付けられていた…

 

 

"More than we can handle", laugh Dad

「我々がどうこう出来るレベルを超えている」と父は笑う

 

 

 

これは天の父のコメントでもあるやろ。

 

「ワイの仕事を奪うとは、お前らの知恵は想像以上やな」って言うてるみたいや。

 

 

そうだね…。だけどとてもデリケートな問題でもある…

 

今でも一部の人々は「生命の誕生」にかかわる部分を「神の領域」視し、人間が関与することに嫌悪感を示しているくらいだ。妊娠中絶や体外受精、いわゆる試験管ベビーなんかをね。特にキリスト教保守層の多いアメリカでは非常に顕著だ。

 

この映画が作られた80年代は、それがもっと激しかったんだ。しかも費用が数百万円から一千万円以上かかることが普通だったから、一部の富裕層だけが享受できる特権みたいにも思われたんだよ。

 

 

そしてそんな世界とは無縁のハイとエドは、ある思いに至る…

 

 

ハイの語り:あの時俺たちはこう思った。一部の人間が多くを得て、その他大勢には機会すらないのは不公平だと…。多少なりとも知恵のついた今、冷静になって思い返してみると、とてもじゃないがイカしたアイデアだったとは思えない。だけどあの時…エドの考えた計画は…俺たちの問題を全て解決してくれるように思えた…。それが俺たちの祈りへの答えなんだと…

 

 

 

そして映画タイトルが現れ、ヨーデルの声が印象的なテーマソングが流れる…

 

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やっと映画のタイトルまで辿り着いた!

 

 

ん?

 

あのタイトル文字の動き、なんか引っ掛かるな…

 

最後に「にゅる」っと上にいく感じや、「にゅる」っと。

 

 

最後に収める位置に間に合わなかったから、強引に景色を下に動かしたんじゃないの?

 

「山」は「ひっくり返せ」のサインだから、「ARIZONA」の「Z」のところに「山」を持っていく必要があったんだもんね、「ZION」と読ませるために!

 

第1回目で解説したじゃんか(笑)

 

 

 

せやったら最初からそこに収まるように計算してカメラを動かせばええやんけ。

 

なんで最後に「にゅるっ」とするんや?

 

 

いいところに気が付いたね。僕も第1回目の時には見落としていた。

 

コーエン兄弟は「RAISING」にも「山」を入れたかったんだな。

 

「IとS」の間にね…

 

 

 

どゆこと?

 

 

「AIとSINを逆にしろ」ってこと…

 

つまり「SINAI」、神の降り立つ山「シナイ山」のことだ…

 

 

うわあ…コーエン兄弟…

 

何やってんだよ…

 

 

もうヨーデルでも聞いて笑うしかないね。

 

 

 

 

 

JUGEMテーマ:映画

「失楽園」『RAISING ARIZONA(赤ちゃん泥棒)』徹底解剖8

  • 2018.08.13 Monday
  • 00:29

 

 

 

 

さて、引き続き映画冒頭シーンを解説していこう。

 

前回ハイは、ついにエドへ愛の告白をした…

 

 

未読の人はコチラをどうぞ!

 

 

 

そしてハイは約1年の刑期を終え、プロポーズするためにエドのところへ向かう。

 

今回は犯罪者としてではなく、ひとりの男として…

 

 

エド「右向け右!」

 

ハイ「今日は自分の足でここまで来たんだ、エド…。何にも束縛されない自由な人間として、君にプロポーズするために…」

 

ハイの語り:そして、そうなった…

 

 

 

即結婚式(笑)

 

 

しかも臨時特設会場やったな。

 

新婦側の参列者は全員警察官で、新郎側は全員アロハシャツ姿のボンクラDUDEたちや(笑)

 

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あれ?

 

なんで正面に「硫黄島の星条旗」の写真が飾られているんだろう?

 

「V.F.W.」って何?

 

 

「V.F.W.」とは「外国での戦争に従事した退役軍人の会」のことだね。

 

退役軍人や遺族のサポート活動を行う傍ら、「世界にアメリカ型民主主義を広める」という大義を掲げ愛国教育活動も行っている。

 

結婚式の臨時会場になったこのホールは、この団体の寄付金によって作られたんだろう。警察や刑務所には退役軍人が多く働いているだろうしね。

 

 

でもあそこまで「硫黄島の星条旗」をアピールせんでもええやろ。

 

 

「旗」に気付いて欲しいからじゃないかな?

 

この会場の両サイドにも国旗と州旗が飾られている。ポールの上に天使ケルビムが付いてる旗がね…

 

 

ホントだ!刑務所の審議室と一緒!

 

 

そしてもうひとつの理由…

 

あの超有名な写真『RAISING THE FLAG ON IWO JIMA』を撮った人物を想起させるという理由もあるだろうね…

 

 

あの写真を撮った人物!?

 

 

のちにアメリカの「正義の戦い」のシンボルにもなった「RAISING THE FLAG」を撮った従軍カメラマンの名は、ジョー・ローゼンタール(Joe Rosenthal)…

 

『父親たちの星条旗』にも登場した、あの眼鏡とヒゲのカメラマンだ…

 

 

 

「ローゼンタール」っちゅうたらドイツ系の苗字やな。

 

 

そうだね。

 

彼の両親は東欧からアメリカへ移民したユダヤ人だった。

 

19世紀にプロイセンは東部(現在のポーランドやリトアニア)に多く住んでいたユダヤ人をドイツ風の苗字に改めさせる政策をとった。「ローゼンタール」は人気のあるドイツ語だったんで、多くのユダヤ人が名乗ることになったんだよね。

 

ちなみにジョーの少年時代にローゼンタール家はカトリックへ改宗している。

 

 

またドイツ・ポーランド系か。

 

 

この映画のキーワードだからね。

 

エドの苗字はおそらくポーランド系だし、ハイの本当の親もポーランド系だ。

 

ネイサン・アリゾナ氏の本名は「ハフハインツ氏」だし、刑務所のカウンセラーは「シュワルツ博士」、さらには最後に出て来る白バイ警官の苗字は「コワルスキー」だった。

 

そして賞金稼ぎのレイナード・スモールズもポーランド系で、元々の苗字は不明。

 

とにかく「ドイツ・ポーランド・東欧系ユダヤ人」というのが物語のキーワードになっているんだ。

 

 

ボブ・ディランやスピルバーグをはじめ、ユダヤ系有名人のほとんどが東欧からの移民の二世三世やしな。

 

っちゅうか、そもそも20世紀初頭にブロードウェイやハリウッドなどアメリカの音楽・演劇・映画産業を築き上げたのは、東欧から移民して来たユダヤ人たちや。

 

 

そうだったね。

 

さて、エドの親から結婚祝いとして大型のトレーラーハウスがプレゼントされ、二人はテンピ市郊外の砂漠地帯で新しい生活を始める。

 

 

 

2DKやったな。この集落では一番の豪邸やで。


 

集落ってゆうか4軒しかないじゃん…

 

でもなぜコーエン兄弟は「テンピ」という超マイナーな土地を舞台に選んだんだろう?

 

お隣のフェニックスじゃダメだったのかな?

 

 

やっぱり「TEMPE(テンピ)」には意味があると思うよ。

 

 

せやけど変わった名前の土地やな。

 

シェイクスピアの『TEMPEST(テンペスト)』からパクったんか?

 

ちなみに「tempest」は「嵐・大騒動」っちゅう意味や。

 

 

違うみたいだよ。

 

そもそも「TEMPE」というのはギリシャの地名なんだ。

 

この地を流れるソルト川が「神の住む山オリュンポスの麓にあるTEMPE渓谷みたいだ」ということで付けられたらしい。

 

 

でも「大騒動」も「神の山」も映画の内容に合ってる。

 

 

だね。

 

さて、結婚して責任感が芽生えたハイは、ついに仕事に就いた。鉄のシートに穴をあける町工場での仕事だ…

 

 

待ってました!M・エメット・ウォルシュ!

 

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コーエン兄弟のデビュー作『ブラッド・シンプル』に引き続いての出演だね。

 

 

『ブラッド・シンプル』の大成功には、このM・エメット・ウォルシュが大きく貢献した。

 

彼の不快感MAXの薄ら笑いのおかげで、映画に何ともいえない空気感が醸し出されたんだ。

 

でも今回はコメディ映画ということで、仕事を全くしないで喋ってばかりのヘラヘラおじさんを演じている…

 

 

おじさん「俺たちは救急医療の仕事をしてたんだ。ハイウェイ警察と提携してな。ガチの仕事だぞ、わかるか?そんで俺とビルはナインマイルへパトロールに出かけた…」

 

ハイ「ビル・ロバーツ?」

 

おじさん「そんな腑抜けた名前じゃねえよ。ビル・パーカーだ。とにかく、俺たちは”あの場所”へやって来た。そして道端に何か丸いモノが転がってるのが見えたんだ…。そいつは車の残骸じゃなくて…」

 

 

 

この会話にも別の意味があるんでしょ?何だろう?

 

 

ここでは「丸いモノ」の正体は明かされんけど、あとでそれは「死体の首」だとわかるんやったな…

 

ちゅうことはサロメか?

 

 

それは新約聖書のネタだ。

 

この部分は「アダムの息子アベルの死」のことを言っているんだよ。

 

アダムとイヴの長男カインは弟アベルに嫉妬した。そしてアベルを家から離れた野原に誘い出し、そこで殺してしまう。

 

その後カインは神にアベルのことを聞かれ「し、知りません!僕は弟の見張り番ではありません!」と過剰反応をしてしまった。

 

結局嘘はバレて、発見されたアベルの死体を抱きながらアダムとイヴは泣き崩れる…

 

 

そうか!「ナインマイル」って地名が「離れた野原」のことなんだ!

 

 

ワイもわかったで!

 

「パーカー(Parker)」っちゅうのは元々「公園管理人」って意味や!

 

つまり「エデンの園」の管理人を任されとったアダムのことなんや!

 

 

 

その通り。

 

そしてハイが言う「ビル・ロバーツ?」もジョークになっているんだ…

 

「ロバーツ(Roberts)」には「強盗(robber)」が掛けられてる。

 

さらに「Bill」には「お札」という意味もあるから、「Bill Roberts」で「現金強盗」ということになる。

 

またもやハイの自虐ギャグだったんだね(笑)

 

 

アハハ!

 

 

さて、待ちに待った給料の支払い日がやって来る。まあ日本と違い、毎週末払いだけどね。

 

 

 

ハイの語り:多くの点で、仕事というのは刑務所に似ている。一日の終わりにエドが待っていることと、週の終わりに給料が待っていること以外は…

 

明細を見て呆然とするハイ

 

事務員の姉ちゃん「いつも政府が真っ先にガブリと齧っちゃうのよね」

 

 

 

かじる?

 

わかった!知恵の実のことだな。

 

 

その通り。女性事務員はこう言うんだ。

 

Government do take a bite, don't she?

 

政府など行政体は女性名詞だから「she」が使われている。

 

なんだか「彼女がひとくち齧ったのよね?」って言ってるみたいだよね(笑)

 

 

ついでに言っとくと「GOVERNMENT」の中に「EVE」が隠されとる。

 

 

もっと言っておくと、ハイの働く工場の名前は「ACME 製作所」というんだよ。

 

「acme(アクメ)」とは「絶頂・至高」という意味だ。つまり「神の製作所」だね。

 

 

神は細部に宿るって言うけど、やり過ぎだろコーエン兄弟(笑)

 

 

また、ハイにとって仕事が苦痛で給料も安いのは「神の罰」でもある。

 

「知恵の実」を食べてしまったアダムに対して神はこんな呪いをかけた。

 

「お前の土地は痩せて、そこから糧を得るのに一生苦労するだろう」

 

 

なるほど(笑)

 

 

さて、とりあえず職にも就いたし、次はいよいよ子作りの始まりだ…

 

 

ハイの語り:幸せな日々だった。世間が言うサラダ・デイズというやつだ。エドはいよいよ新しい家族を作る段階になったと感じた。そしてそれが彼女の全てになった。彼女の考えはこうだ。この世界は二人っきりで過ごすにはあまりにも美しく愛おしすぎ、子供無しで過ごす幸せな一日一日が、将来彼が不在を悔やむ一日になるに違いない…

 

エド「うまいこと言ったわね」

 

 

 

「うまいこと言うた」?

 

夕闇に染まる空を見て「That was beautiful」やろ。

 

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違うんだよ。

 

エドはハイの語りを「beautiful」と言ったんだよね。

 

ハイがあまりにも見事にダブルミーニングの文章でキメたから、エドが思わず口走ってしまったんだ。本来は反応しちゃいけない立場なのにね…

 

というか、ジョエル・コーエンが自分の書いた台本に自画自賛してるんだな(笑)

 

 

どゆこと?

 

 

あの語りは完璧に「アダムとイヴ」のことにもなっているんだよね。

 

日本語に訳しちゃうと伝わりづらいから、原文を見ながら説明していこう。

 

These were the happy days - the salad days, as they say.

 

「salad days」というのは、後から思い返すと恥ずかしいような日々のこと。つまり、付き合い始めた頃とか新婚ホヤホヤの頃のことだね。

 

そして聖書においてアダムとイヴは新婚時代に、文字通り「菜食生活(salad days)」を送っていた。

 

神は「エデンの園」時代も「失楽園」時代も、アダムとイヴに「植物由来の食べ物」だけしか食することを認めなかったんだ。

 

神がアダムに指示した食べ物は「緑の植物、根、木の実、パン」だ。肉食するシーンは無いんだよね。

 

 

そうだったのか!

 

 

そしてこう続く。

 

Ed felt that having a critter was the next logical step. It was all she thought about. 

 

「critter」とは「飼育する生き物」という意味なんだけど、元々の形は「creature」、つまり「神の創造物」なんだ。

 

エデンの園では少なくとも人類の生殖活動は行われなかった。

 

体位でモメたアダムとリリスの話は、民間伝承や都市伝説みたいなものだからね(笑)

 

だからイヴの「妊活」は失楽園の後だった。神の庇護下から外れたために、新しい家族を作るためには自分たちで「創造」、つまり生殖行為をしなければならなかった。

 

 

確かに「失楽園」は「生殖行為」に励んどったな…

 

 

何の話してんだよ。

 

 

ハイはエドの…

 

というか、アダムはイヴの想いをこう代弁する。

 

Her point was that there was too much love and beauty...for just the two of us...

 

「彼女が考えるに、この世界は二人だけのものにするには美しくて愛おしく…」

 

そしてこう締め括られる。

 

and every day we kept a child out of the world...was a day he might later regret having missed.

 

「そして私たちが《ひとりの子》を追い出したまま過ごす日は、のちに《彼》が失敗や不在を悔やむ日となる」

 

 

ん?アダムとイヴが追い出した《ひとりの子》って…

 

 

長男カインやんけ。

 

 

その通り。

 

アダムとイヴには最初にカインとアベルという子供が生まれた。だけどアベルは殺され、カインは追放されてしまった。

 

アダムとイヴはショックに打ちひしがれる。そして人生を諦めかけていた頃、待望の子セツが生まれる。アダム130歳の時だ。

 

そこから爆発的にアダムとイヴの子孫が増えてゆく…

 

 

なるほど!

 

「いま子供が出来なくても落ち込むな。いずれ爆発的に家族が増えるぞ!」ってことか(笑)

 

 

このシーンでのハイの語りは、アダムとイヴの現状を説明し、将来の予感まで匂わせていたってわけだね。

 

エドに「That was beautiful」と言わせるくらいジョエル・コーエンが自画自賛するのも頷ける。

 

ホントに面白いよね、この映画は…

 

ということで、続きは次回に。

 

 

 

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